2017/02/19

「この世界の片隅に」についてのツィートのまとめ(注釈付き)

1月15日
 昨日シネプラザ・サントムーンの夜の回で「この世界の片隅に」を見た。人がたくさん入っていてクラウドファンディングに参加した者として、嬉しい状態だった。最低もう1回は見ないと、きちんとした感想は書けない、奥の深い作品である。でも、好か嫌いかで比べると「アリーテ姫」の方が好きなんだよな。
(待ちに待った地元のサントムーン柿田川の映画館での上映初日に見に行った。)

1月31日
 久しぶりに弟に会ったら、「この世界の片隅に」に名前見つけたけど、出資した?って聞かれてびっくり仰天。なんと弟は近くでやっていなかったので12月に東京まで行って見たそうだ。ちなみに「シンゴジラ」は5回見たといっていた(こちらは自分よりゴジラファンだったから想定内)。
 弟とアニメや特撮の話をしたのは実に30数年ぶり。まんが祭りへ行くかチャンピオン祭りに行くか争った小学校時代が懐かしい(結局、大抵どちらにも父親に連れて行ってもらえたのだが)。
(確認したら、まんが祭りやチャンピオン祭りが始まったのはもうちょっと後で、私が中学生になってからだった。)

2月1日
 シネプラザサントムーンでの「この世界の片隅に」の上映が2月10日(金)まで延長になった!

2月5日
 なんと再延長!14日にある某会で宣伝できる!
(この再延長で17日までになった。14日の某会で話ができたのだが、思い入れが強すぎて、どうもうまく話せなかった。自分の趣味をこの時の話で初めて知った人が多くてびっくりされた。)

2月11日
 再々延長はない模様なので今晩家族でサントムーンに行き、「この世界の片隅に」を見た。新たに気づくことが沢山あったし、見終わった後の気分も違う。2度目を見て、初めて見た時とこんなに違う気分になった映画は初めてだ。今回の方が、月並みだが、愛しい者を失う厳しい辛い話としてずしんと来た。
(このツィートは、なんと片渕監督その人にリツィートされた!)

2月12日
 なんと再々延長!!!
(これで、2月24日までの上映になった。)

2月16日
 呉には行ったことがないので「この世界の片隅に」の軍港呉の景色は、勤務先の学校の修学旅行でハワイに行き現地の高校を訪れたときに見下ろしたパールハーバーの景色に、似ていると思った。パールハーバーに係留されているミズーリは大和とほぼ同じ大きさ、装備の戦艦である。呉空襲に重なる真珠湾攻撃。
(この感想は、最初に見たときに思ったこと。)

2月18日
 本日午前の回で「この世界の片隅に」の3回目。自分の名前を探す方に気を取られてきちんと見れなかったクラウドファンディング参加者名の下に出る絵をじっくりと見た。最後まできちんと見てね、という話はその通りであった。家に帰ってから、DVDで未見だった「マイマイ新子と千年の魔法」も見た。

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2016/09/28

秋雨の合間の箱根

 先日の日曜日、久しぶりに晴れた日、家族で箱根に行った。岡田美術館で若冲の新発見(再発見が正しいか)作品を見に行くのが最大の目的。小涌園隣の岡田美術館から、仙石原に行き、久しぶりにイル・ピアチェーレに入り昼食。ちょっと混んでいて、外の庭の席で食べることになって、これがなかなか良かった(でも接客はミス多い)。その後、星の王子様ミュージアム、箱根神社(九頭龍神社は改築中)と回り、岡田美術館へ行く途中芦之湯フラワーセンターが箱根ドールハウス美術館になっているのを見て気になって、寄ってみる。これが、宇宙恐竜ワールド以来のB級観光施設!ガラス張りの温室はそのままで(暑くてごめんなさいという張り紙が入口に貼ってある)、ドールハウスがぽつんぽつんと展示されている。なぜか、第1期ホンダF1のミニカーがあったりする。

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2016/07/03

高速道路を走ってみた

 C4ピカソで初めて東名高速を走ってみた。静岡へ行くので、新しくできた愛鷹パーキングエリアのスマートインターを利用した。我が家から沼津インター方面は混むので、確実に時間短縮になる。高速での乗り味は今まで乗っていたC4とほとんど変わらない。高速を走っている方がシートの良さを感じる。新東名ができて空いているので思っていたよりも早く静岡インターに着いた。この後セノバに向かったのだが、セノバの駐車場へ入れるのに北街道の入庫列に並んで30分くらい待つことになった。気温が上がり30℃を超え、ガラス面積の大きさから心配してしまうエアコンの効きだが、24℃の設定で十分に冷えてくれた。このような状態では、当たり前だが、エコモードのアイドリングストップはoffとなる。だから、高速を走って燃費を稼いだ分がチャラになってしまった。


 セノバで昼食をとったのち、妻子の買い物に付き合わず、一度行ってみたかったサールナートホールの静岡シネギャラリーに行くことにした。コーエン兄弟の「ヘイル、シーザー!」がちょうどよい上映時間だったので、これを見ることにした。本当は「ハロルドが笑うその日まで」の方が見たかったが時間が合わなかった。入場料を払うと整理券が渡されて、この番号順に入場するシステムだった(席は自由席)。早めに来て入場券を買っておく方がいい席に座れるということだ。50席くらいの小さい劇場だとは思っていなかったこともあって、10分前に行ったら25番で、前に方に座るしかなかった。スクリーンは小さいので位置は前でよいがちょっと見上げる角度になってしまう。
 それで「ヘイル、シーザー!」であるが、いかにもコーエン兄弟作である。というのは、シーンシーンは面白い(特にアルデン・エーデルライク演じるカウボーイ俳優の大根役者ぶり)のであるが、見終わると、いったい何を言いたかったのだろう、ということなのである。俺たちはこれをやってみたかったんだで押し切ってしまえばいいのに、何かそう割り切れていない部分を感じて、あれ?ってなってしまうのである。CGを含めた特撮の使い方もわざとらしいのが、目に触るので、評価が下がってしまう一因だ。

 セノバのユナイテッドアローズにコナベイハワイのアロハシャツがまだあり、黄色いのがいいなあと思うのだが、サマーセールで40%offになっていてもちょっと手が出せない値段。

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2016/06/26

梅雨の晴れ間の箱根ドライブ

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 久しぶりに休みの日曜日。家族で箱根へ出かけた。東駿河湾環状道路を走り始めたとき、タイヤの回転が感じられないシトロエンらしい乗り心地を今までになく感じた。走行距離が2500kmを超えて、いよいよ我がC4ピカソも真の実力を発揮するようになってきたようだ。
 仙石原の湿生花園、ガラスの森美術館、星の王子さまミュージアムを回って、天気が良いので湖尻から芦ノ湖スカイラインを走った。残念ながら富士山は雲の中。レストハウスに、一時いなくなっていたヤギさんが復活していた。

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2016/05/22

C4ピカソ、西伊豆へ

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 妻子が東京へと遊びに行くのを三島駅新幹線口まで送った後、天気が良いので、そうだ、西伊豆スカイラインを走ろう!と、三島から下田街道を南下して修善寺からまずは達磨山のレストハウスへ。このレストハウスの駐車場には、オープンカー(ホンダS660、S2000、マツダ・ロードスター)やサイドカーを付けた大型バイクの一団がいる。ここへ登ってくる間もバイク・ツーリングの集団に出会ったが、この後走った西伊豆スカイラインでは四輪車よりも2輪車と多く行き会い、対向してくるバイクの中にはオーバースピード気味でカーブで膨らんでくる怖い運転のものもあって、以前やっぱり乗り始めたばかりの初代C4で走った時のように気分よく走れない。こんな山の中でもらい事故は、やっぱり、嫌だ。

 西伊豆スカイランの先の仁科峠への道をそのまま進み、西天城高原の牧場の家でソフトクリームを買って休憩。以前と同じように来た道を引き返すことも考えたが、バイクの多さが気になるのと、宇久須に降りる道は走ったことがなく、戸田より南の海岸沿いの道も10数年走っていないので、牧場の家から山を下ることにした。宇久須の見覚えのある道まで出るのに思っていたより時間がかかった。宇久須から沼津へは海岸沿いを走ることにし、道路沿いに展望駐車場を見つけたらそこに入って写真を撮ることにした。
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 天気は良くて富士山も雲に隠れてはいなかったのだが、霞がかかっていて、土肥では、肉眼では富士山がうっすらと見えていたが写真に撮ると、コンデジのオート撮影だったこともあり、富士山が背景に溶け込んでしまっている。
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 戸田まで来ると、富士山が写るようになった。
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 戸田から大瀬へ向かう道沿いの大瀬崎に降りる道のすぐ戸田側にアザセボラという「コーヒーいかがですか」という看板の喫茶店があり、以前から気になっていたが寄ったことがなかった。今回、初めて入ってみた。カフェ・オレと西浦ミカンのシフォンケーキを注文してみた。大瀬崎越しの富士山を見ながらの一杯はなかなかリゾートな気分である。レジのところには私にとっても懐かしい年代物のおもちゃが飾ってあり、これはマッハバロン、宇宙家族ロビンソンのフライデーなどとマスターと会話が弾む。他にお客さんがいないので、わざわざ駐車場まで見送りしてくれるのかと思ったら、シトロエンいいですねえ、自分も乗りたかったけどお金がなくって・・・とさらにシトロエン談義。シトロエンに乗っているとこういうことが時々起きるので面白い(初代シャトルに乗っていた時には同じようなホンダ談義というのを経験したことがある。どちらのメーカーも、日本では、普通にいい車を作っただけでは評論家等に評価されない、ある意味不幸なメーカーである)。
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 お昼は、これも以前から気になっていた三津シーパラダイスの近くにある、「いけすや」へ。注文をする前に整理券を取るシステムに気が付かず、ちょっと順番が後になってしまったが、30分待ったところで自分の番号が呼ばれたので、待ち時間としては長すぎるというわけではない。一番食べてみたかったものはすでに売り切れていたので、活あじ丼を注文した。あじの刺身の弾力に新鮮さを感じて満足。たたきの方が食べやすかったと思うくらいの弾力であった。
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2016/05/05

箱根・芦ノ湖スカイラインを走ってみた  

 山坂道でのC4ピカソの乗り味を試してみようと、御殿場から箱根スカイラン~芦ノ湖スカイラインを通って沼津に戻るということをした。乙女トンネル手前で箱根スカイラインに向かう道に入るのたが、この道を走るのはかなり久しぶりである。以前は、狭くて対向車とのすれ違いに苦労する区間がかなりあったが、道がかなり整備されて広くなっている。それでも、センターラインが引けない狭い部分はあって、ここで対向車があるとC4ピカソの車幅の大きさが実感されて気を使う。
 スカイライン本線上の上り坂では、1.6Lのターボエンジンが十分なトルクやパワーがあることを体感した。AL4にあった上り坂でアクセルを踏んでもなかなか加速しないもたつきはEAT6にはないので、踏んだとおりに加速していくのが心地よい。C4より一回り大きいボディで重くなっているのだが、それは全く感じさせない。芦ノ湖スカイラインで前後に国産のミニバンがいたのだが、上り坂で普通にアクセルを踏んでいるつもりなのに、たちまち後車を引き離して、だいぶ先を走っていると見えた前車に追いついてしまった。また、芦ノ湖スカイラインの最後の部分で長い下り坂になるが、ここではきちんとエンジンブレーキが効くギアに固定された。これだけ走ってくれれば動力性能は十分である。
 芦ノ湖スカイラインで天気が良ければ写真を撮ろうと思ったが、全区間霧の中(そんなに濃いものではなかったので走るのにはあまり支障はなかった)。で、どこにも駐車せずにそのまま三島の市街地まで国道を降りていった。途中、スカイウォークのところで渋滞している。自分が走ってきた下り線より上り線の方がひどい。箱根から降りてくる車はスカイウォークに右折して入れないように警備員が立っていた。下り線の渋滞は、スカイウォークから出る車(三島方面に行く車)を通すために、警備員に止められていたためだった。信号が設置されていないのが不思議だ。

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2016/01/03

ラブライブ・サンシャインとのコラボはあるか?

家族で伊豆三津シーパラダイスへ出かけた。
「ラブライブ・サンシャイン」の設定場所のそばである。学校のモデルになっている中学校の校舎が見える。
娘が小さい頃からイルカノショーに出ている、カマイルカのシリウス君が出で来ないので、飼育員に聞いてみたら、昨年の10月に亡くなったそうだ。
今回もいろいろなカメラとレンズで撮影してみた。

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2015/11/07

キューバのアニメーション史

 以前、フアン・パドロンの「ハバナの吸血鬼」というキューバの長編アニメについて書いたのだけれど、今年のアニメ総会でキューバのアニメを紹介しようと、キューバのアニメについて何か文献はないかと捜して、かのベンダツィ先生の「アニメ百年史」Cartoonsの中に見つけて、訳してみた。

  Giannalberto Bendazzi:Cartoons(1994年)より 

キューバのアニメーションの最初の作品は、Napoleón,el faraón de los sinsabores(ナポレオン、苦悩する専制君主;1937年)、漫画家のマヌエル・アロンソManuel Alonsoの2分の黒白作品である。原作の漫画はEl pais gráficoの日曜版に連載されたもので、このフィルムは大成功を収めたが、アロンソのアニメーションでの仕事を十分に支えるほどではなかった。そのすぐ後の画家のロゼニャーダRoseňadaとシルビオSilvioのMasabiというキャラクターを用いたアニメーションの企画は失敗に終わった。
 グアンタナモでルイス・カスティーヨLuis CastilloがCoctel musical(音楽のカクテル;1946年)を製作した。そのタイトルにもかかわらずこの作品はサイレントだった。さらに、El jíbaro y el cerdito(農夫と子豚;1947年)を製作。一方、セザー・クルツ・バリオスCéser Cruz Barriosに率いられたグループがサンティアゴデクーバで設立された。何作かの実験の後、このグループはキューバで最初のカラー短編El hijo de la ciencia(科学の子;1947年)を発表した。この作品は大成功とはいえなかったが、彼らはドキュメンタリー、ニュース映画、実写映画に興味の中心をおき続けた。
 1950年代に、限られた期間の広告やテレビ業界の発展で少数の作品が作られた。広告代理店Agencia Siboneyが何人かの若い画家を雇った。彼らは後にキューバ最初の真にアニメーションと呼べる作品を作った。
 1959年3月24日、カストロ革命の後に、Instituto Cubano de Arte y Industria Cinematográfico(ICAIC;キューバ芸術映画産業協会)が設立され、アニメーションに関わる小さな部署がその中にできた。この部署のリーダーはヘスース・デ・アルマスJesús de Armasで、イラストレーターのエデュアルド・ムニョーズ・バッチスEduardo Muňoz Bachsや他の共同制作者と仕事をしていた。このときの最初の作品はLa prensa seria(真面目な出版社;1960年)だった。それは大人の観客を意識した政治的な諷刺で、次のような意図があった。すなわち、
 「・・・私的出版で出された名誉毀損と嘘の公開告発および、それに対して規制が必要であるという声明である。美術的には、UPAで典型的に使用されているグラフィックな表現を採用している。」
 ヘスース・デ・アルマスは、新しい社会を再建するための支援を見出すことを目的とした行動主義者に関するフィルムの製作を始めた。El tiburon y las sardinas(サメとイワシ;1961年)は帝国主義と革命の間の闘争について議論していた。La raza(1961年)は人種差別の不合理さを展開した。La quenma de la caňa(籐畑の火;1961年)とRemenber Girón(ヒロンを忘れるな;1961年)はアメリカ合衆国の侵略の脅威を図解した。デ・アルマスは、最初の「物語」アニメーション映画El cowboy(カウボーイ;1962年)も監督した。1967年に彼は画業から引退したが、ア二メーションの世界とは関係を持ち続けてキューバにおけるアニメ製作を手助けした。
 この時期の最も興味深い作品は、Los indocubanos(キューバインディアン;1964年)である。モンデスト・ガルシア・アルバレスMondesto Garcia Alvalez(マタンサス、1930年生)が監督した。優雅なペン画で作られた歴史映画で、ヨーロッパ人が到着する前のキューバの人々を共感的に描いていた。この映画に使用された絵は後に同じタイトルの本になった。スパニヤード・エンリク・ニカノールSpaniard Enrique NicanorのEl gusano(虫;1963年)も同様にこの時期の注目の作品である。
 1960年代半ばのキューバのアニメは様々な理由で下り坂となる。外国、初めはアメリカ、後にはチェコスロバキアとポーランド、の影響で、キューバのアニメーションの自発的な活動を低下させてしまった。また、教育映画は常にキューバで制作されてきた。例えば、El realengo(王室の家督;1961年)、あるいは、ヘスース・デ・アルマスのAEIOU(アエイオウ;1961年)。このような教育映画は政治的な作品や芸術的な作品より優先されてきた。
 1965年に、ルイス・ロヘリオ・ノゲラスLuise Rogelio Noguerasの Un sueňo en le parque(公園の展望;1965年)というキュービズムの影響を受けた平和主義者の作品が、洗練され知的過ぎて観客の要求を満足させられないと批判された。もっと伝統的で民族主義的な文脈では、エルマン・エンリケスHermán HenríquezがOsaín(1966年)で民間伝承を脚色し、同様に民間伝承に触発されたOro rojo(赤い黄金;1969年)で賞賛された。レイナルド・アルフォンソLeinald Alfonsoは、伝統的な歌を元にしたQuiero marinero ser(水兵になりたい;1970年)で人気を得た。教育映画の分野では、中心人物はオーストラリア人画家のハリー・リードHarry Readeで、反帝国主義者のパンフレット、La cosa(物)を製作した。
 1970年代の初頭に、ICAICのアニメーション部門は再編され、再出発した。子ども向けの作品を作ることが望まれて、キューバの権威者たちはアニメーションに向かった。国内の何箇所かで、子供たちにとって何が適当で何が適当でないか定義する会議が開かれた。と同時に、アニメーションはその教育的目的を維持せねばならず、その表現手段は子供たちの要求に適合せねばならなかった。2つのカテゴリーが作られた。その1番目は2歳から7歳で、2番目は8歳から14歳であった。1番目のグループに対応する作品は動植物に命を与えたファンタジーで会話は制限された。より年上の子供たちに対する作品は、良く考えられたキャラクターとプロットを持つアクションとアドベンチャーに焦点が当てられた。トゥリオ・ラッヒTulio Raggi(ハバナ、1938年生)とマリオ・リバスMario Rivas(サンタクララ、1939年1月29日生)は主に若い方のグループ向けの作品を作り、フワン・パドロンJuan Padrón(カルデナス、1947年1月29日生)(訳注:本人のプロフィールと出身地が違うがどういうことなのか?)は年上の子供たち向けの仕事に特化していた。
 これらのアーティストたちの貢献は1980年代に入るまで続き、この時代にキューバのアニメーションのスタイルの実験が始まり、大人向けのテーマが発展し始めた。1964年にEl profesor Bluff(ブロフ先生)でデビューしたラッヒは、El cero(ゼロ;1977年、数学)El tesoro(宝物;1977年、地理)のような楽しい教育映画や次のようなキューバの歴史に基づく3本の映画を発表した。El negrito cimarrón(小さな黒人の逃亡奴隷;1975年)、El trapiche(きび引き器;1978年)、El palenque de los esclavos cimarrones(避難所;1978年)。最後の作品は黒人奴隷の反乱と山岳地帯への逃避に基づいている。1983年にラッヒはEl alma trémula y sola(震える孤独な魂)を製作した。これは建国の父ホセ・マルティJosé Martíの追放に関するアダルトな主題についての静止画で作られた作品だった。そのタイトルはマルティによる詩の一節そのものである。1890年のニューヨークの濃い空気の中で、この作品は暴動への準備をしている間のマルティの日常の雑事と記憶を描いている。
 マリオ・リバスはParque forestal(森林公園;1973年)でデビューした。彼の子供向けのたくさんの作品の中には、Feucha(みにくい女の子;1978年)やLa guitarra(ギター;1978年)がある。1981年にEl deporte nacional(国民の娯楽)というキューバで特別に人気のある野球の発展と拡散についての作品を監督した。真面目な教育者であるリバスはFilminuto(ハバナのスタジオの様々な作者による短編のコレクション)のシリーズの中のエピソードで刺激的なユーモアを見せた。彼の最高傑作と考えられているのは、El bohío(1984年;ヤシの木の小屋)である。ヤシの木の小屋は国への侵略者により何度も何度も破壊されるが、カストロによる独立の宣言まで、ある家族により毎回再建される。ギャグとリズムに富んだキューバの歴史についてのこの簡明な小論は、巧みなイデオロギーと娯楽のミックスである。
 次のようなコミック・ブックのアーティストもアニメーションに貢献した。例えば、マヌエル・’リロ’・ラマールManuel'Lilo'Lamar(マトホMatojoという彼のキャラクターとともに)、セシリオ・アビレスCecilio Avilés(セシリンCecilínとコティCotiとともに)、そして、とりわけ、フワン・パドロン。15歳のときからパドロンは二メーションに興味を示していた。フワン・パドロンは、ヘスース・デ・アルマスのスタジオで一時期基本的な仕事を学んでいだ。さらに、アーティストとしての彼の教育はコミック・ブックで始まった。1970年に、エルピディオ・バルデスElpidio Valdésという彼のキャラクターは、子供週刊誌Pioneroのページで生まれた。バルデスは「マンビmanbi」、すなわち、スペインの植民地主義者と独立のために戦う、19世紀のキューバの愛国者である。風習や物、制服、さらには食べ物まで広範囲の調査の末に、パドロンは子供たちの先祖の生活の歴史的に正確なイメージを提示した。コミック・ブックで語られた長編「小説」として、また、同様にアニメーションとして。
 パドロンは、Elpidio Valdés contra el tren militar(エルピディオ・バルデス対武装列車;1974年)で監督デビューした。同じようなエピソードの続編がそれに続いた。1979年、ICAICの20周年の機会に、Elpidio Valdés(エルピディオ・バルデス)と題されたキューバで始めての長編アニメーションを製作した。2本目の長編Elpidio Valdés cóntra dolar y caňón(エルピディオ・バルデス対ドルと銃;1983年)で、その受けの良い反逆者は依然として独立のために戦っていた。今回は武器販売業者やスペインのスパイに立ち向かった。漫画漫画した絵と程良い量のユーモアで作られていて、これらのアドベンチャー映画は若者たちの間で大人気になっただけでなく、学者たちの間でも人気が出た。
 多産なアーティストであるパドロンは別な企画でも同じように働いた。その中には、賞を取った短編La silla(椅子;1974年)やLas manos(両手;1976年)がある。1980年に彼はFilminutoを始めた。1985年に、アルゼンチンの漫画家でユーモリストのホアキン・'キノ'・ラバドJoaquin 'Quino' Lavadoとの共同制作でQuinoscopioのシリーズを開始した。その同じ年に3作目の長編Vampiros en la Habana!(ハナバの吸血鬼)を発表した。吸血鬼が日中活動できる発明の陽気な大騒ぎの物語である。ホラー映画とギャング映画の結婚、それは、「楽しい露骨な戯画」とヴァラエティVariety紙で歓迎された。注目すべきユーモリストのパドロンは、その膨大な作品において、文化の要求と娯楽の必要性を結びつけバランスさせた。と同時に、彼と同世代のキューバのアニメーターたちに対してリーダーシップを発揮した。

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2015/09/12

第46回全国アニメーション総会伊東大会

 私たちが主催となる今年のアニメ総会は下記のように実施されます。例によって、まだまだ申込者が少ないので、このブログにも内容をUPしておきます。申し込み締め切りは、9月30日です。

          記

●日 時 2015年10月24日(土)午後3時 受付開始  午後4時 開会
       10月25日(日)午前10時 チェックアウト

●内 容  恒例の大宴会(自己紹介・サークル紹介を兼ねる)
        盛りだくさんな上映
        静岡総会らしい深夜上映(非アニメ)

●会 場  山喜旅館 静岡県伊東市東松原町4番7号  TEL:0557-37-4123

●定 員  60名(小学生、幼児を含む)

●参加費  一 般 12,000円 幼児 実費(寝具)
     ※原則全額銀行振り込み先払い

●申込締切 9月30日(水)必着(定員になり次第締め切ります。


*詳しくは次のURLで
https://onedrive.live.com/redir?resid=472E48B82B315602!8128&authkey=!AM6SbPavwRtO3n0&ithint=folder%2cpdf

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2015/07/11

雨の大中寺

 お盆のおせがきの申し込みに大中寺に行ってきた。

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ソニーRX100で撮影

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