2017/10/09

洋書録2017年

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'The Art and Inventions of Max Fleischer American Animation pioneer' RAY POINTER;Mcfarland & Company,Inc.,Publishers
 これは、今年の早い時期に出版されて手に入れたもの。タイトルにある通り、アニメーション製作におけるいろいろな技術や機械を考案し特許を取ったマックス・フライシャーの発明家としての側面に多くのページを割いた本。現在でも残されている特許申請書類からの図面が図版の多くを占めていてる初期のフライシャー・スタジオの様子は、興味深い。
 また、当時の映画雑誌や新聞のフライシャー作品の評価の採録が当時の様子を伝えている。ディズニーのようには資料が残されていないフライシャー・スタジオについては、こういうアプローチしかないんだろうな、と思う。


'SNOW WHITE'S PEOPLE An Oral History of the Disney Film Snow White and the Seven Dwarfs VOLUME1' DAVID JOHNSON;Theme Park Press
 ディズニーの「白雪姫」の制作にかかわったメンバーのインタビュー集の第1弾。未刊行の『「白雪姫」と世界恐慌』という本を書いた著者が1980年代末から90年代初めにかけて行ったインタビューの活字化である。ウイルフレッド・ジャクソンのインタビューから始まるが、このインタビューはジャクソンが亡くなる直前のものである。トレースや彩色を担当していた女性スタッフにもインタビューしている。インタビュー時期が90年前後であるから、ジャクソンに限らず、多くのスタッフは高齢になっていて、滑り込みセーフ的貴重なインタビュー集である。ディズニー・プロとは無関係の著者、出版社なので図版は一切ない。


'INK & PAINT The Women of Walt Disney's Animation' MINDY JOHNSON;Disney Editions
 ディズニー・プロの女性スタッフに焦点を当てた本。ディズニー・プロで出している本なので今まで見たことのなかった貴重な写真ばかり。ディズニー・プロ美女写真集と呼べるくらい美女ぞろい。FOREWORD を先ごろ亡くなった声優のジューン・フォーレイが書いているのも貴重。著者は最近邦訳が出たマーク・デービスの画集にも参加している。


'ARCHIVE COLLECTION  PORKY PIG 101 CLASSIC WARNER BROS. ANIMATED SHORTS'
 これは本でなくDVD5枚組コレクション。ポーキー・ピッグ作品が、第1作の'I Haven't Got a Hat'から'Porky Pig's Feat'まで101作収録。ワーナーブラザース・ホーム・エンターテイメントから発売されているが、受注生産という完全にマニア向け商品である。まだすべて見ていないので、詳細は見てから。

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2017/09/10

フラガール再び

 9月3日に熱海のアロハフェスティバルに行った。娘がタヒチアンダンスを始めてその教室で参加することになったからだ。実は10年近く前にもこのフェスティバルに娘が出て見に来ている。

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 熱函道路を久しぶりに走った。このくらいの流れのいい山坂道はちょっとしたドライブにちょうどいい。大人4人乗っても安定して曲がってくれるC4ピカソは運転していて楽しい。速度が上がりすぎないように自制するのに苦労するほど。峠から熱海の町中に下る道は急坂だが、この坂を走り始めてすぐに、アイシン製のATは2速固定になり、エンジンブレーキが利く状態になった。C4のAL4ではマニュアルモードで2速固定にして走った記憶がある。さすが、アイシン。帰りにこの道を上るときも力不足を感じず、思ったように走れる。AL4だとこのような状況でアクセルを踏んでも、なかなかすぐに加速してくれず、もどかしい瞬間があったが、それは全くなくなった。

 娘の集合時間にあわせて会場に着き、実際にステージに立つまで時間があるので、以前来た時に入ってみたいと思った、洋食の老舗スコットの本店で昼食を食べた。懐かしい洋食屋の味である。

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 10年前より参加者、観客、出店が増え、街中を歩いている観光客も多くなっていて、復活してきたなあ熱海、と思う。スコットのそばの、わんたん屋というラーメン屋に長い行列ができているのには驚いた。この店は昔から知っている人は知っているワンタンメンがおいしい店だが(四半世紀前に食べたことがある)、10年前にはこんな行列はなかった。この辺だったはずだけどと見つけるのに苦労したくらいだ。


 アロハフェスティバル開催と同じ土日に沼津のキラメッセでALCの輸入車展示会があった。シトロエンC3の新型が来るというので、ほぼこれだけを目当てで土曜日に見に行った。顔つきはピカソ的だが、全体に形は今までのものより普通(というよりも、兄弟車のプジョー208に近い形)になっている。一方、内装のデザインは、シトロエンらしさにあふれている。ありふれた安い素材もデザイン一つで見栄えが変わるという良い例である。また、シートの座り心地はあたりが柔らかく、やや硬めのC4ピカソより、いい感じである。


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2017/08/24

時空の長い午後

 この夏は、シュレーディンガーの本を読んだ。
 7月に新書版で高校時代以来何度か読んだ「生命とは何か」を岩波文庫版で読んだ。今まで読んだ時には気付けなかった「物理法則は統計的なものである」という考え方をしているのに、今回気付いた。本質的に統計的である量子力学の基礎方程式を見つけたわけだから当然という気がするが、波動関数が確率を表すという解釈には完全に反対する立場になっていた時代に書かれたものなので、読んでいて何か釈然としない部分もある。物理法則が統計的であるというのは、統計力学的にということで、物理的実在の本質にはコペンハーゲン解釈のようなものはないということらしい。つまり、同時期のアインシュタインの考え方と同じなのである。
 それで、もうちょっとシュレーディンガーの考え方に迫りたいということで、大学を卒業する頃に買って今まで読んでいなかった論文集である「シュレディンガー選集1 波動力学論文集」「シュレディンガー選集2 時空の構造・統計熱力学」を読んだ。この2冊は「生命とは何か」のような一般向けの本ではないので、いろいろ難しい式が出てくるが、その式についての説明が明快で、物理的イメージに基づいたものなので、非常にわかりやすい。本を買った頃に読んでおけばよかったと今になって思う。
 さらに、ジョン・グリビンによるシュレーディンガーの伝記「シュレーディンガーと量子革命」を読んだ。奥さんと愛人と3人で暮らした以外にも、どうみても犯罪的なロリコンだよなと思うような、ちょっと他の物理学者には見られない多彩な女性たちとの関係に驚嘆する。一方、奥さんも奥さんで、シュレーディンガーの同僚の学者と浮気をしているし、さらに驚くのは、シュレーディンガーが愛人に産ませた子供の面倒を見ているのである。すごい夫婦である。

 シュレーディンガーの本を読んだ後、じゃあ、ノーベル物理学賞を一緒に受賞したディラックの本を読もうと、数年前に出たグレアム・ファーメロによる伝記「量子の海、ディラックの深淵」と、ディラックの死後11年たってウエストミンスターに作られた記念碑の式典時の追悼講演の活字化「ポール・ディラック 人と業績」を読んだ。伝記の方で一番驚いたのは、ディラックがミッキーマウスの漫画映画の大ファンであったこと、「白雪姫」もイギリス初公開時に見に行っているということだった。ディラックが物理学者として一番創造的であった時期とミッキー作品の最も面白かった時期は一致していたのであるという当然のことに今まで気が付いていなかった! さらに、「2001年宇宙の旅」の初公開時に見て感激し続けて2回見たということ、小さい時から漫画が好きで特にお気に入りは「プリンス・ヴァリアント」だということ。
 ディラックの書いた「量子力学」を持っているのだが、これは大学時代に学部に上がったばかりの頃、同じクラスの友人と、どうせなら英語版で勉強会しようと買ったものだ。この勉強会は1,2度やっただけで挫折してしまった。書架からどりだしてみると、その挫折したページにしおりが挟まれていた。自分一人ででもこの教科書を読み通せたのなら、高校生でなく大学生を相手に物理を教えていただろうな、と思う。
 

 家族で天気の悪い涼しい日に、箱根のラリック美術館に初めて行った。ラリックが内装を担当したオリエント急行の実際の列車が1両展示されていて中に入れたのが一番良かった。この車両、沼津まで鉄道で運ばれ、沼津駅でトレーラーに乗せ換えられて御殿場・乙女峠経由で仙石原の美術館までやってきたそうだ。これにあわせて当時のポスターや時刻表、観光案内などが展示されていて、ガラス製品や装飾品より、面白かった。


 贔屓にしていたSF作家、ブライアン・オールディスの訃報を見た。80年代の代表作Helliconia3部作が存命中に邦訳されなかったのが残念だ。訳されそうにないからと、昨年3部作を1冊にまとめたペーパーバックの原書を買った。追悼の気持ちを込めて、読むことにしよう。Barefoot in the HeadやThe Eighty Minute Hourも訳してほしい作品だったんだけどなあ。

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2017/02/19

「この世界の片隅に」についてのツィートのまとめ(注釈付き)

1月15日
 昨日シネプラザ・サントムーンの夜の回で「この世界の片隅に」を見た。人がたくさん入っていてクラウドファンディングに参加した者として、嬉しい状態だった。最低もう1回は見ないと、きちんとした感想は書けない、奥の深い作品である。でも、好か嫌いかで比べると「アリーテ姫」の方が好きなんだよな。
(待ちに待った地元のサントムーン柿田川の映画館での上映初日に見に行った。)

1月31日
 久しぶりに弟に会ったら、「この世界の片隅に」に名前見つけたけど、出資した?って聞かれてびっくり仰天。なんと弟は近くでやっていなかったので12月に東京まで行って見たそうだ。ちなみに「シンゴジラ」は5回見たといっていた(こちらは自分よりゴジラファンだったから想定内)。
 弟とアニメや特撮の話をしたのは実に30数年ぶり。まんが祭りへ行くかチャンピオン祭りに行くか争った小学校時代が懐かしい(結局、大抵どちらにも父親に連れて行ってもらえたのだが)。
(確認したら、まんが祭りやチャンピオン祭りが始まったのはもうちょっと後で、私が中学生になってからだった。)

2月1日
 シネプラザサントムーンでの「この世界の片隅に」の上映が2月10日(金)まで延長になった!

2月5日
 なんと再延長!14日にある某会で宣伝できる!
(この再延長で17日までになった。14日の某会で話ができたのだが、思い入れが強すぎて、どうもうまく話せなかった。自分の趣味をこの時の話で初めて知った人が多くてびっくりされた。)

2月11日
 再々延長はない模様なので今晩家族でサントムーンに行き、「この世界の片隅に」を見た。新たに気づくことが沢山あったし、見終わった後の気分も違う。2度目を見て、初めて見た時とこんなに違う気分になった映画は初めてだ。今回の方が、月並みだが、愛しい者を失う厳しい辛い話としてずしんと来た。
(このツィートは、なんと片渕監督その人にリツィートされた!)

2月12日
 なんと再々延長!!!
(これで、2月24日までの上映になった。)

2月16日
 呉には行ったことがないので「この世界の片隅に」の軍港呉の景色は、勤務先の学校の修学旅行でハワイに行き現地の高校を訪れたときに見下ろしたパールハーバーの景色に、似ていると思った。パールハーバーに係留されているミズーリは大和とほぼ同じ大きさ、装備の戦艦である。呉空襲に重なる真珠湾攻撃。
(この感想は、最初に見たときに思ったこと。)

2月18日
 本日午前の回で「この世界の片隅に」の3回目。自分の名前を探す方に気を取られてきちんと見れなかったクラウドファンディング参加者名の下に出る絵をじっくりと見た。最後まできちんと見てね、という話はその通りであった。家に帰ってから、DVDで未見だった「マイマイ新子と千年の魔法」も見た。

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2016/11/06

J.R.ブレイ・スタジオ作品集ブルーレイを見た

 CARTOONS ON FILMのブルーレイディスクのCARTOON ROOTSの第2弾the BRAY STUDIOS ANIMATION PIONEERSをやっと見終わった。動画が、がたつかないためのタップ(ペグ)や背景ごと作画しないで済む透明なセルの使用という、現在のアニメーションの主流の制作方法を確立させたJ.R.ブレイのスタジオの作品集である。このスタジオには、その後のアメリカのカートゥーン界を背負うことになるマックスとデイブのフライシャー兄弟、ポール・テリー、ウオルター・ランツなどの才能が集まり(というより、ブレイがセルアニメ製作法の特許を取ったので、ブレイのところに行かなければ特許を使わせてもらえなかった)、作品制作をした。このカートゥーン初期の梁山泊な様子がわかる作品集だ。収録作は以下の通り。オリジナルは黒白・サイレント作品だが、このBDのために作られた音楽がつけられている。

1 THE ARTIST’S DREAM J.R.Bray 1913年
2 COL.HEEZA LIAR’S AFRICAN HUNT J.R.Bray 1914年
3 DIPLODOCUS J.R.Bray 1915年
4 FARMER ALFALFA SEES NEW YORK Paul Terry 1916年
5 THE POLICE DOG ON THE WIRE Carl Anderson 1916年
6 BOBBY BUMPS’ PUP GETS THE FLEA-ENZA Earl Hurd 1919年
7 Krazy Kat : THE BEST MOUSE LOSES Vernon Stallings 1920年
8 Jerry On the Job : THE TALE OF A WAG 1920年
9 Judge Rummy : A FITTING GIFT 1920年
10 Dinky Doodle : THE PIED PIPER Walter Lantz 1924年
11 Pete the Pup : THE LUNCH HOUND Walter Lantz 1927年
12 Out of the Inkwell : THE TANTALIZING FLY Max Fleischer 1919年
13 HOW ANIMATED CARTOONS ARE MADE Wallace Carlson 1919年
14 CHEMICAL INSPIRATION 1921年
15 THE POINT OF VIEW 1921年頃

 ブレイ自身の作品では、3のDIPLODOCUSがウィンザー・マッケイの「恐竜ガーティ」をほぼ真似しているのが見もの。監督(演出)名のない8と9が動きが良くて面白い。10から13は、12のフライシャーの道化師ココ作品と同じ作りの作品である。つまり、キャラクターなどを描く画家が実写で登場して、キャラのアニメーションと実写が合成されたシーンのある作品である。ウォルター・ランツがココみたいな作品を作っていたということをこの2作で初めて知った。最後の14,15はアニメーション・テクニックを使った科学教育映画で、ブレイ・スタジオはこの頃から教育映画の分野で存続していくことになる。フライシャーにも「アインシュタインの相対性理論」「ダーウィンの進化論」というこの分野の作品がある。この2本を収録したBDあるいはDVDは出ないのだろうか?

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2016/09/28

秋雨の合間の箱根

 先日の日曜日、久しぶりに晴れた日、家族で箱根に行った。岡田美術館で若冲の新発見(再発見が正しいか)作品を見に行くのが最大の目的。小涌園隣の岡田美術館から、仙石原に行き、久しぶりにイル・ピアチェーレに入り昼食。ちょっと混んでいて、外の庭の席で食べることになって、これがなかなか良かった(でも接客はミス多い)。その後、星の王子様ミュージアム、箱根神社(九頭龍神社は改築中)と回り、岡田美術館へ行く途中芦之湯フラワーセンターが箱根ドールハウス美術館になっているのを見て気になって、寄ってみる。これが、宇宙恐竜ワールド以来のB級観光施設!ガラス張りの温室はそのままで(暑くてごめんなさいという張り紙が入口に貼ってある)、ドールハウスがぽつんぽつんと展示されている。なぜか、第1期ホンダF1のミニカーがあったりする。

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2016/06/26

梅雨の晴れ間の箱根ドライブ

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 久しぶりに休みの日曜日。家族で箱根へ出かけた。東駿河湾環状道路を走り始めたとき、タイヤの回転が感じられないシトロエンらしい乗り心地を今までになく感じた。走行距離が2500kmを超えて、いよいよ我がC4ピカソも真の実力を発揮するようになってきたようだ。
 仙石原の湿生花園、ガラスの森美術館、星の王子さまミュージアムを回って、天気が良いので湖尻から芦ノ湖スカイラインを走った。残念ながら富士山は雲の中。レストハウスに、一時いなくなっていたヤギさんが復活していた。

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2016/05/08

UB IWERKS' WILLE WHOPPER

 ThunderBeanから発売されたアブ・アイワークスの1933~34年作のウィリー・フーパーシリーズのブルーレイ・ディスクを入手。8mmフィルムを直輸入している頃一番信頼できる業者としてたびたび利用したことがあるBlackhawk Filmsのタイトルも出てきて、懐かしく感じた。アイワークスの作品では、日本でもパブリック・ドメイン物でコミカラー・シリーズが見れるし、カエルのフリップは'Spooks'をBlackhawk Filmsから買って所有している.。このシリーズは初見。本国でも多分初めての発売であろう。
 ディズニー・プロをやめた後、パット・パワーズと契約してMGMから配給された作品である。白人少年のウィリーが主人公で、俺はこういうことしたんだぜ、という一種のホラ話シリーズである(夢オチみたいなもの)。ウィリーのキャラデザインは一貫せず、4作目以降かなり太った少年になってしまうが、このデザインが変わた4作目までが面白い。5,6作目はカラー作品であり、海賊デイビー・ジョーンズや地獄の赤鬼などが登場してそれなりに力を入れて作られているのがわかる。アニメーターとしてグリム・ナトウィック、音楽としてカール・ストーリングが参加している作品がある。ナトウィックが参加している作品は作画のレベルが高くなっているのがわかるが、後期作品ではそれ以外にほとんど見どころがなかったりする。後期作品でそれ以外に見るべきところがあるとすれば、マルチプレーンを使用していることである。シリーズの初期作品が面白く感じられる理由の一つに、ベティ・ブープ的な動きが妙にエロいおねーさんが登場することが挙げられる。

作品リスト
1 The Air Race(飛行機競争) 1933 MGMからは公開されなかった作品。
2 Play Ball(プレー・ボール) 1933 べーブルース登場。
3 Spite Flight(意地悪飛行) 1933 1のリメイク版。
4 Stratos-Fear(成層圏の恐怖)1933 これが私のベスト1、SFである。
5 Davy Jones'Locker(デイビー・ジョーンズの戸棚)1933 カラー。
6 Hell's Fire(地獄の炎)   1934 カラー。
7 Robin Hood Jr(ロビン・フッド・ジュニア)1934
8 Insultin'the Sultan(対決!サルタン)1934 いわゆる「土人」多数登場。
9 Reducing Creme(やせ軟膏) 1934 パン屋の夫婦のダンスシーンが面白い。
10 Rassling Round(レスリング)1934 レスリングの試合に出る靴磨きのウィリー。
11 The Cave Man(洞窟人)   1934 ターザンである。
12 Jungle Jitters(ジャングルの恐怖) 1934 ベティ・ブープみたいな原住民の娘。
13 The Good Scout(善きボーイスカウト)1934 一日一善の発表。
14 Viva Willie(ウィリー、バンザイ)  1934 西部のウィリー。

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2015/12/30

高い買い物、掘り出し物

 ベンダツィBendazzi先生の本 Animation:A World Historyが発売され、きちんと価格を確かめずにamazon.comに注文した。注文確認メールで値段を見たら、とんでもない価格。ハードカバーの学術専門書の価格だとしても高かった。3巻本で、総額は日本円で7万を越えた。この間のアニメ総会で、中国で発売されている中国アニメの歴史の本が高くて・・・という話を聞いたが、それを越えていた。
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 とりあえず、キューバのアニメについての記述部分を確認したら、2巻と3巻にあり、2巻の内容は自分が以前訳したCartoonsと同じで、その後の歴史が3巻に書かれていた。3巻の記述もホアン・パドロンが中心で、Vampiros en la Habana!(ハナバの吸血鬼)の続編Mas Vampiros en La Habanaが2003年に作られた、ということで終わっていて、その後を知りたかった自分にはちょっとがっかり。紙表紙の普及版が出てから買っても良かったか、とも思う。
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 近所のブックオフに家族で行ったときに、「アニメの世界Vol.1,2 colour Cartoons vol 1-2 デジタルリマスター版」というタイトルのDVDを見つけた。裏の収録作品説明の中に「ジャスパー・イン・ア・ジャム」「リトル・ルルとちっちゃい仲間」「コブウェブ・ホテル」「よい子の夢」とあるのを見て、こんな取り合わせのカートゥーンの日本版コンピレーションDVDが売らていたのかと、購入。250円。CFM MEDIAというところから2002年に発売されたものだった。
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「カラーリング・ブック」というぬり絵がおまけで付いていたが、これを見てみると、いったいどんな子がこういうシーンのぬり絵をしたがるのだ、と思うし、本国では子ども向けには避けられている黒人のカリカチュアのシーンをぬり絵にしているのにも驚く。このぬり絵冊子の裏には、この会社発売のDVDの宣伝が付いていて、「アニメの世界Vol.3,4」が載っている。この「Vol.3,4」も何が入っているか興味津々。今度捜してみよう。
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 このDVDに入っている作品は次のとおり。
1 クロスビー、コロンボ&ヴァレ CROSBY,COLUMBO,and VALEE 1932年 ルドルフ・アイジング メリー・メロディ
2 ジャスパー・イン・ア・ジャム JASPER IN A JAM 1946年 デューク・ゴールドストーン パペトゥーン
3 ローン・スター・ステート THE LONE STAR STATE 1948年 イサドア・スパーバー スクリーン・ソング
4 リトル・ルルとちっちゃい仲間 CHICK AND DOUBLE CHICK 1946年 シーモア・ネイテル リトル・ルル 
5 金の卵を生んだガチョウ THE GOOSE THAT LAID THE GOLDEN EGG 1936年 バート・ジレット&トム・パルマー フェリックス・ザ・キャット
6 ヤンキー・ドゥードル・ドンキー YANKEE DOODLE DONKEY 1944年 イサドア・スパーバー ノヴェルトゥーン
7 お化けのキャスパーちゃん THE FRIENDLY GHOST 1945年 イサドア・スパーバー
8 スクラブ・ミー・ママ SCRUB ME MAMA WITH A BOOGIE BEAT 1941年 ウォルター・ランツ
9 コブウェブ・ホテル THE COBWEB HOTEL 1936年 デイヴ・フライシャー カラー・クラシック
10 巣立ちの歌 THE SONG OF THE BIRDS 1935年 デイヴ・フライシャー カラー・クラシック
11 ハップ・ハップ・ハッピー・デー IT'S A HAP-HAP-HAPPY DAY 1941年 デイヴ・フライシャー ギャビィ
12 クツのお家の子供たち THE KIDS IN THE SHOE 1935年 デイヴ・フライシャー カラー・クラシック
13 よい子の夢 SOMEWHERE IN DREAMLAND 1936年 デイヴ・フライシャー カラー・クラシック
14 トゥ・スプリング TO SPRING 1936年 ビル・ハナ&ヒュー・ハーマン  ハッピー・ハーモニー
15 メリーちゃんの小羊 MARY'S LITTLE LAMB 1935年 アブ・アイワークス

 1と8はこのDVDで初めて見た。そして、この2作は実に貴重な作品である。1はワーナーのメリー・メロディの最初期の作品で、ロリン・ハミルトンとマックス・マックスウェルがアニメーターとして参加している。アメリカ・インディアン物。黒白なはずだが、このプリントは退色したカラーフィルムのようなセピア・カラーで、インディアンの髪の毛は黒く、他は赤茶けた色のグラデーションになっているのが不思議。8はランツの南部黒人物。1と同様に無意識の「人種差別」作品であるから、テレビ放映などされないし、アヴェリーやクランペットの同様の作品のようにギャグの過激さもないので、「歴史的な意義を尊重した」作品集にも収録されにくい作品(だから貴重)。
 2のパペトゥーンのジャスパーや9、12、13のカラー・クラシックの代表作が入っているもうれしいし、お化けのキャスパーの第1作、ビル・ハナの演出デビュー作も見れる。実に、お買い得であった。


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2015/11/07

キューバのアニメーション史

 以前、フアン・パドロンの「ハバナの吸血鬼」というキューバの長編アニメについて書いたのだけれど、今年のアニメ総会でキューバのアニメを紹介しようと、キューバのアニメについて何か文献はないかと捜して、かのベンダツィ先生の「アニメ百年史」Cartoonsの中に見つけて、訳してみた。

  Giannalberto Bendazzi:Cartoons(1994年)より 

キューバのアニメーションの最初の作品は、Napoleón,el faraón de los sinsabores(ナポレオン、苦悩する専制君主;1937年)、漫画家のマヌエル・アロンソManuel Alonsoの2分の黒白作品である。原作の漫画はEl pais gráficoの日曜版に連載されたもので、このフィルムは大成功を収めたが、アロンソのアニメーションでの仕事を十分に支えるほどではなかった。そのすぐ後の画家のロゼニャーダRoseňadaとシルビオSilvioのMasabiというキャラクターを用いたアニメーションの企画は失敗に終わった。
 グアンタナモでルイス・カスティーヨLuis CastilloがCoctel musical(音楽のカクテル;1946年)を製作した。そのタイトルにもかかわらずこの作品はサイレントだった。さらに、El jíbaro y el cerdito(農夫と子豚;1947年)を製作。一方、セザー・クルツ・バリオスCéser Cruz Barriosに率いられたグループがサンティアゴデクーバで設立された。何作かの実験の後、このグループはキューバで最初のカラー短編El hijo de la ciencia(科学の子;1947年)を発表した。この作品は大成功とはいえなかったが、彼らはドキュメンタリー、ニュース映画、実写映画に興味の中心をおき続けた。
 1950年代に、限られた期間の広告やテレビ業界の発展で少数の作品が作られた。広告代理店Agencia Siboneyが何人かの若い画家を雇った。彼らは後にキューバ最初の真にアニメーションと呼べる作品を作った。
 1959年3月24日、カストロ革命の後に、Instituto Cubano de Arte y Industria Cinematográfico(ICAIC;キューバ芸術映画産業協会)が設立され、アニメーションに関わる小さな部署がその中にできた。この部署のリーダーはヘスース・デ・アルマスJesús de Armasで、イラストレーターのエデュアルド・ムニョーズ・バッチスEduardo Muňoz Bachsや他の共同制作者と仕事をしていた。このときの最初の作品はLa prensa seria(真面目な出版社;1960年)だった。それは大人の観客を意識した政治的な諷刺で、次のような意図があった。すなわち、
 「・・・私的出版で出された名誉毀損と嘘の公開告発および、それに対して規制が必要であるという声明である。美術的には、UPAで典型的に使用されているグラフィックな表現を採用している。」
 ヘスース・デ・アルマスは、新しい社会を再建するための支援を見出すことを目的とした行動主義者に関するフィルムの製作を始めた。El tiburon y las sardinas(サメとイワシ;1961年)は帝国主義と革命の間の闘争について議論していた。La raza(1961年)は人種差別の不合理さを展開した。La quenma de la caňa(籐畑の火;1961年)とRemenber Girón(ヒロンを忘れるな;1961年)はアメリカ合衆国の侵略の脅威を図解した。デ・アルマスは、最初の「物語」アニメーション映画El cowboy(カウボーイ;1962年)も監督した。1967年に彼は画業から引退したが、ア二メーションの世界とは関係を持ち続けてキューバにおけるアニメ製作を手助けした。
 この時期の最も興味深い作品は、Los indocubanos(キューバインディアン;1964年)である。モンデスト・ガルシア・アルバレスMondesto Garcia Alvalez(マタンサス、1930年生)が監督した。優雅なペン画で作られた歴史映画で、ヨーロッパ人が到着する前のキューバの人々を共感的に描いていた。この映画に使用された絵は後に同じタイトルの本になった。スパニヤード・エンリク・ニカノールSpaniard Enrique NicanorのEl gusano(虫;1963年)も同様にこの時期の注目の作品である。
 1960年代半ばのキューバのアニメは様々な理由で下り坂となる。外国、初めはアメリカ、後にはチェコスロバキアとポーランド、の影響で、キューバのアニメーションの自発的な活動を低下させてしまった。また、教育映画は常にキューバで制作されてきた。例えば、El realengo(王室の家督;1961年)、あるいは、ヘスース・デ・アルマスのAEIOU(アエイオウ;1961年)。このような教育映画は政治的な作品や芸術的な作品より優先されてきた。
 1965年に、ルイス・ロヘリオ・ノゲラスLuise Rogelio Noguerasの Un sueňo en le parque(公園の展望;1965年)というキュービズムの影響を受けた平和主義者の作品が、洗練され知的過ぎて観客の要求を満足させられないと批判された。もっと伝統的で民族主義的な文脈では、エルマン・エンリケスHermán HenríquezがOsaín(1966年)で民間伝承を脚色し、同様に民間伝承に触発されたOro rojo(赤い黄金;1969年)で賞賛された。レイナルド・アルフォンソLeinald Alfonsoは、伝統的な歌を元にしたQuiero marinero ser(水兵になりたい;1970年)で人気を得た。教育映画の分野では、中心人物はオーストラリア人画家のハリー・リードHarry Readeで、反帝国主義者のパンフレット、La cosa(物)を製作した。
 1970年代の初頭に、ICAICのアニメーション部門は再編され、再出発した。子ども向けの作品を作ることが望まれて、キューバの権威者たちはアニメーションに向かった。国内の何箇所かで、子供たちにとって何が適当で何が適当でないか定義する会議が開かれた。と同時に、アニメーションはその教育的目的を維持せねばならず、その表現手段は子供たちの要求に適合せねばならなかった。2つのカテゴリーが作られた。その1番目は2歳から7歳で、2番目は8歳から14歳であった。1番目のグループに対応する作品は動植物に命を与えたファンタジーで会話は制限された。より年上の子供たちに対する作品は、良く考えられたキャラクターとプロットを持つアクションとアドベンチャーに焦点が当てられた。トゥリオ・ラッヒTulio Raggi(ハバナ、1938年生)とマリオ・リバスMario Rivas(サンタクララ、1939年1月29日生)は主に若い方のグループ向けの作品を作り、フワン・パドロンJuan Padrón(カルデナス、1947年1月29日生)(訳注:本人のプロフィールと出身地が違うがどういうことなのか?)は年上の子供たち向けの仕事に特化していた。
 これらのアーティストたちの貢献は1980年代に入るまで続き、この時代にキューバのアニメーションのスタイルの実験が始まり、大人向けのテーマが発展し始めた。1964年にEl profesor Bluff(ブロフ先生)でデビューしたラッヒは、El cero(ゼロ;1977年、数学)El tesoro(宝物;1977年、地理)のような楽しい教育映画や次のようなキューバの歴史に基づく3本の映画を発表した。El negrito cimarrón(小さな黒人の逃亡奴隷;1975年)、El trapiche(きび引き器;1978年)、El palenque de los esclavos cimarrones(避難所;1978年)。最後の作品は黒人奴隷の反乱と山岳地帯への逃避に基づいている。1983年にラッヒはEl alma trémula y sola(震える孤独な魂)を製作した。これは建国の父ホセ・マルティJosé Martíの追放に関するアダルトな主題についての静止画で作られた作品だった。そのタイトルはマルティによる詩の一節そのものである。1890年のニューヨークの濃い空気の中で、この作品は暴動への準備をしている間のマルティの日常の雑事と記憶を描いている。
 マリオ・リバスはParque forestal(森林公園;1973年)でデビューした。彼の子供向けのたくさんの作品の中には、Feucha(みにくい女の子;1978年)やLa guitarra(ギター;1978年)がある。1981年にEl deporte nacional(国民の娯楽)というキューバで特別に人気のある野球の発展と拡散についての作品を監督した。真面目な教育者であるリバスはFilminuto(ハバナのスタジオの様々な作者による短編のコレクション)のシリーズの中のエピソードで刺激的なユーモアを見せた。彼の最高傑作と考えられているのは、El bohío(1984年;ヤシの木の小屋)である。ヤシの木の小屋は国への侵略者により何度も何度も破壊されるが、カストロによる独立の宣言まで、ある家族により毎回再建される。ギャグとリズムに富んだキューバの歴史についてのこの簡明な小論は、巧みなイデオロギーと娯楽のミックスである。
 次のようなコミック・ブックのアーティストもアニメーションに貢献した。例えば、マヌエル・’リロ’・ラマールManuel'Lilo'Lamar(マトホMatojoという彼のキャラクターとともに)、セシリオ・アビレスCecilio Avilés(セシリンCecilínとコティCotiとともに)、そして、とりわけ、フワン・パドロン。15歳のときからパドロンは二メーションに興味を示していた。フワン・パドロンは、ヘスース・デ・アルマスのスタジオで一時期基本的な仕事を学んでいだ。さらに、アーティストとしての彼の教育はコミック・ブックで始まった。1970年に、エルピディオ・バルデスElpidio Valdésという彼のキャラクターは、子供週刊誌Pioneroのページで生まれた。バルデスは「マンビmanbi」、すなわち、スペインの植民地主義者と独立のために戦う、19世紀のキューバの愛国者である。風習や物、制服、さらには食べ物まで広範囲の調査の末に、パドロンは子供たちの先祖の生活の歴史的に正確なイメージを提示した。コミック・ブックで語られた長編「小説」として、また、同様にアニメーションとして。
 パドロンは、Elpidio Valdés contra el tren militar(エルピディオ・バルデス対武装列車;1974年)で監督デビューした。同じようなエピソードの続編がそれに続いた。1979年、ICAICの20周年の機会に、Elpidio Valdés(エルピディオ・バルデス)と題されたキューバで始めての長編アニメーションを製作した。2本目の長編Elpidio Valdés cóntra dolar y caňón(エルピディオ・バルデス対ドルと銃;1983年)で、その受けの良い反逆者は依然として独立のために戦っていた。今回は武器販売業者やスペインのスパイに立ち向かった。漫画漫画した絵と程良い量のユーモアで作られていて、これらのアドベンチャー映画は若者たちの間で大人気になっただけでなく、学者たちの間でも人気が出た。
 多産なアーティストであるパドロンは別な企画でも同じように働いた。その中には、賞を取った短編La silla(椅子;1974年)やLas manos(両手;1976年)がある。1980年に彼はFilminutoを始めた。1985年に、アルゼンチンの漫画家でユーモリストのホアキン・'キノ'・ラバドJoaquin 'Quino' Lavadoとの共同制作でQuinoscopioのシリーズを開始した。その同じ年に3作目の長編Vampiros en la Habana!(ハナバの吸血鬼)を発表した。吸血鬼が日中活動できる発明の陽気な大騒ぎの物語である。ホラー映画とギャング映画の結婚、それは、「楽しい露骨な戯画」とヴァラエティVariety紙で歓迎された。注目すべきユーモリストのパドロンは、その膨大な作品において、文化の要求と娯楽の必要性を結びつけバランスさせた。と同時に、彼と同世代のキューバのアニメーターたちに対してリーダーシップを発揮した。

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