2026/06/06

娘たずねて三千里だと思ったら、または、「シラート」はしらっと通れない

 オリベル・ラシェ監督の「シラート」を見た。砂漠の中でのレイブパーティ(ビートの効いた、というより、ビートしかない音楽に合わせて体を動かす集団)。そこに不似合いな男と男の子。家を出て行った娘を捜すためやって来たが、娘はいない。次の会場に向かう参加者たちについて行くが、これが砂漠地帯の道なき道を行くのである。親子の乗るシトロエンのミニバン、エバシオン(脱出という意味。この名前だからこの車が使われたように思える)ではなかなかきつい。パリ・ダカール・ラリーみたいなものかと思って見ていると、ちょっと退屈になってくる。子連れの危険な旅だったら「マンダロリアンとグローグ」の方が息をつかせず面白く見れたぞ、と思う。
 ところが、突然、このラリーのようなものが「恐怖の報酬」に変わる。ええ、親子の感動ものではなかったのかと、ここで気づく。過酷な状況で、弱い存在から命が奪われていく。突然線路の上を走っていく映像になるのだが、車で走っているはずなのに変だなと思う。これはラストシーンで種明かしされる。シラートとはやっと渡れる幅の小さな橋のことで、生と死の間という意味らしい。過酷な砂漠を安全に通過できるのはこの細い線路しかない、ということなのだ。これはかなり凝った社会寓話の映画である。

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2025/06/20

電脳の歌 スタニスワフ・レム

 スタニスワフ・レムの新刊「電脳の歌」を読み終えた。

 量子力学を学んでいた頃、本書の中核をなす「トルルルとクラパウツィウスの七つの旅」が「宇宙創世期ロボットの旅」というタイトルで集英社から出ていたのを読んで、今回の翻訳では「探険旅行その三、あるいは確率の竜」と題されている短篇に、笑い転げてしまった。量子力学が「竜子力学」(あるいは素粒子論が「素竜子論」)と呼べるものに翻案されていたからである。理解に苦しむ量子力学の根本の発想が、これほど面白い「おとぎ話」に換えられていた痛快さ。この瞬間に、自分にとってのSF作家のナンバーワンはレムだ、となって、その評価は今でも変わらない。この新訳で読み直したわけだけれど、40年前ほどには面白さを感じなかった。それは、量子力学の理解が自分の中で進んでしまったためか、それとも、この間に量子力学ネタの小説・映画をたくさん目にするようになったためか。今回読み直すと他の短編で現在の量子情報理論につながるものもあるのに驚く。この短篇集の作品は、1作を除いて主に1965年に書かかれていることも驚異である。現在の情報と物理学の重なり合い、最先端の科学技術の話題がすでに語られているのである。

 例えば、「探険旅行その六、あるいは、トルルルとクラパウツィウス、第二種悪魔を作りて盗賊大面を打ち破りし事」の第二種の悪魔は、マックスウェルの悪魔の本質を明確にしたシラードのエンジンに似ている。実は、シラードのエンジンなるものは最近、情報と物理学の関係の雑誌記事を読んで知ったので、昔読んだ時に比べるとこの短篇は面白く感じられた。1965年にシラードのエンジンを知っていたと思われるレムは、時代に先駆けた感覚を持っていたのだろう。シラードがこのエンジンについて最初に発表したのは1929年だけど、自分が物理学生だった頃はあまり話題になっていなかったが(逆に、情報のエントロピーと熱力学のエントロピーを同一視するのは危ないという注意の方がなされていたように思う)、このところ情報は物理だという考え方が一種の流行になっていて再注目されているのである。

 完全な初紹介の「ツィフラーニョの教育」は訳者泣かせの言葉遊びが特徴。特に「一人目の解凍者の話」は音楽用語が中心になったもので面白い。「二人目の解凍者の話」はどこが面白いのだろうか、と思って読んでいるうちに、唐突に終り、それで、この短篇も終わってしまう。はしごを外されて宙ぶらりんの状態に読者は置き去りにされる。何か深い意図はあるのかないのかも不明のまま。これもレムだ。

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2025/01/15

C4ピカソが活躍する映画

 「動物界」をシネプラザ・サントムーンで見てきた。冒頭、主人公の高校生が母の見舞いに病院へ嫌々連れていかれるときに乗り込んだ自動車のドアの形状、内装のデザインが、あれ、これは我が愛車に似てないか、と思った。そのうちにフロントとリアが映し出されて、旧型のグランドC4ピカソだった。このピカソ、母親を探すとき、クライマックスで森の中に逃げ込むとき、大活躍である。
 その森の中で道を外れ藪に突っ込んで止まったピカソから主人公が飛び降りてさらに奥に駆け出していくラストシーンで、主人公に、かならず生きのびろよ~と声をかけたくなった。こういう気持ちになったのは久しぶり。この感覚は「ぼくのエリ 200歳の少女」の時と似ている。「ロブスター」も連想させるけれど、こちらの方が未来への希望に満ちている。
 この作品の上映前に、マン・レイ×ジム・ジャームッシュの映画『RETURN TO REASON/リターン・トゥ・リーズン』の予告編をやっていて驚いた。リュミエールに続いてマン・レイが地元の映画館で見れるというのは信じがたい。

 で、そのリュミエールだが、シネマサンシャイン沼津で「リュミエール!リュミエール!」が上映されて見にいった。これは、リュミエールの会社で撮影された1本50秒の作品を110本まとめたものである。フォーレの音楽がつけられ、解説のナレーションが入る。1作品(メリエスのような作品)を除いて見事に修復されていて、黒白のパンフォーカスが美しい。19世紀末の記録としても価値がある(日本撮影のものもある)。ナレーションの訳が字幕で出るのだが、これが映画だという構図の画面を邪魔なしで見れる吹替版であってほしかったと思う。調べてみたら、前作にあたる2017年公開の「リュミエール!」は吹替版だったので、同じようにできなかったのかな。コッポラの2019年の「工場の出口」のリメイクがオマケでついている。

「ロード・オブ・ザ・リング ローハンの戦い」も見た。力作である。ラルフ・バクシの「指輪物語」を連想したり、3DCG背景のシーンでは、フライシャーの立体模型背景みたいだ、と思った。歳をとったためか、戦闘シーンが長く続くと、見ているのがしんどい。ガンダルフに会う続編が見てみたい。

 実は、今年の正月の初映画は「妖星ゴラス」。画像も音響もクリアで、二瓶正典(正也)の声ってこんな感じだったけ、と思う。今まで気にかけていなかった音楽が気になって石井歓について調べてみたら、かの石井真木の兄で、なんと我が母校の学生歌(歌った記憶はないが)の作曲者だった。来年は、ぜひ「宇宙大戦争」が見たい。

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2024/04/08

オッペンハイマーの二重性

 クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」見てきた。3時間が長く感じられなかったのは、大学時代に物理を学んでいた時に知った凄い科学者たちが次から次へと出てくるからか。全くセリフがなく名前も呼ばれない、ボンゴを叩く若い科学者が出てくるのは、物理系の人にはすぐに誰だかわかるよね的なトリビアか(ファインマンである。今、「ファインマン物理」読んで物理の学び直しをしている最中)。ということで、ある程度オッペンハイマーについて知っている人間は、ノーラン特有の時系列が入り乱れる展開でもついて行けると思うが、登場する科学者についてはアインシュタイン位しかわからん一般的な日本の観客にはどうなのだろう? 日本公開が遅くなったのは原爆に関する扱いというよりも、案外この部分ではなかったのだろうか。

 ルイス・ストローズの査問の様子がこの映画における「現在」として扱われていることから思うのは、20世紀のアメリカ合衆国史において最大の汚点は、原爆の日本への使用ではなくて「赤狩り」だった、と多くのアメリカ人は考えてるのではないかということ。広島や長崎の被爆の状況が直接描かれないのは、オッペンハイマーに関する映画だからだということで納得は可能だが、オッペンハイマーが自責の念に囚われる悪夢的なシーンにもそれがないことからもそう思う。

 オッペンハイマーの物理学者の業績としてブラックホールについての最初の論文が出てくるが、なぜ、湯川秀樹の中間子論を欧米の科学者の中でいち早く評価して、中間子論を発展させる論文を書いたことには触れなかったのか。戦後、日本への贖罪かのように湯川のノーベル賞受賞に動き、プリンストンにも招いた、ということに全く触れていないのは、原爆の惨状を直接表現してないのと同様に、残念なことである。

 最初の方で量子力学における粒子性と波動性のイメージシーンが出てきて、ちょっと普通過ぎる視覚化と思った。その後も何度か出てきて、これは、オッペンハイマーその人のことをも象徴しているのだと思い至った。粒子性と波動性のように両立するとは思えないもの(愛国者とコミュニスト、ジーンとキティ、研究者生活と家庭生活、原爆開発者と水爆反対者、科学的成果の公表と軍事機密の守秘義務等々)がオッペンハイマーという人物に付きまとう、ということを、ノーラン監督が描きたかったのだ。これもまた、ノーランらしさ。

 そのノーラン監督の処女作「フォロウィング」が上映されるようになったので見てきた。処女作にはその作家の総てが胚胎されていると思うことが多いが、まさにそういう作品だった。ノーラン作品の特徴の総てがこの中にあり、この処女作が一番面白い、と思ってしまう。

 

 「オッペンハイマー」を見てマンハッタン計画を詳しく知りたくなった人には、リチャード・ローズの「原子爆弾の誕生」を読むことを勧めたい。上下2巻で、2巻とも分厚いが、原爆開発を科学的な原理からきちんと書いている本は他にない。

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2024/03/28

砂の惑星と流転地球

 SF映画の大作を2作「デューン砂の惑星PART2」「流転の地球 太陽系脱出計画」を見てきた。その感想。

「デューン砂の惑星PART2」は公開されるのを待ていた作品だった。前作と同様に原作を丁寧に映像化していて、これで最後まで描かれるのかと思ったら、原作とは違った展開になり、この続きが見たいと思うちょっと驚くラストシーン。全体を通して思うのは、同じ監督の「メッセージ」にも通じる、未来がわかっていても、今この瞬間の自由意思で望む未来を切り開けるはずだということ。映像表現としては、砂虫を乗りこなすシーンが白眉なのであるが、新鮮な驚異を感じないのは、原作小説の影響下に生まれた多くの映画(トレマーズ・シリーズその他、「風の谷のナウシカ」など)で似たシーンをすでにみてきたためだろうな。

「流転の地球 太陽系脱出計画」は全然知らなかった作品だが、シネプラザ・サントムーンで上映されていて、「三体」の作者の短篇が原作だというので見に行った。映画では初めて見る宇宙エレベータや、月面での作業のシーンで「SFは絵」だからこういう「絵」が見たいというショットがあって、久々の宇宙SF映画の快作だと思った。東宝特撮映画を思わせる部分もあり、メインストーリーは「妖星ゴラス」のパワーアップ版だなと思う。これに絡むサブストーリーは「2001年宇宙の旅」的なAIの話。今年の午前十時の映画祭に「妖星ゴラス」が選ばれたのはこの作品があったからなのかな、とも思う。原題には最後に2が付いているので1があるわけだけど、日本での公開は? 1を見ないでも十分見れる映画ではあるけれど。調べてみたら、1はこの作品の後の時代の出来事を描いたものらしい。

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2024/02/03

「哀れなるものたち」小説と映画と

 映画を見る前に原作の小説を読んでおこうとアラスター・グレイ「哀れなるものたち」を一気に読了。一筋縄ではいかない「哀れなるもの」とは何(誰)か。それを映画ではどう切り取って表現してるんだろうか。すごく楽しみだ。映画を見た人が、何じゃこれ、と思うならそれはそれで原作通りともいえる。

 アラスター・グレイの小説は「ラナーク」を読んだことがある。4巻からなる作品だけども、3巻から始まるという不思議な作りの作品で、画家でもあるので、奇妙な味わいの自作のイラストもたくさん入っている。巻頭のこのイラストに、人体解剖図のようなものがあり、これは「哀れなるものたち」につながるイメージ。1,2巻と3,4巻で違う話になっていて、最後の方で、これは親子の話であって繋がりがあるらしいとなんとなくわかるというもの。この不思議な、SFでもありミステリーでもありゴシック・ロマンでもあり、作者の自伝的要素もある実験小説は読んでいて面白かった。

 そのグレイの作品を原作とした、「ロブスター」というこれもまた奇妙な印象に残るSF映画のヨルゴス・ランティモス監督の映画である。これは、見逃してはいけないと、原作を読み終えた次の日に見てきた。原作では手紙の書き方や内容の変化で表されている、主人公ベラ・バクスターの幼児から大人の女性への精神的成長を、エマ・ストーンが見事に演じているのが凄い。その演技以上に、良いと思ったのは、不安を掻き立てるような音楽。フランケンシュタイン物と思わせといて実は・・・という部分は原作より弱くなっているのがちょっと残念。原作は、ありえない物語を実際に起きたことだと思わせるための仕掛けがなされているが、映画の方では、寓意的ファンタジー世界の画作りであった。

 色々なところが原作から改変されているが、まったく違っているのはクライマックスのシーン。この改変はそれなりに理解できる(原作の対応する部分はちょっとモタモタ感がある)が、このクライマックスに至る直前のパリの娼館でのエピソードで、フェミニズム観点から原作を切り取っているように思われるのに、男性医師による性病定期検査をカットしてしまったのはなぜだろう。主人公の自覚の強さを示せるし、監督好みの衝撃的映像も作れるのに。

 原作は、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」のようでいて、H.G.ウエルズへの意識も相当にあると感じるのであるが、映画では、それが直接的には表わされていない。ただ、ラストシーンでそれを暗示しているようには思われる。

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2023/12/31

またまたCS映画の日々

 今年1年もCSの映画チャンネルで、劇場公開時に見落とした映画やら、昔からタイトルは知っているのに見たことのなかった映画、地元の映画館ではかからない映画など、170作見た。昨年より本数が減っているのは、町内会長の仕事のためか。

 西部劇をずっと見続けているけれど、一向にこれは見たという状態にならないくらいに初めて見る作品が放映されている。その中では「戦う幌馬車」が「サボテン・ジャック」のカーク・ダグラスの元ネタだというのが分かって長年の疑問が解消された。マカロニウエスタンでは「群盗荒野を裂く」が二転三転するストーリー展開で傑作であった。昨年クリント・イーストウッド出演のものはだいぶ見てしまい、ジュリアーノ・ジェンマ出演ものを何作か見た。その中では「荒野の大活劇」が、銀行家のじゃじゃ馬娘と悪人になり切れない兄弟のコメディで面白かった。コメディ西部劇ということではディーン・マーチンとアラン・ドロンの「テキサス」も楽しい。

 アラン・ドロンの作品もいくつか見た。以前見たのだが、ほとんど初めて見るのと同じだった「レッドサン」と「太陽がいっぱい」。後者はやはり傑作である。

 今頃になって初めて見たというのが「合衆国最後の日」「恐怖の報酬」(1977年ウィリアム・フリードキン監督版)。どちらももっと早く見ておくべきだった。後者はオリジナルのクルーゾー監督作と勝るとも劣らない作品になっている。「用心棒」のギャング版「ラストマン・スタンディング」やオックスフォード辞典編纂の裏話「博士と狂人」、中国映画の「山の郵便配達」(犬がいい)、伊丹十三の「マルサの女」も同様である。

 劇場公開時に見に行こうかと思ったが結局見に行かなかったので、やっぱり見に行っておくべきだったと思ったのが「ケイコ目を澄ませて」「オートクチュール」「MINAMATAーミナマタ」「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」。「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」で問題になっている汚染物質の仲間は規制されないまま、浜松や清水でも問題になっている。

 監督特集として放映されたものでは、トリュフォー監督の「ピアニストを撃て」「日曜日が待ち遠しい!」がやはり面白い。ジャック・リベットやシャンタル・アケルマンというよく知らなかった監督作品も見た。中国のジャ・ジャンク―監督も知らなかった監督だが、田舎から都会に、あるいは、開発が進みつつある地域への出稼ぎの実態を知ることができ、「雄獅少年/ライオン少年」を理解するのに役立った。ヴェンダース作品もだいぶ見たが「アメリカ家族のいる風景」が一番面白かった。

 インド映画も見たが、戦いと争いのアクション作品よりも、貧しい高校生たちをインドの東大と言われる大学に合格させる「スーパー30 アーナンド先生の教室」がいい。自転車がしゃべり「荒武者キートン」に言及する「あなたがいてこそ」もいい。総じてインド映画を見てしまうのは、ヒロインがやせすぎていなくて健康的な美女であるということも大きい。

 SFやサメ物、古典ホラーのリメイクなども見たが、その中では、イタリアのエロ・コメディSFの「セックス発電」のオチが面白かった。本当はこういうジャンルの作品の方が好きなのだが、なんだかいまいちな作品が多かった。

 年末になって、渥美清の寅さん以前の作品、「喜劇 急行列車」「喜劇 団体列車」「喜劇 初詣列車」「ブワナ・トシの歌」を見た。アフリカロケの「ブワナ・トシの歌」がやはりいい。この映画に写っているアフリカの光景もどれだけ残っているのだろうかと思う。列車シリーズは、佐久間良子の美しさに目が行くが、「団体列車」「初詣列車」に「キャプテン・ウルトラ」のアカネ隊員を演じた城野ゆきが出ているのが嬉しかった。アンヌ隊員よりアカネ隊員の方が好きだったのですよ。人情喜劇というよりサイケの時代を反映したスラプスティック喜劇の「初詣列車」が一番好みだ。今年亡くなった財津一郎もいい味出している(「ブワナ・トシの歌」のギャグもある)。
 

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2023/05/14

ティファニーで昼食を

 去る金曜日、家族で伊豆高原方面に出かけた。娘がテディベア・ミュージアムとニューヨーク・ランプ・ミュージアム&フラワーガーデンに行きたいと言ったのが発端。妻が城ケ崎海岸の有名な門脇吊り橋&灯台に行ったことがない、ということだったので、じゃそのあたりを周ろうということになった。娘が小さい頃にかなり頻繁にこの方面に遊びに行っていたが、伊豆急の線路を越えた側には行ったことがなかったのだった。
 それで、ドライブのルートであるが、伊豆高原駅への最短ルートということで、本当に久しぶりに冷川から中伊豆バイパスを通るのではなく、遠笠山道路に出る狭い県道を通った。この道を始めて通った40年近く前に比べれば道幅は広く走り易くなっているが、何か所か対向車との行き違いに気を使うところは残っている。前回ここを走ったのは確か、シトロエンC4に乗り始めたばかりの頃だったと思う。大室山のふもとの蝋人形美術館の交差点にこんなにすぐについてしまうのか、と思った。天気が良くドライブ日和である。

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 最初の目的地テディベア・ミュージアムでは、スタジオ・ジブリ協力の「となりのトトロ」の特別展もやっていて、実物大のネコバスの中に乗ることができたり、設定資料の基づいて人形を作ってます的展示があって設定資料(の拡大コピー)も見ることができた。本体のテディベアの方は、その起源であるセオドア・ルーズベルトについての説明部分の展示が一番興味深かった。ついこの間、テディ・ルーズベルトが大事な役回りで登場するジョン・ミリアスの「風とライオン」を見たばかりであったので余計に気になったのである。同じクマつながりで、プーさんや3匹のクマに関するものを多数あり、ちびくろサンボと一緒に描かれた絵もあって、この絵が見れたことが今回の最大の収穫。併設のカフェでちょっと遅めのティータイムをとり、やはり併設のクッキー屋さんで土産のクッキーを購入。

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 続いて、門脇灯台&吊り橋に向かう。一番近い駐車場に行こうとするが、テディベア・ミュージアムからこの方面に向かう道は初めてで、所々で間違う(ナビは付けていない)。吊り橋遊歩道駐車場→という看板があってこれかと思って進んでいったら、そこは、吊り橋の後に行くつもりだったニューヨーク・ランプ・ミュージアム&フラワーガーデンの大駐車場で、昔、遠足でよく来た海洋公園の駐車場であった。海洋公園がリニューアルしてニューヨーク・ランプ・ミュージアム&フラワーガーデンとなっていたのであった。それで、とって返して、元の道の戻り、門脇吊り橋最寄り駐車場へ。ここもはるか昔に来た時とは違って整備された市営駐車場になっていた(駐車料金500円)。

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 再びニューヨーク・ランプ・ミュージアム&フラワーガーデンに戻り、駐車場から遊歩道に少し入った所にある東屋で、おにぎり昼食。本日の目的は、2つのミュージアムに併設されたカフェでお茶することなので、昼食は質素に済ますのである。で、ニューヨーク・ランプ・ミュージアム&フラワーガーデン入園である。フラワーガーデンの様子は海洋公園の庭園だった時から変わっていなかった。最近はやりのアンブレラ・スカイなる部分もある。海岸の方に目をやると蓮着寺前の海岸のあたりに海に突き出た岩と岩を結んで鯉のぼりが泳いでいる。ランプ・ミュージアムではアンティークティファニー作品が展示されている。この別館が海を見渡せる(伊豆大島が良く見えた)テラスのあるカフェになっている。個人的には南フランスあたりのリゾート地に来た気分でちょっと早い午後のティータイム。結局、ティファニーでデザートを、である。

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 本日最後は、このところこの方面に来た時には必ず寄っている「まぼろし博覧会」。昨年、いろいろなTV番組で取り上げられて入場者が増えたせいか、展示ルートが整備され、近隣の飲食店の案内チラシが、昭和の混沌の中にあったりする。全共闘の夢の後、みたいな感じの、この猥雑なカオス! 昨年来た時にはできていなかった広島のストリップ劇場の再現展示が完成(?)している。小学校低学年の時買ってもらって遊んだ記憶のあるディズニーの家庭盤(ボードゲーム)が無造作にあったり、ポパイとオリーブの年代物の人形があったり、日本だけでなく海外アニメのキャラクター商品もあるのがいい。

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2022/01/22

スタニスワフ・レム「地球の平和」

 昨年暮れに発売されていた、レムの「地球の平和」を読み終えた。泰平ヨン・シリーズの最終作でレムの最後から2番目の長編。よく訳してくれました、ありがとう、というのが第一番の感想。最後の長編「大失敗」よりも面白く、こちらの方がレムの集大成の作品らしく感じる。本書の第一のテーマである、右脳と左脳の分離というのは、P.K.ディックの「スキャナー・ダークリー(暗闇のスキャナー)」を思い出させる。ディックからの影響は何かあったのだろうか? 「インヴィンシブル」からの流れをくむ、小型分散化の方向に自動進化した兵器がもう一つのテーマ。難解な文章が続いたかと思うと、突然挟まるハリウッド映画のようなアクションシーンがアクセントになっていて、飽きさせない。読んでいて楽しかった。読み終わってしばらくしてから、この結末はウエルズの「宇宙戦争」じゃないかとも思う。

 タイトルの「地球の平和」(英語で、Peace on Earth)は聖書のルカ伝からとられたものであるが、同じ言葉をタイトルにしたMGMのヒュー・ハーマン監督の1939年作の漫画映画があって、この作品は、世界大戦で人類が滅亡した地球で生き残った動物たちが人類の犯した過ちを繰り返さないように平和に暮らしていくのだ、という作品だった。「まんが宇宙船」という番組で「動物たちの国づくり」というタイトルで放映されたのをみて、第一次世界大戦の西部戦線の様子を基にリアルにアニメ化したシーンの悲惨さと人類の真似をしてはいけないよと言われる動物の子供たちのかわいらしさの対比が印象に残る佳作であった。レムの本を読みながら、この作品のことも思い浮かべていた。

 

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2021/06/19

トマス・ピンチョンのブリーディング・エッジ

 ピンチョンの新作「ブリーディング・エッジ」読了。主人公から極端に離れることなく叙述されていくので、ピンチョンの小説としては今までになく読み易い。2001年のニューヨークが舞台で、9.11に関わる国際的陰謀(?)に気付いた2児の母マキシーンのアニメ的探偵アクションと昼メロ的ホームドラマが、アクロバット的に結合している。百科全書的と言われるあらゆるものにこだわった記述はこの作品でも全開。年代的にインターネットやゲーム(ナムコのアーケードゲームやニンテンドーの家庭用ゲーム機からネット上の怪しげなものまで)に関するものが多い。そういう意味で、現在の若者がピンチョンを初めて読むには最適な作品だと思う。
 個人的には、「ダフィー・ダックみたいに暴れたくなる衝動」「平和目的の活動をする、モスラみたいなバタフライ」といういつもの調子の表現にニヤリとし、ロシア系登場人物の「『霧につつまれたハリネズミ』、あれは史上最高のアニメーション映画」というセリフに思わずひっくり返る。また、自動車に関する記述もマニアックなのだが、その中でも、「シトロエン・サハラは六十年代に製造された時代物で前後二基のエンジンを付けた砂漠仕様の四輪駆動、(中略)ふつうの2CVと同じに見える」には宮崎駿か、と思う。
 巻末にニューヨークの地図があり、帯には、主要登場人物(47人)一覧があり、本文を読みながら、ここはどこ?あれ、この人、誰?、と思った時に役立ってありがたかった。

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