2023/01/06

フライシャーについての新しい本

Dsc_0846hs_001 `MADE OF PEN & INK:FLEISCHER STUDIOS THE NEW YORK YEARS' by G.MICHAEL DOBBS が届いた。表紙の見かけが 'The Art and Inventions of Max Fleischer'に似ているので最初amazonで見つけたときはこの本は持ってると勘違いし、その後見直して新しい本と気づいてあわてて注文したものだ(注文したのは日本のアマゾン)。著者は、アニメ雑誌Amimato!やAnimation Planetの編集発行人だった人。自分と同世代でTVでポパイなどに熱狂し、大学時代に上映会で再見してフライシャーについての本を書こうと思たち、デイブ・フライシャーやリチャード・フライシャーなどと連絡を取り、当時健在だった多くの関係者にインタービューし、特に、アニメーター/演出家のマイロン・ウォルドマンMyron Waldmanの協力を得て、1990年には出版されていたばずだったものが、さまざまな経緯で今になってしまったもの。続刊も準備中とのこと。これから本文を読もうと思うが、これまでに出版されているフライシャー関係の本にはない視点が得られそうな本である。
 フライシャーについての本と言えば、まず、Leslie Cabargaの'THE FLEISCHER STORY' が思い浮かぶが、この本はデイブ・フライシャーからしか協力が得られておらず、マックス・フライシャー側からすれば問題のある記述があった(改訂版では多少修正されている)。マックス側の視点で書かれたものとしては、マックスの息子のリチャードが書いた「マックス・フライシャー アニメーションの天才的変革者」Out pf the Inkwell があるが、ドブスDobbsによれば、ベティ・ブープに関しての記述には何か所か間違いがあるという。この本自体もドブスとリチャードとの共著という話もあったようだが、晩年のリチャードが父への思いを込めた本にしたいということで共著にはならなかったそうだ。リチャード・フライシャーが日本でもファンがかなりいる映画監督でその遺作となった著書であり、かつ、ジブリ配給で「バッタ君町に行く」が公開されることもあってか、原著が出版されてすぐにと感じるタイミングで邦訳が出た。ドブスの本もそのうちに翻訳出版されてほしいと思う。
 

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2013/07/20

「重力の再発見」の発見

 ダークマターの存在なしに銀河回転速度の異常を見事に説明できる理論、修正重力理論(MOG)の提唱者ジョン・W・モファットが自説を一般人向けに丁寧に解説した書「重力の再発見」(水谷淳・訳、早川書房)を読んだ。

 MOGにモファットがたどり着いた歴史と背景を説明するために、なんと9章、256ページを割いている。このところたくさん出ている宇宙論本で、このあたりのことを知っている人は読み飛ばしてもいいかも。

 10章からMOGの解説がなされる。宇宙の観測データに合わせるために自由に調節できるパラメータがないのに観測データと一致する範囲が広いというMOGの特徴が説明され、超弦理論やループ量子重力理論などよりは検証可能性が高そうな理論であることがわかる。モファットがこの結論に至り、興奮し、ついにアインシュタインを超えられると確信したことが、臨場感を持って伝わってくる。ランドールやサスキンドが自説について解説した本より、はるかに科学研究の醍醐味が感じられる。この本の一番良い点はここにある。9章256ページはこの感動を伝えるためにあるのだ。

 MOGでは万有引力定数がニュートン、アインシュタインの場合と違って、時空の変数になるのだが、それは、ニュートンが発見した万有引力のポテンシャルにプラスして、湯川ポテンシャルで表現される銀河系スケールで強く利く第5の力がはたらくという形でも表現される。湯川ポテンシャルは、湯川秀樹が強い核力を説明するために導入した中間子(メソン)を示すものだ。素粒子の標準理論ではクォーク理論によって強い核力が説明されるので湯川の名前も出てこなくなってしまったのだが、アインシュタインを超える理論に出てくるのは、我々日本人には痛快に感じられることである。
 湯川ポテンシャルが出てくるということは、この第5の力は質量を持つメソンと同様の粒子としてもあらわせるわけで、モファットはこれをファイオンと名づけている。このファイオンは、アインシュタイン理論における宇宙項と同じ役目をしている。ということは、宇宙項がダークエネルギーの存在理由なので、モファットの理論であっても、ダークエネルギーの問題は解決していないと言える。モファット自身もその点をきちんと認識している。

 MOGに興味を引かれるもう一点は、特異点を持つブラックホールが存在しないということだ。この理論が正しいのなら、ホーキングたちが長い時間をかけて議論してきたブラックホールで情報は保存されるか?ということは、まったく無駄な議論となってしまう。そうなったら面白いかも、と思う。

 
 MOGをネタにした宇宙SFって書けないかなあ。もしかしたら、すでに誰かが書いてるかな。

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2013/04/27

「ブラックホールを見つけた男」アーサー・I・ミラー 阪本芳久・訳 草思社

 白色矮星の限界質量を見出し、それを超えた質量の星は重力でつぶれてしまうこと、つまり、ブラックホール、を世界で初めて理論的に導いたインド人天体物理学者のスブラマニアン・チャンドラセカールの伝記である。チャンドラセカールの師である、一般相対性理論でないと説明できない重力による光の屈折を検出したエディントンとの確執が本書のテーマとなっている。
 一般相対論を当時一番理解していたはずのエディントンが、チャンドラセカールが一般相対論と量子論に基づき見出した重力崩壊を、徹底的にありえるはずがないと叩いたということは、物理学の歴史の一典型(同時期に、アインシュタインが「神はさいころを振らない」と徹底的にボーアに噛み付き続けたことの方がこの例として有名)であるが、本書を読んで、チャンドラセカールに与えた挫折感の大きさを初めて知った。インドからイギリスに出てきた若者が当時の大権威にこれだけやられたら、トラウマにもなろう。
 チャンドラセカールはイギリスからアメリカに渡り、そこで腰を落ち着け、1953年に帰化するのだが、この帰化の前後に、アメリカの第二次大戦後の冷戦時代の水爆開発競争にも関係する(水爆の物理学は恒星の物理学と基本的に同じだ)。このエピソードで、コルゲートという初めて聞く物理学者の名前が出てくる。ブラックホールに関するコンピューターシュミレーションを行ってブラックホールがありえない存在ではないことを示した、ということなのであるが、今まで読んだブラックホール関係の本では見たことのなかった学者名だ。そのほかに登場する学者たちは、20世紀を代表するおなじみの物理学者ばかりだ。

 この本は、2009年に出版されたときに気になっていたのだが、映画「ライフ・オブ・パイ」を見たことでついに読む気になったのであった。

 チャンドラセカールの著書「星の構造」は確か読んだ気がするが、余り記憶にない。書棚のどこかにしまいこんであるので探し出してみよう。

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2012/11/10

ランダウの原姿勢

  「物理学者ランダウ スターリン体制への叛逆」(佐々木力・他・編訳 みすず書房)を読んだ。2004年に出た本だ。旧ソ連において、機密とされていた資料が公開され、ランダウが1930年代末に逮捕・監禁された事件の真相がわかったことを受けての出版であった。この本が出た当時、ちょっと気を惹かれたような気があるが、そのままスルー状態できて、今年になってボリス・バルネット作品の特集上映を見て「ロシア・ソビエト映画史」(山田和夫 キネマ旬報社)を読んで、そうだ、ランダウが気になる、ということで買ったのだった。

 ランダウというと、この本の編・訳者の一人である山本義隆も学生時代を回想して同様のことを書いているのだが、なんといっても「理論物理学教程」というリフシッツと共著の理論物理の教科書のシリーズである。大学2年のときの専門科目の教科書として指定されて購入した「力学」を読んで、その論理的美しさに魅了された。最小作用の原理から、力学が再構成されていて、自分がやりたかった物理はこれだ!、と思ったくらいである。また、先輩から、一般相対論を勉強するなら、このシリーズの「場の古典論」だといわれて、チャレンジしたが、それについては挫折し、教員採用試験を再度受けるために就職浪人していたときに、8月の採用試験が終わった後に、とりあえず最後まで読み終えた記憶がある。量子力学については、ディラックの本が薄かったので同クラスの友人とこれを読む会を数回やったが、これも挫折。やっぱり、ランダウ=リフシッツの本のほうが良かったかと思ったが、量子力学の演習を担当者の助手の先生が、ランダウで勉強していると計算の仕方はできるようになるが深い物理的意味は身につかない、その点では朝永振一郎の本がいい、特に、ハイゼンベルグの行列力学を学ぶには朝永が良い、と言ったのを真に受けて、朝永振一郎の「量子力学Ⅰ、Ⅱ」を買い込んだ。結局、朝永の本も全部読み通せたのは、就職浪人していたときだった。ランダウ=リフシッツの「量子力学」については、結局、後から出た小教程の方を買って読んだ。このランダウ=リフシッツの教科書は東京図書から出ていたのだが、なぜか、「統計力学」だけ岩波書店から出ていて、これも買い込んだのだが、書棚の飾りのまま。

 朝永とランダウは同世代だが、同じ世代のファインマン(大学時代、みんな、先生方も含めて「ファイマン」に近い発音で呼んでいた)も定評のある物理の教科書シリーズを書いている。ファインマンの本は、なぜか、今に至るまで買ってないし、図書館で借りて読むこともしていない。朝永もランダウもファインマンも量子力学を教えてくれる先生がいなくて独学した世代だ。その世代が、それぞれに特徴ある教科書を書いたというのは面白い。ただ、ランダウは文章を書くのが不得意で弟子のリフシッツがすべてを書いた。ランダウもアインシュタインと同様に言語力に問題のあるLD的要素を持っていたのだろう。

 大学時代、クラス対抗のソフトバール大会やサッカー大会に出るにあたって、チーム名はどうするか相談したときに、誰かが「ランダウリフシッツ」っていいんじゃない? と提案したのを妙に覚えている(結局は却下された)。


 山田和夫、佐々木力の文章は、ここのところとんとお目にかからない左翼文化人的文章で、読んでいて妙に懐かしかった。

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2012/08/24

「日本短編映像史 文化映画・教育映画・産業映画」吉原順平 岩波書店

 静岡県東部高等学校視聴覚ライブラリーが数年前に解散になって、そのときに廃棄処分となった16mmフィルムの多くを貰い受け、これらのフィルムのついて多少なりともどのようなものなのかわかる資料を少しでも探したいと思った昨年の秋、本書が出版されたのを知り、購入した。岩波映画の製作現場にいた著者による貴重な資料を集めた本だ。

「第1章教育映画・文化映画・ドキュメンタリー映画」で、これらの映画を歴史的に概括する最初の方に、J.R.ブレイやフライシャーの名前が出てきたと思ったら、その部分はなんと「世界アニメーション映画史」からの引用であった。アニメーションは主眼にないが、本書の性質上、ところどころでアニメ作品やアニメ制作者として知られる人物が出てきて、通常のアニメーション史とは違う視点で取り扱われているのが新鮮である。「すて猫トラちゃん」や「草原の子テングリ」(製作スタッフについて、手塚治虫脚本とだけ紹介している)をスティール写真で取り上げている。

 私が貰い受けたフィルムの中で授業で一番使ったことのある「振動の世界」や昨年始めてチェックしてその記録映画としての力強さに驚いた「原子力発電の夜明け」について、きちんとした記述がある。ところが授業の中で使いやすい長さ10分程度の作品についてはシリーズとしてだけ取上げられていて、個別の作品についてはさすがに触れられていない。戦前から現在までの短編映画の全体像を未来志向でまとめた本なので仕方がない。私が持っている16mmフィルムの多くいの素性を調べるには、また別なものを探して調べていくしかなかろう。

 教育映画の多くは科学映画でもあった、ということで、「教育」と、「科学」あるいは「科学技術」の時代変遷をかなりうまくまとめていて、「視聴覚教育史」や「科学技術史」として読める本にもなっているのが、予想外の内容であった。板倉聖宣の「仮説実験授業」の提唱がかなり古い時代のものだというのは、不覚にも本書を読むまで気づいていなかった。

 このような映画を扱うには、通常の映画よりも広い視点・知識が必要だと痛感させられた。

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2012/07/01

「重力とは何か  アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る」大栗博司 幻冬舎新書

 超弦理論の研究者で「トポロジカルな弦理論」という計算方法を開発し、「ブラックホールの情報問題」というかのホーキング博士が提起した問題の解決に貢献した著者による「万物理論」の最大の候補である超弦理論の解説本である。話題になって久しいが、読んでみた。平易な読みやすい文章で難しい内容を丁寧に解説している。売れている理由はこれだろう。超弦理論登場前までの解説に5章、194ページを割いていているので、このあたりのことは他書で読んで知ってるよ、ということであれば、6章から読んでもいい。7章がこの本の白眉。「ホログラフィー原理」と「双対性」がこれだけわかりやすく説明された文章は初めてだ。

 「重力とは何か」というタイトルからしたら、重力についての別のアプローチである、余剰次元による逆二乗則の破れの問題については、リサ・ランドールの名前と共に簡単に触れてあるだけなのが少々物足りない。この問題については、講談社ブルーバックスから『「余剰次元」と逆二乗則の破れ』(村田次郎)というやはりエキサイティングな本が出ている。

 どちらの本を読んでも感じるのは、自分が大学で物理を学んだ時期は、物理学の研究状況としてはタイミングがあまり良くなかった、ということ。素粒子論では出るべきアイデアは出尽くした感があり、超弦理論もまだ密かに潜行している状況だった。学問としての閉塞感を感じたことは確かだった。こんなすごい論文が出たぞ~などという話を聞くことがあたら、もう少し物理学そのものに固執したかもしれない。

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2012/02/04

『「余剰次元」と逆二乗則の破れ』村田次郎 講談社ブルーバックス

 新書の科学物で久しぶりに最先端の研究の熱気を感じさせる1冊である。「余剰次元」といえばちょっと前にリサ・ランドールの本が訳されて話題になったが、ランドールの本よりわかりやすく余剰次元と余剰次元の存在を見つける実験方法を解説している。

 余剰次元が存在すると、距離の2乗に反比例する万有引力が、たとえば空間の余剰次元の次元数が1次元なら距離の3乗に比例するようになるので、そのずれがあるかどうかを調べればよい。距離の2乗に反比例する、というのが逆二乗則ということで、万有引力の場合、宇宙の大きさのスケールからミリメートルのスケールまでは逆二乗側が成り立っているのは確認されていた(それだから「はやぶさ」は地球に帰還できた)。ところが、ミリメートルより小さい部分ではまだ逆2乗則が成り立っているかどうか確認されていない。だから0.1mmくらいの大きさの余剰次元があるかもしれないのである。余剰次元は超弦理論では素粒子の大きさよりさらに小さいものとして考えられていた。こんなに小さい余剰次元の存在の証拠は簡単に見つからない。それに対して、0.1mmというのは相当に大きいので、その存在の証拠はちょっと努力すれば見つけられそうなのである。著者の研究室では市販のビデオカメラを使って実験結果を解析している。その原理は簡単だと書いてあるが、どう簡単かは説明していない。

 0.1mmあたりでの実験はいくつか行われていて、このスケールではまだ余剰次元があるという結果は得られていない。余剰次元があると期待されるのは、電磁気力、原子核内で働く強い力と弱い力の3力に比べて、重力が弱すぎることを説明でき、われわれの宇宙がどうしてこのようにあるのか、ということにさらに迫ることができるからだ。

 この本を多くの若者が読んで、物理の道に進んでくれるといいなあ。

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2012/01/16

市民のための科学への道のりは遠い?

 今朝の新聞で「小澤の不等式」が実証されたことが大きく報道された。「小澤の不等式」というのはハイゼンベルグの不確定性原理を精緻化した式である(というのは、今日知った)。これは凄いことである。だから、新聞各社が大きく報道した。それは良いのだが、新聞によっては科学というか、科学の発展の仕方をきちんと理解していない表現が気になった。

 私が見たのは、朝日新聞、毎日新聞、静岡新聞の3紙。家で見た朝日新聞の記事は気にならなかった。職場に行って静岡新聞を見て、見出しに「量子力学の基本法則に”欠点”」とあり、「”欠点”」という表現にひかっかったのである。さらに毎日新聞を見たら「不確定性原理に欠陥」とあり、引用符もつかない「欠陥」には非常に違和感を感じた。

 「不確定性原理に欠陥」と書いたら「不確定性原理」が全否定されてしまうような印象を与えてしまう。「教科書の書き換え迫る」という言葉も毎日新聞では大きな活字で書かれている。アインシュタインの相対性原理が出てきてもニュートン力学は教科書から消えたわけではない。今回話題の不確定性原理が出てきても、やっぱり、ニュートン力学は消えなかった。だから、今回のこの発見が他の研究者により追認されて確立された法則と認められても、「ハイゼンベルグの不確定性原理」は教科書に残る。ハイゼンベルグが位置と運動量とを同時に確定することには、量子の世界では限界があると初めて言ったから、その延長の研究により「小澤の不等式」が生まれ、今、実証されたという報告がなされたのである。科学の世界では、新しい考え方が生まれたからといって、それまでの考え方が全否定されてしまうわけではない。新しい考え方は、それまで正しいとされてきた考え方の限界を明らかにして、古い考え方を包含してより広い世界に適用できるものになっていくのである。

 毎日新聞の見出しにはこのような科学の発展に対する理解が感じられない。朝日新聞は「物理の根幹 新たな数式」という見出しで、きわめて妥当な見出しである。毎日新聞の記者さんたちには是非「科学的思考のレッスン」をしていただいて、より良い科学や技術に関する報道ができるようになって欲しいと思う。
(付記:もう一度毎日新聞の記事を読み直した。問題なのは、見出しの表現だけで、記事本文は朝日に比べてわかりやすい部分もある。見出しを決定するときに、センセーショナルな方に振りすぎたということなのだろう。)

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2012/01/15

「科学的思考」のレッスン  戸田山和久 NHK出版新書

 「市民のための科学リテラシーを身につけること」をテーマにした本である。戸田山和久の本を読むのはこれが初めてでなく、「科学哲学の冒険」についで2冊目である。どちらも「科学とは何か」を高校時代に理科が得意でなかった人に理解してもらいたくて書かれていて、それはかなりの程度実現している本なのだが、本当に「科学なんてよくわからんが少しは知っておかないとヤバそうだ」という人たちに読まれているのだろうか? わたしのように高校で理科を教えているか、大学で文系の学生に科学概論みたいな授業を担当している教員くらいしか手に取らないのでは、という疑問である。「学校で教えてくれないサイエンス」とサブタイトルをつけてあるので、このサブタイトルで手に取る人はいるかもしれないが、「科学」だとか「サイエンス」だとかという単語が見えた瞬間に敬遠する人間が日本には過半数はいるような気がしてならないのである。

 本書の第Ⅰ部は「科学的に考えるってどういうこと?」となっていて、この内容は「科学哲学の冒険」のダイジェストのようである。特に疑似科学との違い、統計でウソをつく問題が取り上げられている。第Ⅱ部は「デキル市民の科学リテラシー -被曝リスクから考える」となっていて、福島第1原発の事故による放射能の問題を考えるのに、かなり良い解説になっている。ここでは、「安心」とは「科学的に不確実な相手とずっとうまくやっていけるのか、というシステムに対する信頼の問題」、「市民」と「大衆」の違い、「市民になりたくないなら、科学を学ぶ必要なんか、さらさらない」等の著者の本当に言いたいことが書かれている。特に「市民になりたくないなら、科学を学ぶ必要なんか、さらさらない」は色紙に書いて飾っておきたいくらいの名言である。ただ、市民になりたい人にきちんと科学を教えるシステムがこの国にあるのか、あるいは、お前はそういうつもりで科学を教えてきていたのか、という問題はある。「市民のための科学」というのは大学時代から自分の心にあり続ける問題である(研究者よりも高校の教員を選んだのもこの問題を考えた結果でもある)。

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2011/11/23

論文集は難しい

 円高が続いている。円高の利点はいかさなければと、アニメ洋書を買ってしまうわけである。

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FUNNY PICTURES Animation and Comedy in Stusdio-Era Hollywood
Edited By Daniel Goldmark and Charlie Keil
UNIVERSITY OF CALIFORNIA PRESS 2011

 「イッツ・ア・バード」It's a Bird という人形アニメと実写コメディを融合した作品の作者、チャーリー・ボワーズに関する文章が載っている、ということを見つけて買った本である。カリフォルニア大学出版から出ていることからわかるように、これは研究論文集であった。それゆえに、使われている単語や表現が難しく、読むのに難儀する。とにかく、Rob KingのThe Art of Diddling:Slapstick,Science,and Antimodernism in the Films of Charley Bowersは目を通した。ボワーズについて目新しい情報があるかと思ったが、それは何もなく、DVDを見て誰でも思うところを難しく書いているだけのような気がする。ディズニーやフライシャー、エイヴリー、ティッシュ・タッシュ(フランク・タシュリン)などが取り上げられている。タイトルにあるように、実写コメディとの関係を意識して書かれた論文が並んでいるようだ。エイヴリーに関する論文を次に読み始めたが、ボワーズよりはわかりやすい。


Wiliam Hanna & Joseph Barbera The Sultans of Saturday Morning Jeff Lenburg
Chelsea House 2011

ヤング・アダルト向けの Legends of Animation の1冊。約150ページのうち、70ページまでがMGM、残りがハンナ・バーベラ・プロに関する内容。上記の論文集よりはるかに読みやすい英文であると思うのだが、全部読み通す時間は今のところない。

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The Teachers' Animation Toolkit Britta Pollmuller,Martin Sercombe
Continuum International Publishing Group 2011

 中学・高校でアニメーション製作の授業をするための教師用指導書である。日本の指導書よりはるかに親切にできている。たとえば「ピクシレーション」をテーマにした授業では、「反重力  演じる生徒に飛び上がらせ、ジャンプの最高点を撮影させる。」なんて書いてある。参考にする作品名もたくさん挙げられている。これでアニメの授業するのは物理の授業をするより楽しそう。

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