2016/05/29

テクニカラーの夢、黒白の悪夢 TECHNICOLOR DREAMS And Black & White Nightmares

 昔の、半ば以上忘れられたカートゥーン作品の発掘・修復版のブルーレイを出しているThunderBeanが出した'TECHNICOLOR DREAMS And Black & White Nightmares'を入手して見た。別な会社が出したものだが'Cartoon Roots'と同じように掘り出し物があるのではないかと期待した。
 amazon.comで注文した時にはタイトルの'TECHNICOLOR DREAMS'にのみ目が行っていたので、見始めたら黒白作品が半分以上あるということでどうなってるんだと思い、パッケージをよくよく見たら一回り小さく'And Black & White Nightmares'と入っている。商品名はきちんと確認しておかねばいけませんな。

 タイトル通り、カラー作品の方に掘り出し物がある。その一番手は、「メンデルスゾーンの春」Mendelssohn's SPRING 1931年 サイ・ヤングSy Young作、 だろう。冒頭の機関車と見えたものがイモムシだったというシークエンスのアニメ―トは凄い。カラーはBrewster Color。このカラー映画の仕組みがどのようなものかはわからないが発色もいい。ディズニーのシリーシンフォニーそのものといってもよい内容、作風、作画のレベルである。それに続くのが、テッド・エシュボーTed Eshbaughの3作である。その中でも注目作は、3色テクニカラーの最初のアニメーション作品として作られて、完成直前にテクニカラー社とディズニーの間でアニメーションにおける独占契約が成立してしまったので、結局公開されなかった「オズの魔法使い」The WIZARD of OZ 1932/33年である。とにかく色が美しい(特に緑)。本BDについていた解説のブックレットには「このBDに収録された本作を見て、公開されなかった経緯について掘り出してくれる人が出てくることを望む」と書いてあるのが面白い。

 黒白作品では何といっても、ウサギのオズワルド作品「バンド・マスター」The Band Master 1931年 ウォルター・ランツ作である。ビル・ノーランBill Norlan、ピント・コルヴィックPinto Coluvic、クライド・ジェロニミ Clyde geronimi、そして、フレッド(テックス)・アヴェリー Fred Averyが参加している。この名だたるアニメーターたちがそれぞれ担当したシーンを好きなように作っていて統一感もストーリーもないのが楽しい。ここがアヴェリーの担当だろうなどと想像しながら見るのがこの作品の正しい見方だろう。

収録作品リスト
1「人形は生きている」Dolly Doing 1917 MOTOY COMEDIES
  初期の人形アニメ。市販の人形をそのまま動かしている。黒白。
2「間違った線路」The Wrong Track 1920 The Bray Studio
  ブレイ・スタジオ作品。機関車が牛と衝突して起きるトラブル。黒白。
3「アリス、ネズミに悩まされる」Alice Rattled by Rats 1925 Walt Disney
  ディズニーのアリス・コメディ。アリスは最初と最後に出てくるだけ。猫のフィリッ
 クスみたい、というかそのまま。黒白。
4「火遊び」Playing with Fire 1926 Bud Fisher
  マットとジェフ作品。よく動く。もはや吹き出しのセリフはない。黒白。
5「3匹の熊」Goldilocks and the Three Bears 1928
  コダック制作のおとぎ話シリーズ。黒白。
6「メンデルスゾーンの春」Mendelssohn's SPRING 1931
7「バンド・マスター」The Band Master 1931
8「雪だるま」The Snowman 1931 Ted Eshbaugh
カラー。音楽はカール・ストーリング。
9「スイスの秘策」A Swiss Trick 1931
ヴァン・ビューレンの人間版トムとジェリー。黒白。
10「オズの魔法使い」The WIZARD of OZ 1932/33
11「オペラのミイラ」Magic Mummy 1933
  ヴァン・ビューレンの人間版トムとジェリー。黒白。ベティちゃんの声が聞こえる。
12「インディアンの大騒ぎ」Indian Whoopee 1933
  ヴァン・ビューレンのイソップ物語シリーズだが、なぜか、カビー・ベアがジョン・
 スミスになり、ポカホンタスに助けられる夢を見る。黒白。
13『小人の花作り』To Spring 1936
  MGMのハッピーハーモニー、ビル・ハナ監督。私が見た中で最も画質がいい。
14「急須の町」Tea Pot Town 1936
  テッド・エシュボーのカラー作品3本目。まったくタイトル通りの内容。
16「奇跡の街角」The Enchanted Square 1947 Seymoure Kneitel
フェーマス・スタジオのラゲディ・アン作品。フライシャー的な味が残っている。

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2016/03/15

シトロエンC4ピカソ(1周年限定車)

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 決断した次のクルマは、5人乗りのシトロエンC4ピカソの1周年記念限定車。限定車なので色はルージュ・ルビ(赤)しかなかったが、現行ピカソに乗るならこの色だなと思っていたので問題なし。あとはまだ残っているかということだったが、幸いなことに在庫があった。金利0%ローンというのも後押しになって、購入決定。3月12日土曜日納車。

 限定車はシートの仕様が普通のものと少し違い、これはわが家族にも評判がいい。C4もいいものだったと思うが、その前にローバートゥアラーというすごく座り心地の良いシートのクルマに乗っていたので、家人の評価は少々低かった。リアハッチゲートも電動になっていてこれも大きなハッチをよいしょと開けなくて済むので楽ちんである。

 運転していてC4との違いを一番感じるのが、やはり、オートマ。悪名高いAL4ではなく、アイシン6速ATである。シトロエン・プジョー・グループで国産車と比べて一番のウィークポイントがオートマチック変速機であったが、このアイシンのATで国産車とこの部分では同等になった。変速レバーはDS風のコラムシフトで、右側にある。車庫入れの時に左手でシフトしようとして何もないことに気づき、右手であわてて操作、ということを今のところ繰り返している。
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 インストルメンタル・パネルは大型で、3種類の表示パターンが選べる。昔のDSのボビン型スピード・メーターを再現したようなもの、普通の丸形のスピードメーター風のもの、シンプルなデジタル数字表示のもの。最後のパターンが一番目障りな感じがしないのでこれにしている。
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 C4を買った時には、納車は自宅で行ったのだが、今回はショールームまで来てください、という話。なんだろうと思ったら、ショールームの一角に赤い布に包まれた新車があり、この布を取ってご対面という、小イベントが用意されていた(この様子は、シトロエン沼津のHPのスタッフブログに紹介されている)。

 さて、C4の最終的な走行距離は、以下の写真の通り。勤務先が自宅から近いところに初めてなったので、1年に1万キロ以上走ることもなくなったし、この2年近くは高速道路もろくに走っていない。
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 11年という年月を一番感じさせた部分は、ドライバーズシート横のパワーウィンドウのスイッチ。このスイッチ、乗り始めてすぐに調子悪くなって部品を取り換えてもらった記憶がある。
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 このC4はシトロエン沼津に下取りしてもらったので納車時に乗って行くことになった。そのとき、NHKFMを聞いていたのだが、ちょうど「アニソンアカデミー」をやっている時間で、ゲストがなんと前川陽子だった。それで、C4の中で聞く最後の曲になったのが「夜霧のハニー」。思わずも大好きな、それも、別れの寂寥感がある名曲で最後の道のりをドライブすることになった。

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2014/11/15

佐藤良明・訳「重力の虹」トマス・ピンチョン

 旧訳をやっと翻訳されたと20年ほど前に読んだ。その時に、自分が慣れ親しんでいる分野の用語や表現が全然きちんと訳されていなかったことで、出版社にそのことについて手紙を書いた。そうしたら、訳者の代表者から返信があり、「重力の虹」の攻略本を出す予定なので執筆者の仲間になって欲しい、とあった。その後、このことについて何の連絡も来ず、10年がたって、このとき送った手紙を元に、ピンチョンへのオマージュのホームページを作った。このホームページを作っているときには知らなかったのだが、旧訳の出版元である国書刊行会は「重力の虹」を絶版にしていた。それから、また10年。今度は、原文を確認しながら読むということにはならないだろうと思ったのだが、やっぱり、第3部の「イン・ザ・ゾーン」からところどころで原文を確認することになった。もちろん、その回数は旧訳のときよりはるかに少ない。原書は、旧訳のときに持っていたペーパーバックはボロボロになってしまったので、買い直した大判のPENGUIN GREAT BOOKS OF THE 20TH CENTURY版である。

 最後の1節「落下」で、主人公の祖先のウィリアム・スロースロップ作の賛美歌を歌いましょうというところで、「弾むボールに合わせてどうぞ」と訳されていて、「バウンシング・ボール」とカタカナでは訳されてはいなかった。フライシャー兄弟作の「小唄漫画」などで何作か、ボールが歌詞の上を弾んで歌う部分を示す作品を自主上映で見ていて、これが「bouncing ball」というものだと、解説者の森卓也さんから教えられた者にとって、弾むボールだと卓球をしているようで、しっくりこない。今回は訳注が付いているのだが、バウンシングボールが登場する映画(アニメ)があって、バウンシングボールで観客にさあ一緒に歌いましょうと歌詞を示すのは、その映画のエンディングであり、歌はテーマソングであるということまで説明すべきであろう。私にとって「重力の虹」は、そのエロ・グロ・ナンセンスさ、メカや発明へのこだわり、キャブ・キャロウェイなどへの言及、話のスムーズな繋がりなど気にしないなどの点から、フライシャー兄弟が作ったかもしれないバウンシングボール付き大長編漫画映画なのである。旧訳よりもそういう雰囲気が濃厚な今回の佐藤良明の訳文である。

 ピンチョンが「重力の虹」を書き始める頃、1965年にマイケル・アンダーソンが監督した「クロスボー作戦」という、ドイツ軍のV2号ロケット開発計画を突き止め、それを阻止しようとするイギリス政府とその諜報機関の活躍を描いた映画がある。レーザーディスクで発売されたときに初めてこの映画を知り、「重力の虹」の参考になるんじゃないか、というか、もしかしたら元ネタ?、という興味で買って見た。戦争アクション映画としてみるとそれほど面白い出来ではないが、キャストはソフィア・ローレンやらジョージ・ペパード、トレーバー・ハワードなどなどといったオールスター・キャストの映画で、特撮もなかなかである(この映画の特撮スタッフの多くはその後「2001年宇宙の旅」に参加している)。初めの方で描かれるドイツのロケット開発の様子のリアルさと、後半のスパイアクションのB級映画っぽさの対比が、元ネタとまでは行かずとも、何がしかのインスピレーションをピンチョンに与えたと考えたくなる作品だ。


 今回の佐藤良明・訳でも、ちょっと不満足であった箇所について、以下に示す。

 下巻の580~581ページで、イミポレックスGというピンチョンが創作したプラスティックについての疑似科学的説明が、いまひとつ、それらしくないんだな。

(訳文)
 (a)導線による薄いマトリックスを、<イミポレックスG>の表面に近づけ、両者に密接な相互作用システムを形成する。
(原文)
 (a)a thin matrix of wires,forming a rather close-set coordinate system over the Imipolectic Surface

coordinate system ときたら、「座標系」とするのが物理学的な説明の常である。 matrix は科学用語としても色々訳語があるが、縦横がきちんとそろった「行列」あるいは「表」みたいなものと解するのが妥当だろう。

 「薄い導線を縦横に張り巡らしてイミポレックスGの表面上に密着させた座標系を形成する。」

 この方が、「勃起」を含むコマンドを限定的な領域に送り込める仕組みとして具体的に理解できる。

(訳文)
 科学の他分野における「超音波領域」や「重心」
(原文)
 "Supersonic Region"or"Center of Gravity"in other areas of Science

これは旧訳と同じミス。Supersonic は「超音速」である。サイエンスの綴りの先頭が大文字になっているんで、このサイエンスは特定のサイエンス、つまり、ロケットについてのサイエンスであると解釈するのが妥当。ロケットは超音速で飛行しているのだ。


(訳文)物理的変形φR(x,y,z)がもたらしうる機能上の乱れγRは、<イミポレックス>の下層における乱れγBの有するより強力なパワーpに正比例する(ただしpは整数とは限らず、経験的に決定される)
(原文)"Probable functional derangement γR resulting from physical modification φR(x,y,z) is directly proportional to a higher power p of sub-imipolectic derangementγB, p being not necessarily integer and determined empirically

 これは旧訳と同じpowerの誤訳。「Xの2乗」の「乗」の意味のpowerとしないと、物理の理論でよく出てくる説明のパロディになっているということが伝わらない。2つの物理量xとyの間に何らかの関係がある場合、xが別な物理量tと関係していて、X=at+bt^2+ct^3+・・・t^pとなるときに、yがtのp乗のpという数に比例している、というような関係になる場合がある。多数についての統計的な量の関係の場合、このような説明が案外出てくる。また、二次関数、三次関数、という用語があるが、この二次、三次は2乗、3乗のことで、三次関数以上は高次関数などという。ここで使われているhigherはこの「高次」を意味する。xの何乗ということを考えるとき、普通整数乗を考える。「pについて整数とは限らない」と注釈しているわけだから、明らかにpはp乗の意味である。

 「物理的変形φR(x,y,z)がもたらしうる機能上の乱れγRは、<イミポレックス>の下層における乱れγBのより高次の乗数pに正比例する(ただしpは整数とは限らず、経験的に決定される)」


 さらにもう一つ。旧訳よりは良くなっているが、「重力の虹」である以上「重力」についての真打ちを示す用語を、もっとストレートに訳して欲しかった部分。下巻654ページ。

(訳文)
 離散していた種子が万有引力で内側に向かって結集することのささやかなプレビューであり、救世主が落ちた火花を集めることの予行演習である。
(原文)
 seeds of exile flying inward in a modest preview of gravitational collapse,of the Messiah gathering in the fallen sparks

gravitational collapse は「重力崩壊」と訳される一般相対論的宇宙論の用語で、星のコアがつぶれて自重に耐え切れずに無限に小さくつぶれていき、ついにはブラックホールとなる様子を示す用語である。ブラックホールという用語は「重力の虹」が出版されたころホィーラーによって作られた言葉で、ピンチョンが執筆していた頃にはなかった言葉だ。ブラックホールという言葉がもっと早く作られ現在のように一般化していたら、きっとここにブラックホールと書いたと思う。

 「離散していた種子が内側に向かって飛んでいく。ブラックホールへと突き進む重力崩壊の、救世主が落ちた火花を集めることの目立たないプレビューの中で。」

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2014/10/27

ベティ・ブープは音楽だ

 本国のamazonに予約注文していた、Betty Boop essencial collection Vol.4が届いた。予想していたようにベティが白雪姫やシンデレラを演じる作品が収録されていた。でも、日本を訪れる作品はなくて少しがっかり。今回初めて見て面白かったのは、「ベティの漂流記」。典型的な南の島の原住民が出てくるというのも面白さの一端を担っているが、ハワイアン・メロディとポリネシアン・リズムの音楽が心地よいのである。音楽が耳に残るという意味では、ベティさんが愛犬パジィ他の動物たちに音楽を教える「ベティの音楽学校」。検閲のためスカートが長くされたんだけれど、キャラクターデザインは以前よりも肉感的になった「ベティの大尽道楽」は、ガーター・ベルトがミニスカートの裾からチラチラ見えて、扇情的ということではシリーズ中で一番かと思う。
 「不思議の国のベティ」では、シーモア・ネイテルらしいパースの付いたカチッとした作画が目を引く。「ベティのシンデレラ姫」は画質が良いので、2原色カラーだというのが良く分かる。Sally Swingは、サリーという女の子の方が主人公なのだが、まったく、スイングしまくる音楽でかろうじてベティ・シリーズなんだろうなという作品。

1.Stopping the Show 1932年「花形ベティ」
2.Snow White 1933年 「魔法の鏡」
3.Parade of the Wooden Soldiers 1933年 「不思議の国のベティ」
4.She Wronged Him Right 1934年 「ベティの舞台大洪水」
5.Red Hot Mamma 1934年 「ベティの鬼退治」
6.Poor Cinderella 1934年 「ベティのシンデレラ姫」
7.There's Something About a Soldier 1934年 「ベティは軍人がお好き」
8.When My Ship Comes In 1934年 「ベティの大尽道楽」
9.Zula Hula 1937年 「ベティの漂流記」
10.Riding the Rails 1938年 「ベティの地下鉄騒動」
11.The Swing School 1938年 「ベティの音楽学校」
12.Pudgy the Watchman 1938年 「ベティの番犬」
13.Sally Swing 1938年(邦題なし)

*邦題は筒井康隆「ベティ・ブープ伝」による。

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2014/05/18

キャブ、ルイの芸が残された・・・ベティ・ブープDVDvol.3

'BETTY BOOP THE ESSENTIAL COLLECTION VOLUME 3'のDVDがやっと発売になって入手した。この3巻は、ジャズの巨人ルイ・アームストロングやキャブ・キャロウェイとの共演作を中心に集められている。「ベティ・ブープ伝」で筒井康隆も未見と書いている末期作品もなかなか貴重。収録作は以下の通り(邦題は筒井康隆「ベティ・ブープ伝」による)。

1 Minnie the Moocher 1932年「ベティの家出」
2 I'll Be Glad Where You're Dead You Rascal You 1932年「ベティの蛮地探検」
3 Mother Goose Land 1933年「お伽の国訪問」
4 The Old Man of The Mountain 1933年「ベティの山男退治」
5 I Heard 1933年「ベティの炭鉱奇譚」
6 Ha!Ha!Ha! 1934年「ベティの笑へ笑へ」
7 Stop That Noise 1935年「ベティの都落ち」
8 Service with a Smile 1937年「ベティのモダンホテル」
9 The New Deal Show 1937年「ベティのステージ・ショウ」
10 Be Up to Date 1938年「ベティの出張販売」
11 Out of the Inkwell 1938年(「ベティの催眠術」*後述)
12 Pudgy in Thrills and Chills 1938年

 1と4がキャブ・キャロウェイ、2がルイ・アームストロング、5がこの二人よりマイナーだがドン・レッドマンが自身のバンドと共に出演している作品。5の「ベティの炭鉱奇譚」は初めて見た。炭鉱夫の行進は筒井の書いているとおりちょっと面白い。この4本では、やっぱり、「ベティの山男退治」がいい。6はやっぱり、世界のありとあらゆるものが笑い出してそのまま終わってしまうのが凄い。

 7以降の6本は今回初見。

 7は、邦題に「ベティの都落ち」とあるが、実際には都会の喧騒に疲れたベティが田舎に引っ越すが、田舎は田舎でうるさく、同じうるさいなら都会の方がまだ良いという話である。8は、ホテルのクロークのベティさんが客のクレームに困ってグランピーに良いアイディアを出してもらって解決する。このクレームの一つを示すシーンで凄いと思ったギャグが1つある。箪笥の引き出しがどうしても開かなくって業を煮やした客が、箪笥の引き出し以外の部分を「引き出してして」引き出しだけが壁にくっついた状態になっているところに着替えを入れ、引き出し以外のすべてを元に戻した、というものである。

 9も「ベティのステージ・ショウ」とあるが、このステージ・ショウはペット用品ショウであって、ベティさんが色っぽく歌い踊るわけではない。グランピーは出てこないが、グランピーの怪しい発明品みたい、つまりは、実に、発明家でもあったマックス・フライシャーの趣味そのものである。10は、田舎の村に最新の電化製品を売りに来るベティさんのお話。今と同じ形の電気カミソリが出てきて、もうこの時代にこの形であったんだと変なところに感心した。

 さて、11である。「ベティ・ブープ伝」(単行本、初版)のリストでは邦題なしで、本文中でも日本未公開としか触れられていない。話は、本国のウイキによれば「風と共に去りぬ」でスカーレット・オハラの奴隷役を演じたオスカー・ポークが実写で登場しマックス・フライシャーの仕事部屋を掃除するのだが、催眠術の本を参考に画用紙上に描かれたベティに術をかけて騒動になるというものである。「ベティ・ブープ伝」のリストではこの作品の1行上に、Honest Love And Trueの邦題として「ベティの催眠術」となっている。Honest Love And Trueの本文中の紹介では、田舎芝居に出演する、となっている。また、本国のウイキでは、なんとこの作品はフィルムが失われており、残された断片や記録から、ベティさんが田舎で落ちぶれた歌手を演じている、となっている。つまり、こちらの作品には催眠術は出てこないようなのだ。ということで、11が「ベティの催眠術」として日本公開されたのではないか、と思うのである。

 12はベティ・ブープが妙に背が高くなっていてプロポーションが普通の人間のキャラに近い。愛犬パジイを連れてクリスマス休暇で雪山に出かけるベティさん。氷が張った池でスケートをするベティさん。スケート靴を履くところで見せる脚線美がこの時代の割には色っぽいベティさん。このスケートのシーンがロトスコープで作画されているのがよく分かる。つまり、本作のベティさんのプロポーションが通常よりも上下に引き伸ばされていたのは、ロトスコープ使用のためだったのだ。

 この3巻で一番残念だったのが、外箱がなかったこと。1,2巻は外箱があって、その背に全巻集めるとベティさんの顔が完成するというデザインだったので、顔が完成しないのだ。4巻の案内もまだない。この4巻にはあれが入っていないとおかしいぞ、と思いながら待っている。

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2014/05/06

「チコとリタ」Chico & Rita フェルナンド・トルエバ、ジャヴィエ・マリスカル、トノ・エランド監督 2010年作

 「ふたりのアトリエ」のフェルナンド・トルエバ監督が作った長編アニメ「チコとリタ」のDVD(スペイン語版、英語字幕付き)を手に入れて見た。アニメの作り方としては「戦場でワルツを」と同様の手法であるのが、見初めてすぐに分かる。メイキングが付いていたので見てみたら、キューバの映画演劇学校でオーディションをして主人公の二人を選び、実写映画として公開できそうな形でトルエバ監督が、アニメーションの元になる実写映像を撮影している。トルエバ監督の演出はこの実写部分ですべて行われていると理解してよいようだ。これをアニメ化する際の「絵画化」を監督したのがマリスカルで、アニメーション製作過程の監督がエランド、ということのようだ。

 何といってもこの作品の魅力は、「ベサメムーチョ」で始まる音楽である。舞台は、1948年のハバナからニューヨーク、パリ、ハリウッド、ラスベガスと移り変わる(物語の構造としては1998年のハバナでのチコの回想という枠組みがある)ので、キューバ音楽だけでなく、40年代から50年代にかけてのジャズ、ビバップやキューバン・ジャズ、の名曲が次々と流れてくる。セロニアス・モンク、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー等々のジャズ・ジャイアントが似顔絵で登場し、代表作を演奏する。キューバからニューヨークに渡ったチャノ・ポゾはセリフもあるし、作中で重要な役割を果たす。これらのジャズ・ジャイアントたちの演奏する音楽は、オリジナル音源を使ったのではなく、ガレスピーやパーカーと関係の深いジミー・ヒースが、オリジナルと聞き間違うような演奏のできるメンバーを集めて再現している。主人公のピアニスト、チコの演奏はベボ・ヴァルデス(撮影時なんと90才)が担当し、チコのキャラクター・デザインもヴァルデスの容貌を参考にしている。

 アニメーションとしては、リタとなかなかうまくいかないチコの内面を表現したUPA風リミテッド・アニメ・シーンが、実写を元にしていないこともあって面白い。このシーンの中に、「カサブランカ」のあの名曲をチコが演奏するという、ボガートへのオマージュ(ワーナー漫画でも何度かお目にかかる)があり、これが洒落たギャグになっている。

 大悲恋の純愛物語と思ったら、ライ・クーダーみたいな音楽プロデューサーとチコがリタのために作った曲を歌いたいという若い女性歌手により、靴磨きで生活しているチコが再発見されて、ハッピーエンドになる。

 チコがガレスピーの楽団のメンバーとしてパリに行くシーンがある。そのパリの街角のシーンで、シトロエンDSが横切る。DSが発売されるのは50年代半ばで、作品の時代設定は50年代初めなんで、ちょっと誤差がある。でも、DSを走らせた気持ちはわかる。当時の洒落たパリの街の雰囲気を示すには、DS以外にない。

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2014/01/13

「フリッカー、あるいは映画の魔」セオドア・ローザック(文藝春秋)

 本書は、刊行された1998年の「このミステリーがすごい!第1位」に選ばれて、映画ファンを魅了する多くの細部があるということで、その評を見て買い込んだのだが、15年も読まないままだった。それを、この正月休みで読もうと思い立ち、読み終えた。歌い文句どおり面白かった。もっとも15年前に買ってすぐ読んでいたとしても今読んだのと同じほど、面白さを感じたかどうかはわからない。15年前には、本書で引用されているクラカウアー「カリガリからヒトラーへ」やグノーシス派の教義がガリレイやニュートンなどの近代科学の成立時に影響を与えたことを論考した山本義隆「磁力と重力の発見」は読んでいなかったし、本書の主人公ジョナサン・ゲイツの恋人であるクレアのモデルとなったと言われるポーリン・ケイルの「映画辛口案内」も読んでいなかったので、本書の細部の仕掛けにどれだけ気づけたかはわからないからだ。

 読み始めてジョン・ファウルズ「魔術師」やトマス・ピンチョンの諸作を連想した。特に後者なくしては、ローザックは本書を書かなかったのでは、と思う。

 この小説は、クレアが切り盛りしている、日本でいえば名画座に当たるフランスの有名なアンリ・ラングロワのシネマテークを模したクラシック座とよばれる映画館での知る人ぞ知る作品群の上映の中で、ゲイツがマックス・キャッスル監督作に出会う(もちろん、クレアとも)ことから始まる。低予算の割には見れるB級以下のホラー映画という見かけ以上の印象を与えるキャッスル監督作品に潜む秘密をゲイツが追っていくというミステリー展開のゴシック小説である。このマックス・キャッスル監督を実在の人物と思わせる細部の書き込みが、映画ファンにはたまらない。しかも、いわゆる実写映画だけでなくアニメ(というよりもカートゥーンといった方が良い)にも、さりげなく言及しているのが私好みだ。

 このカートゥーンがらみの記述で気に入ったのは2箇所。1つは、本書の中盤で、キャッスル監督のサブリミナル的テクニックの一つとして、フィルムに映写機のごみをアニメーションで書き込んでいるという説明をしていること。かのテックス・アヴェリーが「へんてこなオペラ」でブルドックのスパイク演じるオペラ歌手をおちょくるためにやったことを、それより早くキャッスルがやっていたというのだ!2つめは、終盤のキャッスル監督の最終作の世紀末的カオス作品にベティ・ブープが登場すること。

 「バイバイ・ブラックバード」というジャズのスタンダードナンバーとなった曲のメロディが謎に絡んで出てくる。マイルス・デイビスとキース・ジャレットの演奏したCDがすぐに取り出せたので、聞きながら読んだ。マイルスのクールなトランペットの方がキースのピアノトリオよりこの小説に合った。

 キリスト教の異端カタリ派の暗躍・陰謀ということがキャッスル作品の裏にあるのが途中で明らかになって、話は映画の技術論から一種の神学論争に踏み込んで、更に深い闇に誘い込む。そのカタリ派の世紀末が1999年ではなく2014年と出てきて、2014年の正月に読んでいる暗合に驚いたのでありました。

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2013/11/29

21世紀の絵巻物

 高畑勲監督「かぐや姫の物語」を見た。予告編を見て、いわゆるアート・アニメーションのセルアニメではない手法の作品に近い作り方で劇場用長編アニメを作るというのはとんでもないことだ、と感じた。実際に見て、まさしくその通りであった。特に前半の赤ん坊のかぐや姫の動き、子供たちが木陰に入った時の葉の形の影が体の動きに伴って移り変わる様子には目を見張った。

 セル・アニメーションの欠点である、セルの裏側から絵の具をべた塗りしたキャラクターが背景画と調和しにくいことを、どう処理するかは、昔から大問題であった。この問題が、セル・アニメという技法がコンピューター化されてセルを使わなくなって初めて完全解決への道が開かれた。それにいち早く対応したのが高畑勲であった。その一つの完成形がこの「かぐや姫の物語」で示されたわけだ。

 かぐや姫が、高畑勲の監督第一作「太陽の王子ホルスの大冒険」のヒロイン、ヒルダを思い起こさせる、というのは、「太陽の王子ホルスの大冒険」を見たことのあるものなら誰しも思うことであろうが、森の中を動き回る子供たちのあるシーンで、ディズニーの「白雪姫」の小人たちが森から帰るシーンを計らずも連想した。ディズニー・プロも本作品に関わっているが、それだからということではない。これは、長編アニメーションはどうあるべきか?という根源的な問いかけを高畑勲がしながら作ったということから生じた類似のように思える。

 「太陽の王子ホルスの大冒険」が最初に公開された夏に、テレビでその予告編を見て、これは見に行きたいと思ったのに、弟のゴジラを見たいという要望に勝てず、親に連れて行ってといえなかったことが、私の小学校時代のアニメーション体験の一種の悔いとなっていた。それが、大学生になってアニメーション同好会の設立時の会員となり、同好会の活動の第一弾として「太陽の王子ホルスの大冒険」の上映会を行ったことにつながるのだが、その時に故・望月信夫さんに協力していただいた。そのときだったか、そのあとだったか、アニメーション映画でやるべきでない心理描写を試みていて成功しているとはいいがたい(こんなことをしたいなら、実写映画を撮ればいい)ので、「太陽の王子ホルスの大冒険」を東映動画の(その当時の)長編アニメのベストには選ばず、「長靴をはいた猫」をベスト1とする、という望月さんの見方を伺った。これと同様の批評はその後の高畑作品でも言われることがあって、「キネマ旬報」12月下旬号のインタービュー記事でも高畑監督自身がそういわれてきたことを語っている。「かぐや姫の物語」では、かぐや姫の心の状態を表現するのにアニメーションでなければできない「動き」となっている。「太陽の王子ホルスの大冒険」では実写でやった方がいいといわれながらもこだわり続けた表現方法がここまで進化したのである。

 ただ、すべてがよいわけではない。作画上で気になる部分が存在する。キャラクターが画像空間内で奥の方に行って小さく描かれる時の細かく描けないための省略の仕方が、ギャグマンガのキャラクターの描き方のように見えて違和感があることだ。もうひとつ、気になるというより、自分の好みとして、月よりの使者が登場するシーンの音楽がそのキャラクター・デザインにもっと合った音楽であって欲しかった。

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2013/09/29

音のテロリスト

 オラ・シモンソン&ヨハネス・シェルネ・ニルソン監督「サウンド・オブ・ノイズ」(2010年)をジョイランド沼津で見た。珍しいスウェーデン映画である。ベルイマン監督以外に何があるんだという国の映画が珍しく沼津で見れるので見てみようと出かけたわけで、何らかの前知識があって見なくちゃならないと思っていたわけではない。だから、見終わって、これは得した、という思いでこれを書いている。

 高名な音楽一家でただ一人の音楽の才能がまったくない、テロ対策の刑事が、6人の音楽家による音楽によるテロ事件を追う、というお話である。「アパートの一室、6人のドラマー」という短編映画を長編化したものである。登場する6人の音楽家は本当の音楽家のようで本名がそのまま役名になっている。

 音楽学校での前衛的パフォーマンスのために退学になったパーションとミアが、「ある街と6人のドラマーのための音楽」を演奏するために、もう4人のドラマーを集める。このシークエンスは「七人の侍」のよう。この「ある街と6人のドラマーのための音楽」の楽譜が画面に映るとこの楽譜の音符や五線が動き出す。チャック・ジョーンズの「ドレミなへべれけ」'Hight Note'1960年を思わせるアニメーション・シークエンスだ。これが得したと思った第1番目の理由。

 現場に残されたメトロノームから、主人公の刑事はパーションと早い時点でそれとは気づかずに接触する。刑事の弟は故郷に凱旋帰国して演奏会を開く有名な指揮者で、この演奏会が音楽テロの対象となる。この設定による伏線がなかなか良い。弟の演奏会が、この映画のストーリーの転回点となり、映画は思わぬ方向のエンディングへと進んでいく。主人公が事件の捜査中にあることに気づき、犯人逮捕よりも犯人を使って「世界を変えよう」とするのである。これが得したと思った第2番目の理由。

 クレジット・タイトルの最後に「これはフィクションです。真似すると感電死。」と出てきたのが、シトロエンBXが画面に映ったのと合わせて、得したと思った、ダメ押し。

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2013/07/31

宮崎駿監督「風立ちぬ」に関するツィートまとめ+α

 7月20日、レイトショーで「風立ちぬ」見た。不安だった主人公の声は、案外に合ってた。こんなに観客がいる状態で映画を見るのは久しぶりだ。

 「風立ちぬ」は、自分の作り出したものがどう使われるかについて深くは考えず、与えられた条件の中で自分の作りたいものを作る、というエンジニアの姿が淡々と描かれている。広島に原爆が落ちるまではそれで良かったわけで、そういう意味で絶妙な人物をモデルにしたといえる。

 作品中で重要な役割を果たす小道具である計算尺。ちょうどこの計算尺が電卓に取って代わられるときに学生時代を送ったから、ちょっとだけ使ったことがある。高校の数学の教科書にも載っていた。手回し式計算機というのもあったが、「風立ちぬ」には出てこない。三菱では使っていなかったのだろうか?

 朝永振一郎の「滞独日記」をもとにして映画を作っても面白いのではないかって、ユンカース工場見学のシーンを見て思った。

 久石譲のテーマ曲は、「第三の男」のテーマを連想させて意味深長。古き良き時代のヨーロッパ映画の雰囲気を出したかったのか。

 モブシーンで、動くべきものがすべて動いている!劇場アニメだからこそできる贅沢だ。

 飛行機よりも、機関車、客車、電車の描写の多さが印象に残った。


(とりあえずの結論)

 宮崎駿監督「風立ちぬ」って、人生先が見えてきた大人のためのファンタジーだと思う。

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