2017/02/19

「この世界の片隅に」についてのツィートのまとめ(注釈付き)


1月15日
 昨日シネプラザ・サントムーンの夜の回で「この世界の片隅に」を見た。人がたくさん入っていてクラウドファンディングに参加した者として、嬉しい状態だった。最低もう1回は見ないと、きちんとした感想は書けない、奥の深い作品である。でも、好か嫌いかで比べると「アリーテ姫」の方が好きなんだよな。
(待ちに待った地元のサントムーン柿田川の映画館での上映初日に見に行った。)

1月31日
 久しぶりに弟に会ったら、「この世界の片隅に」に名前見つけたけど、出資した?って聞かれてびっくり仰天。なんと弟は近くでやっていなかったので12月に東京まで行って見たそうだ。ちなみに「シンゴジラ」は5回見たといっていた(こちらは自分よりゴジラファンだったから想定内)。
 弟とアニメや特撮の話をしたのは実に30数年ぶり。まんが祭りへ行くかチャンピオン祭りに行くか争った小学校時代が懐かしい(結局、大抵どちらにも父親に連れて行ってもらえたのだが)。
(確認したら、まんが祭りやチャンピオン祭りが始まったのはもうちょっと後で、私が中学生になってからだった。)

2月1日
 シネプラザサントムーンでの「この世界の片隅に」の上映が2月10日(金)まで延長になった!

2月5日
 なんと再延長!14日にある某会で宣伝できる!
(この再延長で17日までになった。14日の某会で話ができたのだが、思い入れが強すぎて、どうもうまく話せなかった。自分の趣味をこの時の話で初めて知った人が多くてびっくりされた。)

2月11日
 再々延長はない模様なので今晩家族でサントムーンに行き、「この世界の片隅に」を見た。新たに気づくことが沢山あったし、見終わった後の気分も違う。2度目を見て、初めて見た時とこんなに違う気分になった映画は初めてだ。今回の方が、月並みだが、愛しい者を失う厳しい辛い話としてずしんと来た。
(このツィートは、なんと片淵監督その人にリツィートされた!)

2月12日
 なんと再々延長!!!
(これで、2月24日までの上映になった。)

2月16日
 呉には行ったことがないので「この世界の片隅に」の軍港呉の景色は、勤務先の学校の修学旅行でハワイに行き現地の高校を訪れたときに見下ろしたパールハーバーの景色に、似ていると思った。パールハーバーに係留されているミズーリは大和とほぼ同じ大きさ、装備の戦艦である。呉空襲に重なる真珠湾攻撃。
(この感想は、最初に見たときに思ったこと。)

2月18日
 本日午前の回で「この世界の片隅に」の3回目。自分の名前を探す方に気を取られてきちんと見れなかったクラウドファンディング参加者名の下に出る絵をじっくりと見た。最後まできちんと見てね、という話はその通りであった。家に帰ってから、DVDで未見だった「マイマイ新子と千年の魔法」も見た。

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2017/01/01

謹賀新年

Happy New Year!

今年もよろしくお願いします。

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2016/11/06

J.R.ブレイ・スタジオ作品集ブルーレイを見た

 CARTOONS ON FILMのブルーレイディスクのCARTOON ROOTSの第2弾the BRAY STUDIOS ANIMATION PIONEERSをやっと見終わった。動画が、がたつかないためのタップ(ペグ)や背景ごと作画しないで済む透明なセルの使用という、現在のアニメーションの主流の制作方法を確立させたJ.R.ブレイのスタジオの作品集である。このスタジオには、その後のアメリカのカートゥーン界を背負うことになるマックスとデイブのフライシャー兄弟、ポール・テリー、ウオルター・ランツなどの才能が集まり(というより、ブレイがセルアニメ製作法の特許を取ったので、ブレイのところに行かなければ特許を使わせてもらえなかった)、作品制作をした。このカートゥーン初期の梁山泊な様子がわかる作品集だ。収録作は以下の通り。オリジナルは黒白・サイレント作品だが、このBDのために作られた音楽がつけられている。

1 THE ARTIST’S DREAM J.R.Bray 1913年
2 COL.HEEZA LIAR’S AFRICAN HUNT J.R.Bray 1914年
3 DIPLODOCUS J.R.Bray 1915年
4 FARMER ALFALFA SEES NEW YORK Paul Terry 1916年
5 THE POLICE DOG ON THE WIRE Carl Anderson 1916年
6 BOBBY BUMPS’ PUP GETS THE FLEA-ENZA Earl Hurd 1919年
7 Krazy Kat : THE BEST MOUSE LOSES Vernon Stallings 1920年
8 Jerry On the Job : THE TALE OF A WAG 1920年
9 Judge Rummy : A FITTING GIFT 1920年
10 Dinky Doodle : THE PIED PIPER Walter Lantz 1924年
11 Pete the Pup : THE LUNCH HOUND Walter Lantz 1927年
12 Out of the Inkwell : THE TANTALIZING FLY Max Fleischer 1919年
13 HOW ANIMATED CARTOONS ARE MADE Wallace Carlson 1919年
14 CHEMICAL INSPIRATION 1921年
15 THE POINT OF VIEW 1921年頃

 ブレイ自身の作品では、3のDIPLODOCUSがウィンザー・マッケイの「恐竜ガーティ」をほぼ真似しているのが見もの。監督(演出)名のない8と9が動きが良くて面白い。10から13は、12のフライシャーの道化師ココ作品と同じ作りの作品である。つまり、キャラクターなどを描く画家が実写で登場して、キャラのアニメーションと実写が合成されたシーンのある作品である。ウォルター・ランツがココみたいな作品を作っていたということをこの2作で初めて知った。最後の14,15はアニメーション・テクニックを使った科学教育映画で、ブレイ・スタジオはこの頃から教育映画の分野で存続していくことになる。フライシャーにも「アインシュタインの相対性理論」「ダーウィンの進化論」というこの分野の作品がある。この2本を収録したBDあるいはDVDは出ないのだろうか?

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2016/05/29

テクニカラーの夢、黒白の悪夢 TECHNICOLOR DREAMS And Black & White Nightmares

 昔の、半ば以上忘れられたカートゥーン作品の発掘・修復版のブルーレイを出しているThunderBeanが出した'TECHNICOLOR DREAMS And Black & White Nightmares'を入手して見た。別な会社が出したものだが'Cartoon Roots'と同じように掘り出し物があるのではないかと期待した。
 amazon.comで注文した時にはタイトルの'TECHNICOLOR DREAMS'にのみ目が行っていたので、見始めたら黒白作品が半分以上あるということでどうなってるんだと思い、パッケージをよくよく見たら一回り小さく'And Black & White Nightmares'と入っている。商品名はきちんと確認しておかねばいけませんな。

 タイトル通り、カラー作品の方に掘り出し物がある。その一番手は、「メンデルスゾーンの春」Mendelssohn's SPRING 1931年 サイ・ヤングSy Young作、 だろう。冒頭の機関車と見えたものがイモムシだったというシークエンスのアニメ―トは凄い。カラーはBrewster Color。このカラー映画の仕組みがどのようなものかはわからないが発色もいい。ディズニーのシリーシンフォニーそのものといってもよい内容、作風、作画のレベルである。それに続くのが、テッド・エシュボーTed Eshbaughの3作である。その中でも注目作は、3色テクニカラーの最初のアニメーション作品として作られて、完成直前にテクニカラー社とディズニーの間でアニメーションにおける独占契約が成立してしまったので、結局公開されなかった「オズの魔法使い」The WIZARD of OZ 1932/33年である。とにかく色が美しい(特に緑)。本BDについていた解説のブックレットには「このBDに収録された本作を見て、公開されなかった経緯について掘り出してくれる人が出てくることを望む」と書いてあるのが面白い。

 黒白作品では何といっても、ウサギのオズワルド作品「バンド・マスター」The Band Master 1931年 ウォルター・ランツ作である。ビル・ノーランBill Norlan、ピント・コルヴィックPinto Coluvic、クライド・ジェロニミ Clyde geronimi、そして、フレッド(テックス)・アヴェリー Fred Averyが参加している。この名だたるアニメーターたちがそれぞれ担当したシーンを好きなように作っていて統一感もストーリーもないのが楽しい。ここがアヴェリーの担当だろうなどと想像しながら見るのがこの作品の正しい見方だろう。

収録作品リスト
1「人形は生きている」Dolly Doing 1917 MOTOY COMEDIES
  初期の人形アニメ。市販の人形をそのまま動かしている。黒白。
2「間違った線路」The Wrong Track 1920 The Bray Studio
  ブレイ・スタジオ作品。機関車が牛と衝突して起きるトラブル。黒白。
3「アリス、ネズミに悩まされる」Alice Rattled by Rats 1925 Walt Disney
  ディズニーのアリス・コメディ。アリスは最初と最後に出てくるだけ。猫のフィリッ
 クスみたい、というかそのまま。黒白。
4「火遊び」Playing with Fire 1926 Bud Fisher
  マットとジェフ作品。よく動く。もはや吹き出しのセリフはない。黒白。
5「3匹の熊」Goldilocks and the Three Bears 1928
  コダック制作のおとぎ話シリーズ。黒白。
6「メンデルスゾーンの春」Mendelssohn's SPRING 1931
7「バンド・マスター」The Band Master 1931
8「雪だるま」The Snowman 1931 Ted Eshbaugh
カラー。音楽はカール・ストーリング。
9「スイスの秘策」A Swiss Trick 1931
ヴァン・ビューレンの人間版トムとジェリー。黒白。
10「オズの魔法使い」The WIZARD of OZ 1932/33
11「オペラのミイラ」Magic Mummy 1933
  ヴァン・ビューレンの人間版トムとジェリー。黒白。ベティちゃんの声が聞こえる。
12「インディアンの大騒ぎ」Indian Whoopee 1933
  ヴァン・ビューレンのイソップ物語シリーズだが、なぜか、カビー・ベアがジョン・
 スミスになり、ポカホンタスに助けられる夢を見る。黒白。
13『小人の花作り』To Spring 1936
  MGMのハッピーハーモニー、ビル・ハナ監督。私が見た中で最も画質がいい。
14「急須の町」Tea Pot Town 1936
  テッド・エシュボーのカラー作品3本目。まったくタイトル通りの内容。
16「奇跡の街角」The Enchanted Square 1947 Seymoure Kneitel
フェーマス・スタジオのラゲディ・アン作品。フライシャー的な味が残っている。

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2016/05/08

UB IWERKS' WILLE WHOPPER

 ThunderBeanから発売されたアブ・アイワークスの1933~34年作のウィリー・フーパーシリーズのブルーレイ・ディスクを入手。8mmフィルムを直輸入している頃一番信頼できる業者としてたびたび利用したことがあるBlackhawk Filmsのタイトルも出てきて、懐かしく感じた。アイワークスの作品では、日本でもパブリック・ドメイン物でコミカラー・シリーズが見れるし、カエルのフリップは'Spooks'をBlackhawk Filmsから買って所有している.。このシリーズは初見。本国でも多分初めての発売であろう。
 ディズニー・プロをやめた後、パット・パワーズと契約してMGMから配給された作品である。白人少年のウィリーが主人公で、俺はこういうことしたんだぜ、という一種のホラ話シリーズである(夢オチみたいなもの)。ウィリーのキャラデザインは一貫せず、4作目以降かなり太った少年になってしまうが、このデザインが変わた4作目までが面白い。5,6作目はカラー作品であり、海賊デイビー・ジョーンズや地獄の赤鬼などが登場してそれなりに力を入れて作られているのがわかる。アニメーターとしてグリム・ナトウィック、音楽としてカール・ストーリングが参加している作品がある。ナトウィックが参加している作品は作画のレベルが高くなっているのがわかるが、後期作品ではそれ以外にほとんど見どころがなかったりする。後期作品でそれ以外に見るべきところがあるとすれば、マルチプレーンを使用していることである。シリーズの初期作品が面白く感じられる理由の一つに、ベティ・ブープ的な動きが妙にエロいおねーさんが登場することが挙げられる。

作品リスト
1 The Air Race(飛行機競争) 1933 MGMからは公開されなかった作品。
2 Play Ball(プレー・ボール) 1933 べーブルース登場。
3 Spite Flight(意地悪飛行) 1933 1のリメイク版。
4 Stratos-Fear(成層圏の恐怖)1933 これが私のベスト1、SFである。
5 Davy Jones'Locker(デイビー・ジョーンズの戸棚)1933 カラー。
6 Hell's Fire(地獄の炎)   1934 カラー。
7 Robin Hood Jr(ロビン・フッド・ジュニア)1934
8 Insultin'the Sultan(対決!サルタン)1934 いわゆる「土人」多数登場。
9 Reducing Creme(やせ軟膏) 1934 パン屋の夫婦のダンスシーンが面白い。
10 Rassling Round(レスリング)1934 レスリングの試合に出る靴磨きのウィリー。
11 The Cave Man(洞窟人)   1934 ターザンである。
12 Jungle Jitters(ジャングルの恐怖) 1934 ベティ・ブープみたいな原住民の娘。
13 The Good Scout(善きボーイスカウト)1934 一日一善の発表。
14 Viva Willie(ウィリー、バンザイ)  1934 西部のウィリー。

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2016/03/15

シトロエンC4ピカソ(1周年限定車)

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 決断した次のクルマは、5人乗りのシトロエンC4ピカソの1周年記念限定車。限定車なので色はルージュ・ルビ(赤)しかなかったが、現行ピカソに乗るならこの色だなと思っていたので問題なし。あとはまだ残っているかということだったが、幸いなことに在庫があった。金利0%ローンというのも後押しになって、購入決定。3月12日土曜日納車。

 限定車はシートの仕様が普通のものと少し違い、これはわが家族にも評判がいい。C4もいいものだったと思うが、その前にローバートゥアラーというすごく座り心地の良いシートのクルマに乗っていたので、家人の評価は少々低かった。リアハッチゲートも電動になっていてこれも大きなハッチをよいしょと開けなくて済むので楽ちんである。

 運転していてC4との違いを一番感じるのが、やはり、オートマ。悪名高いAL4ではなく、アイシン6速ATである。シトロエン・プジョー・グループで国産車と比べて一番のウィークポイントがオートマチック変速機であったが、このアイシンのATで国産車とこの部分では同等になった。変速レバーはDS風のコラムシフトで、右側にある。車庫入れの時に左手でシフトしようとして何もないことに気づき、右手であわてて操作、ということを今のところ繰り返している。
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 インストルメンタル・パネルは大型で、3種類の表示パターンが選べる。昔のDSのボビン型スピード・メーターを再現したようなもの、普通の丸形のスピードメーター風のもの、シンプルなデジタル数字表示のもの。最後のパターンが一番目障りな感じがしないのでこれにしている。
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 C4を買った時には、納車は自宅で行ったのだが、今回はショールームまで来てください、という話。なんだろうと思ったら、ショールームの一角に赤い布に包まれた新車があり、この布を取ってご対面という、小イベントが用意されていた(この様子は、シトロエン沼津のHPのスタッフブログに紹介されている)。

 さて、C4の最終的な走行距離は、以下の写真の通り。勤務先が自宅から近いところに初めてなったので、1年に1万キロ以上走ることもなくなったし、この2年近くは高速道路もろくに走っていない。
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 11年という年月を一番感じさせた部分は、ドライバーズシート横のパワーウィンドウのスイッチ。このスイッチ、乗り始めてすぐに調子悪くなって部品を取り換えてもらった記憶がある。
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 このC4はシトロエン沼津に下取りしてもらったので納車時に乗って行くことになった。そのとき、NHKFMを聞いていたのだが、ちょうど「アニソンアカデミー」をやっている時間で、ゲストがなんと前川陽子だった。それで、C4の中で聞く最後の曲になったのが「夜霧のハニー」。思わずも大好きな、それも、別れの寂寥感がある名曲で最後の道のりをドライブすることになった。

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2016/01/03

ラブライブ・サンシャインとのコラボはあるか?

家族で伊豆三津シーパラダイスへ出かけた。
「ラブライブ・サンシャイン」の設定場所のそばである。学校のモデルになっている中学校の校舎が見える。
娘が小さい頃からイルカノショーに出ている、カマイルカのシリウス君が出で来ないので、飼育員に聞いてみたら、昨年の10月に亡くなったそうだ。
今回もいろいろなカメラとレンズで撮影してみた。

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2015/12/30

高い買い物、掘り出し物

 ベンダツィBendazzi先生の本 Animation:A World Historyが発売され、きちんと価格を確かめずにamazon.comに注文した。注文確認メールで値段を見たら、とんでもない価格。ハードカバーの学術専門書の価格だとしても高かった。3巻本で、総額は日本円で7万を越えた。この間のアニメ総会で、中国で発売されている中国アニメの歴史の本が高くて・・・という話を聞いたが、それを越えていた。
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 とりあえず、キューバのアニメについての記述部分を確認したら、2巻と3巻にあり、2巻の内容は自分が以前訳したCartoonsと同じで、その後の歴史が3巻に書かれていた。3巻の記述もホアン・パドロンが中心で、Vampiros en la Habana!(ハナバの吸血鬼)の続編Mas Vampiros en La Habanaが2003年に作られた、ということで終わっていて、その後を知りたかった自分にはちょっとがっかり。紙表紙の普及版が出てから買っても良かったか、とも思う。
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 近所のブックオフに家族で行ったときに、「アニメの世界Vol.1,2 colour Cartoons vol 1-2 デジタルリマスター版」というタイトルのDVDを見つけた。裏の収録作品説明の中に「ジャスパー・イン・ア・ジャム」「リトル・ルルとちっちゃい仲間」「コブウェブ・ホテル」「よい子の夢」とあるのを見て、こんな取り合わせのカートゥーンの日本版コンピレーションDVDが売らていたのかと、購入。250円。CFM MEDIAというところから2002年に発売されたものだった。
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「カラーリング・ブック」というぬり絵がおまけで付いていたが、これを見てみると、いったいどんな子がこういうシーンのぬり絵をしたがるのだ、と思うし、本国では子ども向けには避けられている黒人のカリカチュアのシーンをぬり絵にしているのにも驚く。このぬり絵冊子の裏には、この会社発売のDVDの宣伝が付いていて、「アニメの世界Vol.3,4」が載っている。この「Vol.3,4」も何が入っているか興味津々。今度捜してみよう。
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 このDVDに入っている作品は次のとおり。
1 クロスビー、コロンボ&ヴァレ CROSBY,COLUMBO,and VALEE 1932年 ルドルフ・アイジング メリー・メロディ
2 ジャスパー・イン・ア・ジャム JASPER IN A JAM 1946年 デューク・ゴールドストーン パペトゥーン
3 ローン・スター・ステート THE LONE STAR STATE 1948年 イサドア・スパーバー スクリーン・ソング
4 リトル・ルルとちっちゃい仲間 CHICK AND DOUBLE CHICK 1946年 シーモア・ネイテル リトル・ルル 
5 金の卵を生んだガチョウ THE GOOSE THAT LAID THE GOLDEN EGG 1936年 バート・ジレット&トム・パルマー フェリックス・ザ・キャット
6 ヤンキー・ドゥードル・ドンキー YANKEE DOODLE DONKEY 1944年 イサドア・スパーバー ノヴェルトゥーン
7 お化けのキャスパーちゃん THE FRIENDLY GHOST 1945年 イサドア・スパーバー
8 スクラブ・ミー・ママ SCRUB ME MAMA WITH A BOOGIE BEAT 1941年 ウォルター・ランツ
9 コブウェブ・ホテル THE COBWEB HOTEL 1936年 デイヴ・フライシャー カラー・クラシック
10 巣立ちの歌 THE SONG OF THE BIRDS 1935年 デイヴ・フライシャー カラー・クラシック
11 ハップ・ハップ・ハッピー・デー IT'S A HAP-HAP-HAPPY DAY 1941年 デイヴ・フライシャー ギャビィ
12 クツのお家の子供たち THE KIDS IN THE SHOE 1935年 デイヴ・フライシャー カラー・クラシック
13 よい子の夢 SOMEWHERE IN DREAMLAND 1936年 デイヴ・フライシャー カラー・クラシック
14 トゥ・スプリング TO SPRING 1936年 ビル・ハナ&ヒュー・ハーマン  ハッピー・ハーモニー
15 メリーちゃんの小羊 MARY'S LITTLE LAMB 1935年 アブ・アイワークス

 1と8はこのDVDで初めて見た。そして、この2作は実に貴重な作品である。1はワーナーのメリー・メロディの最初期の作品で、ロリン・ハミルトンとマックス・マックスウェルがアニメーターとして参加している。アメリカ・インディアン物。黒白なはずだが、このプリントは退色したカラーフィルムのようなセピア・カラーで、インディアンの髪の毛は黒く、他は赤茶けた色のグラデーションになっているのが不思議。8はランツの南部黒人物。1と同様に無意識の「人種差別」作品であるから、テレビ放映などされないし、アヴェリーやクランペットの同様の作品のようにギャグの過激さもないので、「歴史的な意義を尊重した」作品集にも収録されにくい作品(だから貴重)。
 2のパペトゥーンのジャスパーや9、12、13のカラー・クラシックの代表作が入っているもうれしいし、お化けのキャスパーの第1作、ビル・ハナの演出デビュー作も見れる。実に、お買い得であった。


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2015/11/07

キューバのアニメーション史

 以前、フアン・パドロンの「ハバナの吸血鬼」というキューバの長編アニメについて書いたのだけれど、今年のアニメ総会でキューバのアニメを紹介しようと、キューバのアニメについて何か文献はないかと捜して、かのベンダツィ先生の「アニメ百年史」Cartoonsの中に見つけて、訳してみた。

  Giannalberto Bendazzi:Cartoons(1994年)より 

キューバのアニメーションの最初の作品は、Napoleón,el faraón de los sinsabores(ナポレオン、苦悩する専制君主;1937年)、漫画家のマヌエル・アロンソManuel Alonsoの2分の黒白作品である。原作の漫画はEl pais gráficoの日曜版に連載されたもので、このフィルムは大成功を収めたが、アロンソのアニメーションでの仕事を十分に支えるほどではなかった。そのすぐ後の画家のロゼニャーダRoseňadaとシルビオSilvioのMasabiというキャラクターを用いたアニメーションの企画は失敗に終わった。
 グアンタナモでルイス・カスティーヨLuis CastilloがCoctel musical(音楽のカクテル;1946年)を製作した。そのタイトルにもかかわらずこの作品はサイレントだった。さらに、El jíbaro y el cerdito(農夫と子豚;1947年)を製作。一方、セザー・クルツ・バリオスCéser Cruz Barriosに率いられたグループがサンティアゴデクーバで設立された。何作かの実験の後、このグループはキューバで最初のカラー短編El hijo de la ciencia(科学の子;1947年)を発表した。この作品は大成功とはいえなかったが、彼らはドキュメンタリー、ニュース映画、実写映画に興味の中心をおき続けた。
 1950年代に、限られた期間の広告やテレビ業界の発展で少数の作品が作られた。広告代理店Agencia Siboneyが何人かの若い画家を雇った。彼らは後にキューバ最初の真にアニメーションと呼べる作品を作った。
 1959年3月24日、カストロ革命の後に、Instituto Cubano de Arte y Industria Cinematográfico(ICAIC;キューバ芸術映画産業協会)が設立され、アニメーションに関わる小さな部署がその中にできた。この部署のリーダーはヘスース・デ・アルマスJesús de Armasで、イラストレーターのエデュアルド・ムニョーズ・バッチスEduardo Muňoz Bachsや他の共同制作者と仕事をしていた。このときの最初の作品はLa prensa seria(真面目な出版社;1960年)だった。それは大人の観客を意識した政治的な諷刺で、次のような意図があった。すなわち、
 「・・・私的出版で出された名誉毀損と嘘の公開告発および、それに対して規制が必要であるという声明である。美術的には、UPAで典型的に使用されているグラフィックな表現を採用している。」
 ヘスース・デ・アルマスは、新しい社会を再建するための支援を見出すことを目的とした行動主義者に関するフィルムの製作を始めた。El tiburon y las sardinas(サメとイワシ;1961年)は帝国主義と革命の間の闘争について議論していた。La raza(1961年)は人種差別の不合理さを展開した。La quenma de la caňa(籐畑の火;1961年)とRemenber Girón(ヒロンを忘れるな;1961年)はアメリカ合衆国の侵略の脅威を図解した。デ・アルマスは、最初の「物語」アニメーション映画El cowboy(カウボーイ;1962年)も監督した。1967年に彼は画業から引退したが、ア二メーションの世界とは関係を持ち続けてキューバにおけるアニメ製作を手助けした。
 この時期の最も興味深い作品は、Los indocubanos(キューバインディアン;1964年)である。モンデスト・ガルシア・アルバレスMondesto Garcia Alvalez(マタンサス、1930年生)が監督した。優雅なペン画で作られた歴史映画で、ヨーロッパ人が到着する前のキューバの人々を共感的に描いていた。この映画に使用された絵は後に同じタイトルの本になった。スパニヤード・エンリク・ニカノールSpaniard Enrique NicanorのEl gusano(虫;1963年)も同様にこの時期の注目の作品である。
 1960年代半ばのキューバのアニメは様々な理由で下り坂となる。外国、初めはアメリカ、後にはチェコスロバキアとポーランド、の影響で、キューバのアニメーションの自発的な活動を低下させてしまった。また、教育映画は常にキューバで制作されてきた。例えば、El realengo(王室の家督;1961年)、あるいは、ヘスース・デ・アルマスのAEIOU(アエイオウ;1961年)。このような教育映画は政治的な作品や芸術的な作品より優先されてきた。
 1965年に、ルイス・ロヘリオ・ノゲラスLuise Rogelio Noguerasの Un sueňo en le parque(公園の展望;1965年)というキュービズムの影響を受けた平和主義者の作品が、洗練され知的過ぎて観客の要求を満足させられないと批判された。もっと伝統的で民族主義的な文脈では、エルマン・エンリケスHermán HenríquezがOsaín(1966年)で民間伝承を脚色し、同様に民間伝承に触発されたOro rojo(赤い黄金;1969年)で賞賛された。レイナルド・アルフォンソLeinald Alfonsoは、伝統的な歌を元にしたQuiero marinero ser(水兵になりたい;1970年)で人気を得た。教育映画の分野では、中心人物はオーストラリア人画家のハリー・リードHarry Readeで、反帝国主義者のパンフレット、La cosa(物)を製作した。
 1970年代の初頭に、ICAICのアニメーション部門は再編され、再出発した。子ども向けの作品を作ることが望まれて、キューバの権威者たちはアニメーションに向かった。国内の何箇所かで、子供たちにとって何が適当で何が適当でないか定義する会議が開かれた。と同時に、アニメーションはその教育的目的を維持せねばならず、その表現手段は子供たちの要求に適合せねばならなかった。2つのカテゴリーが作られた。その1番目は2歳から7歳で、2番目は8歳から14歳であった。1番目のグループに対応する作品は動植物に命を与えたファンタジーで会話は制限された。より年上の子供たちに対する作品は、良く考えられたキャラクターとプロットを持つアクションとアドベンチャーに焦点が当てられた。トゥリオ・ラッヒTulio Raggi(ハバナ、1938年生)とマリオ・リバスMario Rivas(サンタクララ、1939年1月29日生)は主に若い方のグループ向けの作品を作り、フワン・パドロンJuan Padrón(カルデナス、1947年1月29日生)(訳注:本人のプロフィールと出身地が違うがどういうことなのか?)は年上の子供たち向けの仕事に特化していた。
 これらのアーティストたちの貢献は1980年代に入るまで続き、この時代にキューバのアニメーションのスタイルの実験が始まり、大人向けのテーマが発展し始めた。1964年にEl profesor Bluff(ブロフ先生)でデビューしたラッヒは、El cero(ゼロ;1977年、数学)El tesoro(宝物;1977年、地理)のような楽しい教育映画や次のようなキューバの歴史に基づく3本の映画を発表した。El negrito cimarrón(小さな黒人の逃亡奴隷;1975年)、El trapiche(きび引き器;1978年)、El palenque de los esclavos cimarrones(避難所;1978年)。最後の作品は黒人奴隷の反乱と山岳地帯への逃避に基づいている。1983年にラッヒはEl alma trémula y sola(震える孤独な魂)を製作した。これは建国の父ホセ・マルティJosé Martíの追放に関するアダルトな主題についての静止画で作られた作品だった。そのタイトルはマルティによる詩の一節そのものである。1890年のニューヨークの濃い空気の中で、この作品は暴動への準備をしている間のマルティの日常の雑事と記憶を描いている。
 マリオ・リバスはParque forestal(森林公園;1973年)でデビューした。彼の子供向けのたくさんの作品の中には、Feucha(みにくい女の子;1978年)やLa guitarra(ギター;1978年)がある。1981年にEl deporte nacional(国民の娯楽)というキューバで特別に人気のある野球の発展と拡散についての作品を監督した。真面目な教育者であるリバスはFilminuto(ハバナのスタジオの様々な作者による短編のコレクション)のシリーズの中のエピソードで刺激的なユーモアを見せた。彼の最高傑作と考えられているのは、El bohío(1984年;ヤシの木の小屋)である。ヤシの木の小屋は国への侵略者により何度も何度も破壊されるが、カストロによる独立の宣言まで、ある家族により毎回再建される。ギャグとリズムに富んだキューバの歴史についてのこの簡明な小論は、巧みなイデオロギーと娯楽のミックスである。
 次のようなコミック・ブックのアーティストもアニメーションに貢献した。例えば、マヌエル・’リロ’・ラマールManuel'Lilo'Lamar(マトホMatojoという彼のキャラクターとともに)、セシリオ・アビレスCecilio Avilés(セシリンCecilínとコティCotiとともに)、そして、とりわけ、フワン・パドロン。15歳のときからパドロンは二メーションに興味を示していた。フワン・パドロンは、ヘスース・デ・アルマスのスタジオで一時期基本的な仕事を学んでいだ。さらに、アーティストとしての彼の教育はコミック・ブックで始まった。1970年に、エルピディオ・バルデスElpidio Valdésという彼のキャラクターは、子供週刊誌Pioneroのページで生まれた。バルデスは「マンビmanbi」、すなわち、スペインの植民地主義者と独立のために戦う、19世紀のキューバの愛国者である。風習や物、制服、さらには食べ物まで広範囲の調査の末に、パドロンは子供たちの先祖の生活の歴史的に正確なイメージを提示した。コミック・ブックで語られた長編「小説」として、また、同様にアニメーションとして。
 パドロンは、Elpidio Valdés contra el tren militar(エルピディオ・バルデス対武装列車;1974年)で監督デビューした。同じようなエピソードの続編がそれに続いた。1979年、ICAICの20周年の機会に、Elpidio Valdés(エルピディオ・バルデス)と題されたキューバで始めての長編アニメーションを製作した。2本目の長編Elpidio Valdés cóntra dolar y caňón(エルピディオ・バルデス対ドルと銃;1983年)で、その受けの良い反逆者は依然として独立のために戦っていた。今回は武器販売業者やスペインのスパイに立ち向かった。漫画漫画した絵と程良い量のユーモアで作られていて、これらのアドベンチャー映画は若者たちの間で大人気になっただけでなく、学者たちの間でも人気が出た。
 多産なアーティストであるパドロンは別な企画でも同じように働いた。その中には、賞を取った短編La silla(椅子;1974年)やLas manos(両手;1976年)がある。1980年に彼はFilminutoを始めた。1985年に、アルゼンチンの漫画家でユーモリストのホアキン・'キノ'・ラバドJoaquin 'Quino' Lavadoとの共同制作でQuinoscopioのシリーズを開始した。その同じ年に3作目の長編Vampiros en la Habana!(ハナバの吸血鬼)を発表した。吸血鬼が日中活動できる発明の陽気な大騒ぎの物語である。ホラー映画とギャング映画の結婚、それは、「楽しい露骨な戯画」とヴァラエティVariety紙で歓迎された。注目すべきユーモリストのパドロンは、その膨大な作品において、文化の要求と娯楽の必要性を結びつけバランスさせた。と同時に、彼と同世代のキューバのアニメーターたちに対してリーダーシップを発揮した。

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2015/10/31

ハロウィーンなDVD

 1年前に買った輸入版DVD、GROTESQUERIES、についての覚書。

 BLUE MOUSE STUDIOというところが製作しているもので、注文がきたら焼いているDVD-Rである。

 このDVDを買ったのは、ネット上で見つけたアニメ実写合成のコメディ、FRESH LOBSTER(1928年)を所有したかったからである。この作品は、A Billy Bletcher Hilarity(ビリー・ブレッチャーの大騒ぎ)と副題がつけられたサイレント・コメディである。というのに、音楽が付いていて、調べてみると音楽付きのバージョンが1948年に公開されていて、実際にはこのバージョンのようだ。チャーリー・ボワーズの「イッツ・ア・バード」It’s A Bird(1930年)と並ぶアニメーションと実写コメディを結合した注目作なのである。
 男が夜中にお腹が空いて冷蔵庫の中のロブスターを食べて寝たところ、このロブスターがお腹の中で暴れ始め、気がつくとベッドサイドに巨大化したロブスターが・・・という実にB級怪獣映画的なんだけれど、いろいろな特撮技術が使われていて、手描きアニメも合成されている。いったい、誰がこんなに手が込んだ仕事をしたのか?
残念ながらクレジット・タイトルがないので、監督やアニメーションを誰が担当したのか不明である。ネットにあるアメリカ映画のデータベースIMDbには、48年版について、プロデューサーとしてMax AlexanderとHarvey Pergament、音楽としてRex Dunn、撮影としてHarry Forbesの名前が出ている。
 確実に分かる本作品の主演者は、声優として、ディズニーの「三匹の子ぶた」の狼や山猫ピートを演じ、ワーナー漫画でも活躍したウイリアム・’ビリー’・ブレッチャーWilliam ‘Billy’ Bletcher(1894年9月24日~1979年1月5日)である。ブレッチャーは1914年のサイレント映画時代からテレビ時代の1971年まで、俳優・声優として数々の作品に出演したコメディアンである。コメディアンとしての最盛期は1920年代で、ユニバーサル映画のサイレント・コメディ・シリーズに主演した。その後「オズの魔法使い」「底抜け大学教授」などの映画、「それいけスマート」などのテレビドラマに出演した。(この経歴はIMDbによる)

 この作品以外には、アレクサンドル・アレクセイエフ&クレア・パーカーのピンスクリーンの傑作「禿山の一夜」、オット・メスマーのフェリックス・ザ・キャット作品FELIX WOOS WHOOPEEとSURE-LOCKED HOMES、ヴァン・ビューレンのトムとジェリー(人間キャラクターのもの)のWOT A NIGHTとMAGIC MUMMY(他のDVDで見たことがある)、世界初のアニメーション「愉快な百面相」のブラクトンと同時期にアニメを製作したといわれるセグンド・デ・チョーモンのLE SPECTRE ROUGE(1907年)というメリエス的な作品、ドイツの表現主義映画THE WIZARD'S APPRENTICE(1930年)とFALL OF THE HOUSE OF USHER(1928年)、ギルバート&サリバンの舞台劇の記録映像などが入っている。

 いづれもDVDタイトルから分かるようにおどろおどろしい映像、悪夢的な作品である。自分的には「禿山の一夜」が入っていたのがうれしい。
 

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