2017/08/24

時空の長い午後

 この夏は、シュレーディンガーの本を読んだ。
 7月に新書版で高校時代以来何度か読んだ「生命とは何か」を岩波文庫版で読んだ。今まで読んだ時には気付けなかった「物理法則は統計的なものである」という考え方をしているのに、今回気付いた。本質的に統計的である量子力学の基礎方程式を見つけたわけだから当然という気がするが、波動関数が確率を表すという解釈には完全に反対する立場になっていた時代に書かれたものなので、読んでいて何か釈然としない部分もある。物理法則が統計的であるというのは、統計力学的にということで、物理的実在の本質にはコペンハーゲン解釈のようなものはないということらしい。つまり、同時期のアインシュタインの考え方と同じなのである。
 それで、もうちょっとシュレーディンガーの考え方に迫りたいということで、大学を卒業する頃に買って今まで読んでいなかった論文集である「シュレディンガー選集1 波動力学論文集」「シュレディンガー選集2 時空の構造・統計熱力学」を読んだ。この2冊は「生命とは何か」のような一般向けの本ではないので、いろいろ難しい式が出てくるが、その式についての説明が明快で、物理的イメージに基づいたものなので、非常にわかりやすい。本を買った頃に読んでおけばよかったと今になって思う。
 さらに、ジョン・グリビンによるシュレーディンガーの伝記「シュレーディンガーと量子革命」を読んだ。奥さんと愛人と3人で暮らした以外にも、どうみても犯罪的なロリコンだよなと思うような、ちょっと他の物理学者には見られない多彩な女性たちとの関係に驚嘆する。一方、奥さんも奥さんで、シュレーディンガーの同僚の学者と浮気をしているし、さらに驚くのは、シュレーディンガーが愛人に産ませた子供の面倒を見ているのである。すごい夫婦である。

 シュレーディンガーの本を読んだ後、じゃあ、ノーベル物理学賞を一緒に受賞したディラックの本を読もうと、数年前に出たグレアム・ファーメロによる伝記「量子の海、ディラックの深淵」と、ディラックの死後11年たってウエストミンスターに作られた記念碑の式典時の追悼講演の活字化「ポール・ディラック 人と業績」を読んだ。伝記の方で一番驚いたのは、ディラックがミッキーマウスの漫画映画の大ファンであったこと、「白雪姫」もイギリス初公開時に見に行っているということだった。ディラックが物理学者として一番創造的であった時期とミッキー作品の最も面白かった時期は一致していたのであるという当然のことに今まで気が付いていなかった! さらに、「2001年宇宙の旅」の初公開時に見て感激し続けて2回見たということ、小さい時から漫画が好きで特にお気に入りは「プリンス・ヴァリアント」だということ。
 ディラックの書いた「量子力学」を持っているのだが、これは大学時代に学部に上がったばかりの頃、同じクラスの友人と、どうせなら英語版で勉強会しようと買ったものだ。この勉強会は1,2度やっただけで挫折してしまった。書架からどりだしてみると、その挫折したページにしおりが挟まれていた。自分一人ででもこの教科書を読み通せたのなら、高校生でなく大学生を相手に物理を教えていただろうな、と思う。
 

 家族で天気の悪い涼しい日に、箱根のラリック美術館に初めて行った。ラリックが内装を担当したオリエント急行の実際の列車が1両展示されていて中に入れたのが一番良かった。この車両、沼津まで鉄道で運ばれ、沼津駅でトレーラーに乗せ換えられて御殿場・乙女峠経由で仙石原の美術館までやってきたそうだ。これにあわせて当時のポスターや時刻表、観光案内などが展示されていて、ガラス製品や装飾品より、面白かった。


 贔屓にしていたSF作家、ブライアン・オールディスの訃報を見た。80年代の代表作Helliconia3部作が存命中に邦訳されなかったのが残念だ。訳されそうにないからと、昨年3部作を1冊にまとめたペーパーバックの原書を買った。追悼の気持ちを込めて、読むことにしよう。Barefoot in the HeadやThe Eighty Minute Hourも訳してほしい作品だったんだけどなあ。

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2016/11/06

J.R.ブレイ・スタジオ作品集ブルーレイを見た

 CARTOONS ON FILMのブルーレイディスクのCARTOON ROOTSの第2弾the BRAY STUDIOS ANIMATION PIONEERSをやっと見終わった。動画が、がたつかないためのタップ(ペグ)や背景ごと作画しないで済む透明なセルの使用という、現在のアニメーションの主流の制作方法を確立させたJ.R.ブレイのスタジオの作品集である。このスタジオには、その後のアメリカのカートゥーン界を背負うことになるマックスとデイブのフライシャー兄弟、ポール・テリー、ウオルター・ランツなどの才能が集まり(というより、ブレイがセルアニメ製作法の特許を取ったので、ブレイのところに行かなければ特許を使わせてもらえなかった)、作品制作をした。このカートゥーン初期の梁山泊な様子がわかる作品集だ。収録作は以下の通り。オリジナルは黒白・サイレント作品だが、このBDのために作られた音楽がつけられている。

1 THE ARTIST’S DREAM J.R.Bray 1913年
2 COL.HEEZA LIAR’S AFRICAN HUNT J.R.Bray 1914年
3 DIPLODOCUS J.R.Bray 1915年
4 FARMER ALFALFA SEES NEW YORK Paul Terry 1916年
5 THE POLICE DOG ON THE WIRE Carl Anderson 1916年
6 BOBBY BUMPS’ PUP GETS THE FLEA-ENZA Earl Hurd 1919年
7 Krazy Kat : THE BEST MOUSE LOSES Vernon Stallings 1920年
8 Jerry On the Job : THE TALE OF A WAG 1920年
9 Judge Rummy : A FITTING GIFT 1920年
10 Dinky Doodle : THE PIED PIPER Walter Lantz 1924年
11 Pete the Pup : THE LUNCH HOUND Walter Lantz 1927年
12 Out of the Inkwell : THE TANTALIZING FLY Max Fleischer 1919年
13 HOW ANIMATED CARTOONS ARE MADE Wallace Carlson 1919年
14 CHEMICAL INSPIRATION 1921年
15 THE POINT OF VIEW 1921年頃

 ブレイ自身の作品では、3のDIPLODOCUSがウィンザー・マッケイの「恐竜ガーティ」をほぼ真似しているのが見もの。監督(演出)名のない8と9が動きが良くて面白い。10から13は、12のフライシャーの道化師ココ作品と同じ作りの作品である。つまり、キャラクターなどを描く画家が実写で登場して、キャラのアニメーションと実写が合成されたシーンのある作品である。ウォルター・ランツがココみたいな作品を作っていたということをこの2作で初めて知った。最後の14,15はアニメーション・テクニックを使った科学教育映画で、ブレイ・スタジオはこの頃から教育映画の分野で存続していくことになる。フライシャーにも「アインシュタインの相対性理論」「ダーウィンの進化論」というこの分野の作品がある。この2本を収録したBDあるいはDVDは出ないのだろうか?

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2015/06/13

庭の侵入者

 庭にカミキリムシがいるのを発見。調べてみたら、ラミーカミキリムシという外来種であった。

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 駐車スペース(丁度シトロエンC4の右フロント・タイヤのあたり)にアリの巣があるが、そこからやってきたと思われるアリさんたちである。ちょっと「トムとジェリー」を思わせる。

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 水播きしたら、くもの巣に水滴がかかってきれいだ。

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2015/05/28

イミテーション・セオリー

 イギリスの二人の天才科学者を主人公にした映画が地元の映画館で上映されていたので見てきた。より知られていない人を扱った作品の方が観客が入らなくて、すぐ打ち切られてしまうんではないかと、コンピュータの父、アラン・チューリングが主人公の「イミテーション・ゲーム」の方を先に見た。ところが、その後、こちらの方に人が多く入っているらしく、「博士と彼女のセオリー」の上映が日に1回になってしまって、慌てて見に行った。

 「イミテーション・ゲーム」では、ドイツ軍の暗号を解読するために作った機械がガチャガチャ動くシーンで「怪奇大作戦/恐怖の電話」の電話交換機のシーンを連想した。最後の権利回復についての字幕がない方が、色々考えさせる映画になったのに。

 「博士と彼女のセオリー」(原題は、万物理論)は、スティーブン・ホーキングよりもその妻のジェーン・ホーキングが主人公の映画だった。調べてみたら、ジェーン・ホーキングの夫との回想録が原作だった。よく、こんながちがちの理系の難病を抱えた人物と結婚生活を続けられたなあ、と思ったら…

 映画としてはチューリングを描いた「イミテーションゲーム」の方が出来がいいんだけれど、「博士と彼女のセオリー」はジェーンを演じたフェリシティ・ジョーンズがいいんだなあ。

 「博士と彼女のセオリー」で、ホーキングと「ペントハウス」の購読を賭けて勝ったキップ・ソーンが講演会にいるようだけど、ちょっと自信がなかった。エンドクレジットのキャストにキップ・ソーンの名があって、やっぱりそうだったかと思った。演じた役者名までは読み取れなかった。誰がやってたのか?調べてみたら、エンゾ・シレンティという役者さんだそうだ。

 「博士と彼女のセオリー」で、ホーキングが声を失いコンピュータ合成のロボットみたいな声を手に入れた後、「2001年宇宙の旅」のHALの真似をしているシーンがあって声を出して笑ってしまった。近くにいたおばさんたちには、自分が笑っている理由がわからなかったようだったけど。

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2014/12/30

インターステラー

 クリストファー・ノーラン監督「インターステラー」を見た。SFファンの複数の知人が褒めていたので期待した。期待を裏切らないできではあるが、「ゼロ・グラビティ」や「ミスター・ノーボディ」を見たときのようなカタルシスは感じなかった。相対論的効果によって子供の方が年をとってしまうというのをきちんと映像化した作品は今までなかった、という意味で画期的ではある。

 テレビに良く出る早稲田の大槻教授がどこからともなく新粒子が出現してしまう幽霊みたいなものを許す理論は正しいとは思えないと評した、ランドールらが主張する重力しか伝わらない余剰次元(空間第5次元)理論を元にしたストーリーなので、大槻先生が言うようなポルタガイスト現象があって面白い。重力を利用すればコミュニケーションできる、というのは、かのキップ・ソーン博士(その名前がときどきモノリス化するロボットに使われている)がかかわっているからか。

 懐かしいジョン・リスゴーやマイケル・ケインが出ているのが良かった。特に、ジョン・ファウルズの「魔術師」の映画化「怪奇と幻想の島」で、博士を名乗る人物に翻弄され何が本当かわからなくなり困惑する主人公を演じたケインが、老物理学者役で逆に主人公を翻弄する側に回っているのが面白かった。「愛と嘘」という観点から見れば、「魔術師」の宇宙版であって、ハードSF的なものは体裁だけと言える(これが実は残念なのだ)。日本では話題になったことがない「怪奇と幻想の島」が急にDVD発売されたのは「インターステラー」のためだったのかな。

 これはあの有名なSF映画、これはあのSF小説だな、と思えるシーンが続出だけれど、再び宇宙に飛び立っていく主人公には、レムの「星からの帰還」の主人公を連想した。

 地球の環境悪化を初めの方でかなり執拗に描いていて、そのシーン中に、ドキュメンタリー・タッチの老人たちの話がところどころで挟まり、ちょっとした違和感とともに、宇宙へ出ることを納得させるアリティを感じた。このちょっとした「違和感」は、最後の方でそういう仕掛けだったのか、と解消するのがノーラン監督流。

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2014/11/15

佐藤良明・訳「重力の虹」トマス・ピンチョン

 旧訳をやっと翻訳されたと20年ほど前に読んだ。その時に、自分が慣れ親しんでいる分野の用語や表現が全然きちんと訳されていなかったことで、出版社にそのことについて手紙を書いた。そうしたら、訳者の代表者から返信があり、「重力の虹」の攻略本を出す予定なので執筆者の仲間になって欲しい、とあった。その後、このことについて何の連絡も来ず、10年がたって、このとき送った手紙を元に、ピンチョンへのオマージュのホームページを作った。このホームページを作っているときには知らなかったのだが、旧訳の出版元である国書刊行会は「重力の虹」を絶版にしていた。それから、また10年。今度は、原文を確認しながら読むということにはならないだろうと思ったのだが、やっぱり、第3部の「イン・ザ・ゾーン」からところどころで原文を確認することになった。もちろん、その回数は旧訳のときよりはるかに少ない。原書は、旧訳のときに持っていたペーパーバックはボロボロになってしまったので、買い直した大判のPENGUIN GREAT BOOKS OF THE 20TH CENTURY版である。

 最後の1節「落下」で、主人公の祖先のウィリアム・スロースロップ作の賛美歌を歌いましょうというところで、「弾むボールに合わせてどうぞ」と訳されていて、「バウンシング・ボール」とカタカナでは訳されてはいなかった。フライシャー兄弟作の「小唄漫画」などで何作か、ボールが歌詞の上を弾んで歌う部分を示す作品を自主上映で見ていて、これが「bouncing ball」というものだと、解説者の森卓也さんから教えられた者にとって、弾むボールだと卓球をしているようで、しっくりこない。今回は訳注が付いているのだが、バウンシングボールが登場する映画(アニメ)があって、バウンシングボールで観客にさあ一緒に歌いましょうと歌詞を示すのは、その映画のエンディングであり、歌はテーマソングであるということまで説明すべきであろう。私にとって「重力の虹」は、そのエロ・グロ・ナンセンスさ、メカや発明へのこだわり、キャブ・キャロウェイなどへの言及、話のスムーズな繋がりなど気にしないなどの点から、フライシャー兄弟が作ったかもしれないバウンシングボール付き大長編漫画映画なのである。旧訳よりもそういう雰囲気が濃厚な今回の佐藤良明の訳文である。

 ピンチョンが「重力の虹」を書き始める頃、1965年にマイケル・アンダーソンが監督した「クロスボー作戦」という、ドイツ軍のV2号ロケット開発計画を突き止め、それを阻止しようとするイギリス政府とその諜報機関の活躍を描いた映画がある。レーザーディスクで発売されたときに初めてこの映画を知り、「重力の虹」の参考になるんじゃないか、というか、もしかしたら元ネタ?、という興味で買って見た。戦争アクション映画としてみるとそれほど面白い出来ではないが、キャストはソフィア・ローレンやらジョージ・ペパード、トレーバー・ハワードなどなどといったオールスター・キャストの映画で、特撮もなかなかである(この映画の特撮スタッフの多くはその後「2001年宇宙の旅」に参加している)。初めの方で描かれるドイツのロケット開発の様子のリアルさと、後半のスパイアクションのB級映画っぽさの対比が、元ネタとまでは行かずとも、何がしかのインスピレーションをピンチョンに与えたと考えたくなる作品だ。


 今回の佐藤良明・訳でも、ちょっと不満足であった箇所について、以下に示す。

 下巻の580~581ページで、イミポレックスGというピンチョンが創作したプラスティックについての疑似科学的説明が、いまひとつ、それらしくないんだな。

(訳文)
 (a)導線による薄いマトリックスを、<イミポレックスG>の表面に近づけ、両者に密接な相互作用システムを形成する。
(原文)
 (a)a thin matrix of wires,forming a rather close-set coordinate system over the Imipolectic Surface

coordinate system ときたら、「座標系」とするのが物理学的な説明の常である。 matrix は科学用語としても色々訳語があるが、縦横がきちんとそろった「行列」あるいは「表」みたいなものと解するのが妥当だろう。

 「薄い導線を縦横に張り巡らしてイミポレックスGの表面上に密着させた座標系を形成する。」

 この方が、「勃起」を含むコマンドを限定的な領域に送り込める仕組みとして具体的に理解できる。

(訳文)
 科学の他分野における「超音波領域」や「重心」
(原文)
 "Supersonic Region"or"Center of Gravity"in other areas of Science

これは旧訳と同じミス。Supersonic は「超音速」である。サイエンスの綴りの先頭が大文字になっているんで、このサイエンスは特定のサイエンス、つまり、ロケットについてのサイエンスであると解釈するのが妥当。ロケットは超音速で飛行しているのだ。


(訳文)物理的変形φR(x,y,z)がもたらしうる機能上の乱れγRは、<イミポレックス>の下層における乱れγBの有するより強力なパワーpに正比例する(ただしpは整数とは限らず、経験的に決定される)
(原文)"Probable functional derangement γR resulting from physical modification φR(x,y,z) is directly proportional to a higher power p of sub-imipolectic derangementγB, p being not necessarily integer and determined empirically

 これは旧訳と同じpowerの誤訳。「Xの2乗」の「乗」の意味のpowerとしないと、物理の理論でよく出てくる説明のパロディになっているということが伝わらない。2つの物理量xとyの間に何らかの関係がある場合、xが別な物理量tと関係していて、X=at+bt^2+ct^3+・・・t^pとなるときに、yがtのp乗のpという数に比例している、というような関係になる場合がある。多数についての統計的な量の関係の場合、このような説明が案外出てくる。また、二次関数、三次関数、という用語があるが、この二次、三次は2乗、3乗のことで、三次関数以上は高次関数などという。ここで使われているhigherはこの「高次」を意味する。xの何乗ということを考えるとき、普通整数乗を考える。「pについて整数とは限らない」と注釈しているわけだから、明らかにpはp乗の意味である。

 「物理的変形φR(x,y,z)がもたらしうる機能上の乱れγRは、<イミポレックス>の下層における乱れγBのより高次の乗数pに正比例する(ただしpは整数とは限らず、経験的に決定される)」


 さらにもう一つ。旧訳よりは良くなっているが、「重力の虹」である以上「重力」についての真打ちを示す用語を、もっとストレートに訳して欲しかった部分。下巻654ページ。

(訳文)
 離散していた種子が万有引力で内側に向かって結集することのささやかなプレビューであり、救世主が落ちた火花を集めることの予行演習である。
(原文)
 seeds of exile flying inward in a modest preview of gravitational collapse,of the Messiah gathering in the fallen sparks

gravitational collapse は「重力崩壊」と訳される一般相対論的宇宙論の用語で、星のコアがつぶれて自重に耐え切れずに無限に小さくつぶれていき、ついにはブラックホールとなる様子を示す用語である。ブラックホールという用語は「重力の虹」が出版されたころホィーラーによって作られた言葉で、ピンチョンが執筆していた頃にはなかった言葉だ。ブラックホールという言葉がもっと早く作られ現在のように一般化していたら、きっとここにブラックホールと書いたと思う。

 「離散していた種子が内側に向かって飛んでいく。ブラックホールへと突き進む重力崩壊の、救世主が落ちた火花を集めることの目立たないプレビューの中で。」

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2014/01/13

「フリッカー、あるいは映画の魔」セオドア・ローザック(文藝春秋)

 本書は、刊行された1998年の「このミステリーがすごい!第1位」に選ばれて、映画ファンを魅了する多くの細部があるということで、その評を見て買い込んだのだが、15年も読まないままだった。それを、この正月休みで読もうと思い立ち、読み終えた。歌い文句どおり面白かった。もっとも15年前に買ってすぐ読んでいたとしても今読んだのと同じほど、面白さを感じたかどうかはわからない。15年前には、本書で引用されているクラカウアー「カリガリからヒトラーへ」やグノーシス派の教義がガリレイやニュートンなどの近代科学の成立時に影響を与えたことを論考した山本義隆「磁力と重力の発見」は読んでいなかったし、本書の主人公ジョナサン・ゲイツの恋人であるクレアのモデルとなったと言われるポーリン・ケイルの「映画辛口案内」も読んでいなかったので、本書の細部の仕掛けにどれだけ気づけたかはわからないからだ。

 読み始めてジョン・ファウルズ「魔術師」やトマス・ピンチョンの諸作を連想した。特に後者なくしては、ローザックは本書を書かなかったのでは、と思う。

 この小説は、クレアが切り盛りしている、日本でいえば名画座に当たるフランスの有名なアンリ・ラングロワのシネマテークを模したクラシック座とよばれる映画館での知る人ぞ知る作品群の上映の中で、ゲイツがマックス・キャッスル監督作に出会う(もちろん、クレアとも)ことから始まる。低予算の割には見れるB級以下のホラー映画という見かけ以上の印象を与えるキャッスル監督作品に潜む秘密をゲイツが追っていくというミステリー展開のゴシック小説である。このマックス・キャッスル監督を実在の人物と思わせる細部の書き込みが、映画ファンにはたまらない。しかも、いわゆる実写映画だけでなくアニメ(というよりもカートゥーンといった方が良い)にも、さりげなく言及しているのが私好みだ。

 このカートゥーンがらみの記述で気に入ったのは2箇所。1つは、本書の中盤で、キャッスル監督のサブリミナル的テクニックの一つとして、フィルムに映写機のごみをアニメーションで書き込んでいるという説明をしていること。かのテックス・アヴェリーが「へんてこなオペラ」でブルドックのスパイク演じるオペラ歌手をおちょくるためにやったことを、それより早くキャッスルがやっていたというのだ!2つめは、終盤のキャッスル監督の最終作の世紀末的カオス作品にベティ・ブープが登場すること。

 「バイバイ・ブラックバード」というジャズのスタンダードナンバーとなった曲のメロディが謎に絡んで出てくる。マイルス・デイビスとキース・ジャレットの演奏したCDがすぐに取り出せたので、聞きながら読んだ。マイルスのクールなトランペットの方がキースのピアノトリオよりこの小説に合った。

 キリスト教の異端カタリ派の暗躍・陰謀ということがキャッスル作品の裏にあるのが途中で明らかになって、話は映画の技術論から一種の神学論争に踏み込んで、更に深い闇に誘い込む。そのカタリ派の世紀末が1999年ではなく2014年と出てきて、2014年の正月に読んでいる暗合に驚いたのでありました。

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2013/09/22

「サイクリック宇宙論」ポール・J・スタインハート、ニール・トゥロック(早川書房)

 超弦理論とインフレーション宇宙論を結びつけたものが、現在の宇宙論のメインストリームと考えてよいのだが、それには重大な欠点がいくつかある。そのうちの最大のものは、我々の宇宙を特徴付ける自然定数の値が微妙すぎて、何かの偶然でその値となったと考えるしかないことだ。人類が宇宙に存在するためには絶妙な自然定数の調節が必要となる。膨大な数ある宇宙の中のたった一つがたまたま選ばれたというのは不自然で、何らかの必然でそういう値になっているという説明が必要だろうという立場で、この欠点を回避する理論が、本書で解説される「サイクリック宇宙論」だ。

 超弦理論の発展で、ブレーン(1次元の存在である弦を2次元化した膜-メンブレーン-を略して作られた言葉だが、我々の宇宙を示すブレーンは9次元である)理論が登場し、複数のブレーンが余剰次元でつながり重力だけがブレーン間を伝わるという宇宙像が登場した。この余剰次元が実は素粒子サイズよりずっと大きく、そのため重力のみが他の3力(電磁力、弱い核力、強い核力)より弱いことが説明できるというのがリサ・ランドールなどの余剰次元理論である。2つのブレーンが余剰次元(2次元というのが有力らしい)でつながっていると考えるのだが、このブレーン間に重力だけでなく、ばねの力のようなものがはたらき、ブレーン同士がばねの両側につながれた物体のように近づいたり遠ざかったり振動すると考えることによって、インフレーションを起こすエネルギーが説明できるというのが、サイクリック宇宙論の根本である。

 ブレーン同士が衝突した瞬間にビッグバンとインフレーションが起こる。2つのブレーンは衝突後離れた後再び衝突する。これは膨張する宇宙が収縮してビッククランチを迎えることに相当する。ビッククランチ後にビッグバンとなり再び宇宙が誕生する。これを繰り返すので、「サイクリック」というわけである。この誕生と終焉を繰り返すことで、自然定数が我々の宇宙の値に落ち着いた、と説明できるので、我々の宇宙が「たまたま」できたわけでないと考えるわけである。

 サイクリック宇宙論が正しいかどうかは、重力波の観測で決着が付くという。重力波の観測はずっと試みられているわけだけれど、未だ誰も成功していない。いつか観測されるだろうが、自分が生きている間にその発見のニュースを聞けるかどうか。

 この理論にあっても説明できずに残るのはダークエネルギーである。現在のどんな理論であっても、ダークエネルギーはダークなまま、現在の観測値のまま受け入れるしかないのである。完全な宇宙論は、ダークエネルギーを説明できるもの、あるいは、ダークエネルギーがいらないものでなければならない。その道のりは長そうだ。

 決定的な基本方程式が見つかっていない超弦理論を元にしているためもあるのか、この理論はすごいぞ、という主張の強さが余り感じられない。二人の著者の性格でもあるのかな。

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2013/07/31

宮崎駿監督「風立ちぬ」に関するツィートまとめ+α

 7月20日、レイトショーで「風立ちぬ」見た。不安だった主人公の声は、案外に合ってた。こんなに観客がいる状態で映画を見るのは久しぶりだ。

 「風立ちぬ」は、自分の作り出したものがどう使われるかについて深くは考えず、与えられた条件の中で自分の作りたいものを作る、というエンジニアの姿が淡々と描かれている。広島に原爆が落ちるまではそれで良かったわけで、そういう意味で絶妙な人物をモデルにしたといえる。

 作品中で重要な役割を果たす小道具である計算尺。ちょうどこの計算尺が電卓に取って代わられるときに学生時代を送ったから、ちょっとだけ使ったことがある。高校の数学の教科書にも載っていた。手回し式計算機というのもあったが、「風立ちぬ」には出てこない。三菱では使っていなかったのだろうか?

 朝永振一郎の「滞独日記」をもとにして映画を作っても面白いのではないかって、ユンカース工場見学のシーンを見て思った。

 久石譲のテーマ曲は、「第三の男」のテーマを連想させて意味深長。古き良き時代のヨーロッパ映画の雰囲気を出したかったのか。

 モブシーンで、動くべきものがすべて動いている!劇場アニメだからこそできる贅沢だ。

 飛行機よりも、機関車、客車、電車の描写の多さが印象に残った。


(とりあえずの結論)

 宮崎駿監督「風立ちぬ」って、人生先が見えてきた大人のためのファンタジーだと思う。

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2013/07/20

「重力の再発見」の発見

 ダークマターの存在なしに銀河回転速度の異常を見事に説明できる理論、修正重力理論(MOG)の提唱者ジョン・W・モファットが自説を一般人向けに丁寧に解説した書「重力の再発見」(水谷淳・訳、早川書房)を読んだ。

 MOGにモファットがたどり着いた歴史と背景を説明するために、なんと9章、256ページを割いている。このところたくさん出ている宇宙論本で、このあたりのことを知っている人は読み飛ばしてもいいかも。

 10章からMOGの解説がなされる。宇宙の観測データに合わせるために自由に調節できるパラメータがないのに観測データと一致する範囲が広いというMOGの特徴が説明され、超弦理論やループ量子重力理論などよりは検証可能性が高そうな理論であることがわかる。モファットがこの結論に至り、興奮し、ついにアインシュタインを超えられると確信したことが、臨場感を持って伝わってくる。ランドールやサスキンドが自説について解説した本より、はるかに科学研究の醍醐味が感じられる。この本の一番良い点はここにある。9章256ページはこの感動を伝えるためにあるのだ。

 MOGでは万有引力定数がニュートン、アインシュタインの場合と違って、時空の変数になるのだが、それは、ニュートンが発見した万有引力のポテンシャルにプラスして、湯川ポテンシャルで表現される銀河系スケールで強く利く第5の力がはたらくという形でも表現される。湯川ポテンシャルは、湯川秀樹が強い核力を説明するために導入した中間子(メソン)を示すものだ。素粒子の標準理論ではクォーク理論によって強い核力が説明されるので湯川の名前も出てこなくなってしまったのだが、アインシュタインを超える理論に出てくるのは、我々日本人には痛快に感じられることである。
 湯川ポテンシャルが出てくるということは、この第5の力は質量を持つメソンと同様の粒子としてもあらわせるわけで、モファットはこれをファイオンと名づけている。このファイオンは、アインシュタイン理論における宇宙項と同じ役目をしている。ということは、宇宙項がダークエネルギーの存在理由なので、モファットの理論であっても、ダークエネルギーの問題は解決していないと言える。モファット自身もその点をきちんと認識している。

 MOGに興味を引かれるもう一点は、特異点を持つブラックホールが存在しないということだ。この理論が正しいのなら、ホーキングたちが長い時間をかけて議論してきたブラックホールで情報は保存されるか?ということは、まったく無駄な議論となってしまう。そうなったら面白いかも、と思う。

 
 MOGをネタにした宇宙SFって書けないかなあ。もしかしたら、すでに誰かが書いてるかな。

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