雲のプリズム
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表題の映画がサントムーン柿田川で上映されていたので見に行った。タイトルから50年代のSF映画を連想して、イカゲテ映画的な期待をしてしまっていたのだが、ナショナル・ジオグラフィック制作のきちんとした科学映画であった。アメリカで発見されたドリコリンコプスの化石から、その生物が生きていた様子を再現した作品であったのだ。偏光板方式の3Dメガネを渡されて見るもので、箱根の怪しい施設以来の3D映像体験である。スクリーンから時々飛び出してくる太古の水中の恐竜や魚、アンモナイト、巨大なイカに、自分が水中を泳いでいる気分になる。ケーブルテレビで時々ナショナル・ジオグラフィックのチャンネルを見るが、まるっきりそこで放送されている番組と作りは同じ。3Dを意識したCG部分がなければ映画館で見るよりは、科学館のビデオ・ブースで見る方が合っている内容だ。
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初版は出た時にすぐに読み、自分がいい加減にしか勉強していなかった大学4年次のゼミでやったことの良い復習になった本だったし、授業中に生徒達に話す物理の先端の話のネタ本になった。第2版が出ていたことは知っていたが、高校時代に読み、物理を大学で専攻するのを最終決断させた「相対論的宇宙論」(佐藤文隆、松田卓也著)のように新版が出るとすぐに買うということにはならなかった。出会った時期が違っていたら、つまり、もう少し若いときにこの本を読んでいたら、新版もすぐに買っただろう。今回、ノーベル賞受賞で増刷されたのを期に買って読み始めた。
やっぱり、凄い本である。これに比べられる物理の一般向けの本(新書)は朝永振一郎の遺作「物理学とは何だろうか」(岩波新書)くらいだろう。もしかしたら、南部陽一郎は自分の師である朝永が生き続けていたのなら書いたかもしれない「素粒子とは何だろうか」を書こうとしたのかもしれない。また、南部をこの道に引き入れた湯川秀樹への尊敬と憧れが随所に感じられ、湯川・朝永以後の日本の素粒子論の人脈もわかるように書かれているのは、日本の若い世代への南部陽一郎からのエールであろう。
何が凄いかというと、色々新奇な考え方が出てきたうちのいくつかだけが生き残ったり、一度は忘れられた論文が息を吹き返したり、という紆余曲折があった湯川の中間子論に始まる素粒子論をきちんとまとめ、ほとんど数式を使わずに説明してあることだ。また、大抵の一般向け解説書では名前が省略されてしまうような共同研究者や同時期に同じことを発表した研究者の名前をきちんと挙げてあるのも素晴らしい。今回一緒にノーベル賞を受賞した小林・益川理論も、今回ノーベル賞に至らなかったためにイタリア人達が騒いだカビボの理論とともにきちんと説明している。
大学の頃の自分の生活は、ゼミの最低限の予習以外は、アニメ同好会の活動最優先でアニメを作るか見るかしていた状態(佐藤文隆よりも大塚康生!)で、アイソスピンって何だ、擬スカラー、ベクトル中間子って何だ、という状態だったし、それ以前に、量子力学の基本的な問題だってきちんと解いていなかった。そんわけだから、クォーク理論の勉強していても、これから何かアニメができないかなあということばかり考えていた。それで、クォークのカラー荷のイメージからアニメを作ろうとしたことがあったが、うまくアイディアが発展しなかったので止めてしまった。「量子戦隊クォークマン」みたいなのを考えたこともあった。プロトン合体とか、ニュートロン合体とか、って考えていったら、それは何となく面白かったが、クォーク6種類×カラー3種で18人、反粒子を男女でやることにして計36人出てくることになり、大変なことになってしまうので止めた。
クォークという名前の出自となった「フィネガンズ・ウエイク」も大分前から読んでいるのだが、やっと訳本(ハードカバー)1巻目の最後の方まで来たが、いつになったらクォークの一節にたどり着くのか分からない。
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センセイ---そうだよね。じゃ、もういちど考え直してみようか。手がかりになるのは、そうねえ、ナンシー・カートライトって人が書いた『いかにして物理法則は嘘をつくか』って本。
テツオ-----その人って、ザ・シンプソンズのバートくんの役をやっている声優と同じ名前だ。まさか同一人物じゃないよね。
センセイ---お、そういえば同姓同名だね。もちろん別人だ、と思う。
という一節があるために、このブログ・ネタとすることにした。著者は、私と同世代の研究者である。科学哲学などというお堅い(物理よりも堅いと思う)研究をしている人が、シンプソンズのネタふりをするというのは、やっぱり、我が世代だなあ、とつくづく思うのである。「相対主義」の哲学の嵐に対して、「科学的実在論」はどこまで戦えるのかを対話形式で解説した科学哲学の入門書である。「科学とは何だろうか」ということを考えたい若い人に読んで欲しい本である。また、レムの「泰平ヨンの現場検証」以降の作品を読む人には、そのちょっと読むのがかったるくなる哲学談義(レムの哲学談義も基本的には科学哲学についてである)の参考書として薦めたい。
「科学的実在論」というのはちょっと素朴すぎるのではないかと思ったのだが、案外そうではないことがこの本を読んで分かる。でも、「社会構成主義」の主張を論破していくってのは難しいんだよなあ。
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「宇宙のランドスケープ」を読んでいたとき、南部陽一郎ってやっぱりすごい人だったんだと、再確認し、でも、なんでノーベル賞をもらえていないんだろう、そろそろもらわないと、資格を無くしてしまうぞ、と思っていたので、このニュースを昨夜知ったときには、なんだか、ほっとした気分になった。自分が物理をやりたいと思ったときは既に、有名な物理学者であり、坂田昌一(小林、益川の先生)が早世してしまったので、この分野での次のノーベル賞候補とそのころから言われていた。「ガッチャマン」の南部博士の名前の元ネタにもなっていた。
小林・益川もこのところ毎年のように候補者として予想されていたので、これも、当然だなと思った。ノーベル賞受賞のニュースは最初、家族から「南部って人とあと二人だよ」と教えられて、その瞬間に、小林・益川両先生だ、と思ったわけで、これもまた、すこし遅すぎた受賞である。
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ハドロンのひも理論を南部陽一郎と独立に見出したレオナルド・サスキンドが、このところ主張している超ひも理論(超弦理論)に基づく「ランドスケープ理論」について解説した本である。ブライアン・グリーンの「エレガントな宇宙」、リサ・ランドールの「ワープする宇宙」に続く、ストリング宇宙論第3弾。
本書のタイトルにもなっているランドスケープという言葉は、物理を学んだ者には「位相空間」と言う方がわかりやすいものだが、本書の巻末でサスキンドは「ランドスケープは現実の場所ではない。それは架空の宇宙のありうる設計をすべて集めた一覧と考えてほしい」と要約している。ワインバーグが指摘した、人間が存在するためにはアインシュタインの重力方程式の宇宙定数(宇宙項)が0ではない非常に小さい数に調節されていなければならないということ、それを説明できる可能性のある概念としてのランドスケープを、訳書にして500ページを超える枚数を費やし、数式なしに説明している。サスキンドの主張をまとめると、宇宙は無限に多くあり、たまたま、われわれは、炭素を主体とする生物が生存できる宇宙定数の「生命の窓」の位置にある宇宙に住んでいるのだ、ということだ。
本書でよく出てくる固有名詞に、「ルーブ・ゴールドバーグ機械」があり、カートゥーンのファンでもある私には、なかなかうまいたとえだなあ、と感心する。「ルーブ・ゴールドバーグ機械」というのは、「トムとジェリー」や「コヨーテとロードランナー」などにもよく出てくる、「風が吹くと桶屋が儲かる」式の手の込んだ、いろいろ回り道をした末に、あることをする装置であり、ルーブ・ゴールドバーグはそういう装置の1コマ漫画をたくさん描いた、アメリカでは有名な漫画家である。日本の例で言えば、「快獣ブースカ」第1話での大作少年の目覚まし装置のアレである(例が古すぎるか)。素粒子から宇宙までを統一して説明しようとしている最新の超ひも理論の様子がまさに、ルーブ・ゴールドバーグの機械のような、複雑で妙に技巧的なもので、本当はもっと直接的な方法もあるだろうにと思わせつつ、面白いなと思わせるものだからである。自分も参加してみたいと思ったりもするが、ルーブゴールドバーグの機械を考えられそうで、実は、あんまり面白いものが思いつけそうにないのと同じ結果になるのは目に見えている。
超ひも理論の正当性の証拠が見つかるかもしれないという期待もあった新型加速器、CERNのLHCだが、不具合が見つかったということで、しばらく修理するという。来年はついに超ひも理論の尻尾くらいが捕まえられるだろうか? すばる望遠鏡等の天体観測の方で意外な証拠が見つかるかもね。
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「原子爆弾の誕生」の続編である。核兵器の開発に伴う科学や技術の問題についてきちんと書いてあって、文系のジャーナリストなのに凄いなあと、思う。ここまで、書かれていると、なぜ、科学者や技術者がこのとてつもない、使われることのない大量破壊兵器を作ってしまったのかが、理解できる。水爆の原理は原爆で核融合の条件を満たして重水素の核融合エネルギーを解放したものと、単純に理解してきたのだが、ことはそう簡単ではない。必要な爆発力を得るためにはきちんとした物理学的理解と、技術の工夫が必要であるという、考えてみれば、科学技術開発の実に当たり前な話である。未だに、米ソが核兵器の開発実験をしているのも良く理解できるのである。
第五福竜丸の不幸な被爆が、実験を計画した科学者達が気付かなかった核反応によるさらなるエネルギーの発生のためだったというのをこの本で初めて知った。予想外のエネルギーが解放されて、あわてる関係者達。「テラー博士の恐怖」というB級映画のタイトルのネタの提供者になった、エドワード・テラーが相当にヒステリックなタカ派科学者として描かれているのが、本当にテラー博士の恐怖そのものである。メガトン級の水爆は、このテラーとポーランド出身の数学者スタニスワフ・ウラムが見いだした、外と内からの放射線による爆縮というアイディアで実現する。本書や「原子爆弾の誕生」で紹介されているウラムの様子は、同郷の作家スタニスワフ・レムの「天の声」の主人公のモデルになっているように思える(レムはアメリカに渡ったウラムから「サイエンティフィック・アメリカン」を送ってもらっていたということが「SFマガジン」2004年1月号のレム特集の記事に書かれている)。
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地球環境問題について、物理の熱力学第2法則(いわゆるエントロピーの法則)が有効な指針を与えるというのは、すでに槌田敦の「資源物理学入門」(NHKブックス、1982年)で、明らかにされてはいるのだが、一向に環境問題を考える人たち(特に、役所の環境問題担当の人たち)の共通認識になっていないように思える。物理的な基本法則から説き起こして書かれた、勝木渥「環境の基礎理論」(海鳴社、1999年)というきちんとした「教科書」もある。表題の本は、自身の地元で起きたゴミ問題に関わる中で、高エネルギー物理学者である著者が、この物理学からの環境問題への視点を一般向けに解説した本である。日本での環境問題の先端を走っていたこともある我が沼津市の、市長や市会議員のみなさんに是非読んで欲しい本である。高校生でも分かるように書かれたこの本を、環境問題についての怪しげな本を読むより先に、きちんと読んで欲しいのだ。
この本を読んで分かって欲しい第1のことは、環境問題について何が怪しくて何が怪しくないかは、熱力学第2法則に照らし合わせれば、基本的には誰にも判断できる、ということである。とはいっても、色々な要素が絡み合っていて本質的に非線形な地球環境のことであるから、槌田敦ですら自分の主張を強調するために怪しいことを書いてしまう、実に危険な分野でもある。広瀬立成にしても、本当にそうなんですか、と問いただしたくなることを表題の本でも書いてしまっている部分がある。
熱力学第2法則に基づく地球環境の理解の大事な部分というのは、エネルギーは太陽光線のエネルギーとして地球に入射し、それが地表面で色々なエネルギーに形を変えて、最終的に熱エネルギーとなり、水の存在で地球大気の上層から赤外線として、入射したのと同じ量のエネルギーが出ていくということであり、この一方通行のエネルギーに対し、物質は循環している、ということである。このエネルギーの流れと物質の循環に、人間がどのように関係してしまっているかが、環境問題を考える基本である。
現在の地球環境問題というのは、人間が利用したエネルギーと物質がどうなっていくかを、きちんと考えることが必要なほど、人間の地球上での存在が大きくなってしまった、ということが最大の問題なのである。
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福岡伸一「生物と非生物の間」では、生物は「動的平衡にある流れ」と定義されているのだが、この「動的平衡にある流れ」というのは、物理の、あるいは、熱力学の言葉では、「非平衡開放系(または、非平衡開放定常系)」になる。同じ「平衡」という言葉が入っていながら、物理の用語の方には、打ち消しの「非」がつく。「平衡」というのはバランスということだから、一方ではバランスしているといい、他方では、バランスしていないという、実にアンバランスな不思議な話だ。
これは、次のような、用語の使い方の違いのために生じることである。生物の方の「平衡」は、物質やエネルギーが入ってくるものと出ていくものとでバランスしているという意味である。一方、物理の方の「非平衡」は生物が環境と熱平衡になっていないということである。、言いかえると、生きている生物の体温は周りの気温より高いということだ。この状態にあるとき、生物は、物質やエネルギーを取り入れて、不要になったものを排出することができる。つまり、物質やエネルギーの流れが維持され、生物の体の秩序が保たれるということだ。ということで、実は、同じことを意味しているのだ。
非平衡開放系の特徴は、非線形性である。その非線形性についての一般向きの本が表題の本である。この本の面白いところは、私がカオスについての解説書などを読んだときに感じた、非線形を取り扱う科学は面白いのだが、量子力学に代表されるような物理学の理論のような原理となる科学にはなりえていないのではないか、ということを、プロローグできちんと問題として掲げているところである。そして、エピローグでこの問題に戻り、それに対する確かな答えをいまだ手にしていないと、正直に述べている。しかし、そのあとで、科学の言葉で自然を描くというのは「不変なもの」を通して描くことだ、複雑な物を複雑なままに取り扱う非線形科学においても「不変なもの」を見いだしていて、それは、要素還元論的な素粒子物理学とは違う座標軸のものであるが、「不変なもの」を見いだすということでは同じ科学であり、要素還元論に偏りすぎている現状から科学者はそろそろ脱却すべきだ、と述べ、これが藤本のもっとも主張したかったことだろう。
非線形科学の立場からは、生物と非生物の間に同一性を認めている。その同一性の1つが、べき法則性である。生物についてのべき法則性は、ちょっと前に話題になった本川達男「ゾウの時間ネズミの時間」の中心的話題である。この本も、福岡の本と同様に、DNAマシーンとしての生物という見方に一石を投じるために書かれたような本だった。DNAから生物を見る見方も、「動的平衡にある流れ」という生物の見方も、どちらも、シュレーディンガーが「生命とは何か」で指摘した2つのこと(遺伝子の正体は量子力学の原理に従う非周期性分子、生物は負のエントロピーを食べて生きている)の発展型である。今更ながら、シュレーディンガーの洞察の凄さに感心する。
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天文学者小平桂一による、ハワイのすばる望遠鏡プロジェクトの記録。小平桂一という天文学者がいることは、すばる望遠鏡建設計画が進行中の頃に知ったが、一時期NHKのニュース・キャスターだった小平佳子アネットの父だったというのは、この本を読んで初めて知った。すばる望遠鏡の予算獲得時に、娘がキャスターとして有名になったおかげで、自己紹介の手間が省けるようになった、という話は面白かった。こういうこの20年間での科学研究プロジェクトの話を読むと、その場に自分がいようと思えばいれたかもしれないのに、という思いがふつふつと沸いてくる。天文学者でなくとも、望遠鏡制作に関わる企業の技術者として、参加していた可能性もあるのである(実は、大学4年の時、某カメラメーカーの就職試験を受けて落ちた)。
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2007年に読んだ本
「虚数」S.レム
「真理を求めて」インフェルト
「新しい電池の科学」梅尾良之 講談社ブルーバックス
「トラストDE」Y.エレンブルグ
「妖星伝魔道の巻」半村良
「新しい高校化学の教科書」講談社ブルーバックス
「キマイラ」J.バース
「大失敗」S.レム
「新しい高校物理の教科書」講談社ブルーバックス
「砂漠の惑星」S.レム
「異邦からの眺め」F.ロッテンシュタイナー編
「ブラーズ・オブ・ザ・ヘッド」B.オールディス
「高い城 文学エッセイ」S.レム
「蟻塚の中のかぶと虫」ストルガツキー兄弟
「大都会」L.ラードナー
「東欧SF傑作選上」創元文庫
「ゲージ場の理論」岩波講座現代の物理学
「壺を抱いたネコニャ」柊あると
「幻の下宿人」R.トポール
「地球惑星科学入門」岩波講座地球惑星科学
「魔法」C.プリースト
「奇術師」C.プリースト
「全地球凍結」川上紳一
「深海のパイロット」藤崎、他
「双生児」C.プリースト
「最後から2番目の真実」P.ディック 創元文庫
「素粒子」M.ウエルベック
「ある島の可能性」M.ウエルベック
「生物と無生物の間」福岡伸一
「地球システム科学」岩波地球惑星科学講座
「ワープする宇宙」L.ランドール
「クルマでわかる物理学」古川修
「経路積分の方法」岩波講座現代の物理学
「地球環境論」岩波講座地球惑星科学
「現代物理最前線5 4次元を超える時空と素粒子、他」共立出版
「富士山噴火」鎌田浩毅
「族長の秋」ガルシア=マルケス
「照葉樹林文化とは何か」佐々木高明
「地震の日本史」寒川旭
「アインシュタインの夢」A.ライトマン
「東欧SF傑作選下」創元文庫
「日本人はどこから来たか」樋口隆康
授業で地学分野を教えることになったので、そのために読んだ本が多い。このペースじゃいっこうに積読状態解消せずだなあ。SFでは、レム、オールディス、プリーストという御贔屓作家の新作が読めたことが一番。
2007年に見た映画
劇場で見たもの
「プレステージ」(ジョイランド沼津)
「河童のクゥと夏休み」(ジョイランド沼津)
「アーサーとミニモイの王国」(ジョイランド沼津宝塚劇場)
「トランスフォーマー」(ジョイランド三島シネマ2)
ビデオ、DVDなどで見たもの
「裸足の1500マイル」
「夢のチョコレート工場」
「間宮兄弟」
「アーリャマン」
「喜劇王」
「テルミン」
「トランスポーター」
「ならず者部隊」
「栄光のジャングル」
「スクリーマーズ」
「コンゴ」
「ギター弾きの恋」
「おいしい生活」
「スコルピオンの恋まじない」
「リトルヴォイス」
「万事快調」
なんと、映画館に4回しか行かなかった! 録画したビデオの山もいっこうに減らない。ゴダールの「万事快調」を見ているときに(暇がないので、いっぺんに見ることが出来ず、1週間位かけて少しづつ見ていた)、NHKのBSで昨年亡くなった実相寺昭雄の番組をやっていて、やっぱり実相寺はゴダールの影響が大きかったなあ、と確認できた偶然に驚いた。
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「大学生から技術者まで楽しく学べる物理の教科書」とサブタイトルがついているが、高校生でも興味があるなら読めるのではと、思いつつ読んだが、高校で習う微積分と物理のある程度の知識は前提としている。そのため、理工系出身でないクルマ好きに薦めるのはちょっと躊躇してしまう本だ。クルマを物理の基本法則から知りたいという人には薦められる本だ。
著者は、ホンダに25年間勤め、プレリュードの4WSの開発等を担当したのちに、芝浦工業大学の教授になったという経歴なので、ホンダ提供の図があったり、自動車の開発現場の話が囲み記事で章の終わりにあったりして、通常の大学の理工系向きの物理の教科書よりも、自動車好きには興味が持てる。力学、熱力学、電磁気学、そして、最後には特殊相対論まで解説している(GPSを取り上げて一般相対論まで解説していたら、もっとすごいのだが)。私にとっては古典物理学の復習、特に、高校では扱わない回転運動に関する部分は、良い復習になった。
5章(全部で6章立て)の「クルマの性能」が、私には初見のクルマに特有の物理学で、このようにハンドリングやサスペンションの評価をモデル化するのか、と興味深く読めた。ただ、この章になって初めて出てくるドットを使った時間微分の表記がまったく説明されていなかったり、物理的には?な用語の使い方が少しあって気になった。
自動車ではタイヤが大事ということを読み終えてつくづく思う。C4のタイヤもそろそろ別なものに替えようかなあ、という気持ちがわいてきた。
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リサ・ランドールの「ワープする宇宙」(原題を忠実に訳すと、曲がった余剰次元)を読み終えた。第1次超ひも理論革命時代の「超空間」(ミチオ・カク)、第2次超ひも理論革命時代の「エレガントな宇宙」(ブライアン・グリーン)に続く、極微の世界と極大の宇宙をつなぐ最新物理理論の立役者による数式なしの解説書である。文字だけで、本来数学を駆使して表わされる抽象的な多次元空間の話をするんだから、読者にも労力を強いる内容である。それを少しでも飲み込み易くするために、各章の最初に、ポップスやロックの有名な曲の歌詞が引用され、著者による「不思議の国のアリス」のような短い物語が置かれている。これは、なかなかいい試みだ。
不覚にも、ランドールの理論の存在を私は知らないでいた。ラマン・サンドラムとの論文が1999年に発表され、2001年にはその内容が「現代物理学最前線5」(共立出版)で解説されている。20世紀までの私であったら、少なくとも「現代物理学最前線」を見つけてすぐに買っていただろうに、と思う。もっとも、この時期、公私共にいろいろあったので、物理の最先端に対する興味をやや失っていたことは確かだ。こんなにエキサイティングな5次元世界があることを、知らないでいたのは、ちょっと悔しい。超ひも理論は現実的な実験可能な範囲での予言は全く出来ていないのだが、5番目の空間次元の存在は、もう少ししたら加速器実験で到達できるエネルギーでの新粒子の出現を予言している。となると実験物理屋さんも注目するわけで、今一番の話題となるのも無理はない。次元の概念が揺らいでいるという解説も、目から鱗である。
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その昔、高校1年生の生物の最後の課題に「生命とは何か」についてレポートを書けというのがあった。何故、そんなことを今でも覚えているかというと、このときに、量子力学の立て役者シュレーディンガーの「生命とは何か」を読んで、「生命は負のエントロピーを食べて生きている」という見方にショックを受けたからだ。表題の本でもシュレーディンガーの「生命とは何か」を第8章で取り上げている。この本を買って読むことにした最大の理由が、このシュレーディンガーへの言及である。
シュレーディンガーが「生命とは何か」を発表する少し前に、シェーンハイマーが生物を構成する分子や原子が恐るべき速さで入れ替わっている、という重大な発見をする。このことは、生命を理解する上で大切なことであるが、高校の教科書でもさらりと触れられているだけで、一般にはきちんと理解されていない。だから、コラーゲン不足の人間にコラーゲンを摂取させればいいというようなシェーンハイマーが発見したことと矛盾するCMがまかり通ってしまう。福岡伸一は、本書で、このシェーンハイマーの発見をページを割いて説明し、「生命とは動的平衡にある流れである」という生命の定義を与える。この定義の与え方は、シュレーディンガーを非常に意識したものであるように思える。
「動的平衡にある流れ」というのは、私が大学を出たあたりから物理系の各分野で重要なテーマになっていたように記憶する。このことを熱力学的に取り扱った有名なプリゴジンの本を読んだこともある。宇宙物理学や地球物理学などでも大切な概念である。時間スケールは生物とは違うが、地球も宇宙も動的な平衡にある流れ中で今ある形として存在している。いわゆる環境問題も地球環境の「動的な平衡にある流れ」をきちんとおさえないと正しい議論は出来ない(ちなみに、地球環境の「動的な平衡にある流れ」に直接影響を与えるのは、二酸化炭素の濃度よりも、太陽エネルギー起源以外のエネルギーを人類が多量に使うことである。したがって、現在の環境問題を真摯に考えるなら、原子力は使用を止めるべきエネルギーの筆頭になる。私が太陽光発電システムを自宅に付けたのはこの理由のためである)。物理的には「秩序ある存在は動的な流れの中にしか永続できない」といってもいい。この立場からすると、生命と宇宙や地球との違いは、流れの時間スケールの違いでしかない。私は物理の立場の人間だから、生命に対するこの捉え方は特に違和感はないが、生物学に中心にいる人たちには異論もあるのではないだろうか。
「動的平衡にある流れ」により、生物のやわらかな適応力となめらかな復元力の大きさを福岡は説明できると考えており、生命は機械でないと自己の研究から明言しているが、これは、私には、「動的平衡にある流れ」のもつ非線形性のためであるように思われる。私たちは現在、線形応答する機械しか作れないから、本質的に非線形な機械が作れるなら、それは生物の特徴を持つ物になるということを否定することはできない。したがって、生命は機械ではないという命題の真偽はまだ明らかではない、というべきだと、私は思う。
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ウエルベックは、この作品で、理性の方向にのみ進化した新人類を登場させている。その一方で、現代および近未来を生きるダニエル(ネオ・ヒューマンの呼び方ではダニエル1)を性の快楽に取り憑かれたような男として描いている。この対比は「素粒子」における弟と兄の対照と同様である。この作品でも仏教の経典からの引用があるが、聖と性を合一した真に解脱した未来人の姿はない。レムもそうであるが、ヨーロッパの知識人というのは、知性と理性にだけ進化の方向があるように考えているのではないかと思ってしまう。このへんに「ある」か「ない」かの二分法が基本になっているヨーロッパのキリスト教的知的伝統を感じると同時に、仏教に憧れながら(あるいは、仏教的な考え方を支持するかのような量子力学を受け入れながら)、存在と非存在を同一の状態であると見なす境地には、我々日本人のように簡単に達しないのではないかとも思うのである。
ところで、ネオ・ヒューマンは遺伝的には我々人類とほとんど同一のなのだが、人為的に、つまりは遺伝子操作で独立栄養生物化している。つまりは、植物化した人間である。植物的な生き方が、真にエコロジカルな生き方であるという主張を何処かで読んだ気がするが、ウエルベックは、この小説中で、エコロジストを痛烈に批判している。と同時に、このような新人類を生み出したのが、とある新興宗教(ちゃんとモデルになった新興宗教が実在しているそうだ)であるというのは、実にありそうである。
この小説の最後で、ネオ・ヒューマンのダニエル25(ダニエルの遺伝子を引き継ぐ25代目)が荒廃した地球を冒険して回るのだが、これはレムの「宇宙からの帰還」のラストを連想させた。「素粒子」の終わり方よりも、妙な爽快感があった。
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「聖なる侵入」P.K.ディック
「ティモシー・アーチャーの転生」P.K.ディック
「シリウス」O.ステープルドン
「エジソン」N.ボールドウィン
「アルベマス」P.K.ディック
「光学の原理Ⅰ」M.ボルン&E.ウォルフ
「公共のための科学技術」
「視覚世界の謎」山口真美
「セカンドクリエイション 上下」R.P.クリース&C.C.マン
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」P.K.ディック(再読)
「沈黙の惑星より」C.S.ルイス
「クォークはチャーミング」S.グラショウ
「火星のタイムスリップ」P.K.ディック(再読)
「神がつくった究極の素粒子 上下」L.レーダーマン
「パーマー・エルドリッチ三つの聖痕」P.K.ディック(再読)
「超空間」K.ミチオ
「エレガントな宇宙」B.グリーン
「日本沈没第2部」小松左京&谷甲州
「果てしなき流れの果てに」小松左京(再読)
「逆まわりの世界」P.K.ディック(再読)
「ユービック」P.K.ディック(再読)
「流れよ我が涙、と警官は言った」P.K.ディック(再読)
「金星応答なし」S.レム
「物理学のすすめ」R.レネゲット
「時は乱れて」P.K.ディック(再読)
「光学の原理Ⅱ」M.ボルン&E.ウォルフ
「死の迷路」P.K.ディック
「死の迷宮」P.K.ディック(再読)
「はじめての超ひも理論」
「暗黒宇宙の謎」
「ソラリス」S.レム
「泰平ヨンの未来学会議」S.レム
「新しい高校地学の教科書」杵島正洋&松本直記&左巻健男
「シトロエン 革新への挑戦」J.レイノルズ
「世界を変えた日用品」
「泰平ヨンの現場検証」S.レム
「ファインマン・プロセッサ」
「完全なる真空」S.レム
「原子の探求」A.コンプトン
「光学の原理Ⅲ」M.ボルン&E.ウォルフ
P.K.ディックとS.レムを消化するのが本年の目標だった。レムは現在「虚数」を読んでいるところで、これを読み終われば、とりあえず買ってあるレムの単行本はすべて読んだことになる。それ以外の本は、仕事の参考書みたいな物ばかり。大学を出る頃買ったボルンの古典光学の教科書(「光学の原理」全3巻)を、今になって読んだけど、これはすごい本だ。もっと早くに読んでおくべきだった。カメラのレンズ設計にも触れていて、カールツアイスのプラナーやゾナーのレンズ構成の図なんかが書かれていて、ここだけでも参考になる。一方がっかりだったのは「ファインマン・プロセッサ」。これはいわゆる量子コンピュータの紹介本である。量子コンピュータのアイディアのキモである量子力学の特徴を説明した部分、特に、アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックスの解説のあたりはよいのだが、肝心の量子コンピュータに応用する部分になると、途端にわかりにくくなる。可能性の探求としては面白いが、実現はできなさそうな話である。多元宇宙での並列計算などという眉唾な話は出てこないのが岩波書店の本らしい。
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高校の理科教育研究会の研修で、伊豆急行の伊豆高原運輸区に行った。電車についての機械的なこと・電気的なことの説明を受けた後、整備工場で実物を見学した。
この研修会の目玉は、32トンある電車一両を1人で動かすというものであった。これは、転がり抵抗がすべり抵抗よりはるかに小さいということと、動き出したら動きつづけるという慣性の法則を実感しようというものである。私も押してみたが、体重をかけるようにしてやると案外簡単に、すっと動き出す。動きだしてしまったら、もう力はいらない。この一人で車両を動かすというのは、ここに就職すると最初にやらされる新人研修の課題だそうである。
電車の機械部分の説明では、エアサスペンションになっているということと、モーターと車輪の間がねじり継ぎ手という、車輪の上下左右の振動をうまく逃がして動力伝達をする仕組みが、
初めて見聞きすることで面白かった。エアサスの説明は、最近これと同じような説明を見たことがあると思ったら、シトロエンDSのハイドロ・ニューマチック・サスの説明を二玄社の本で読んだばかりであった。原理的には同じなのである。下の写真の黒いゴムのチューブ部分がスフィアと同じ役目をする部分である。それで、ふと思い出したのだが、9月に新幹線に乗ったときに、新幹線の乗り心地はC4に似ていると、思ったこと。

電気部分の説明では、車速が上がっていくのは、モーターと直列に入っている抵抗を1つづつ抜いていく(抵抗をバイパスする回路のスイッチを入れる)ことでモーターに流れる電流が増えるためであることがわかり、実際には連続可変ではないということを知った。自動車でギヤを1段づつ上げていくのと同じである。また、回生ブレーキで電力を架線に戻すと、通常1500Vである架線の電圧が1850Vまで上がってしまうことがあり、そうなると電気設備保護のため、回生ブレーキ回路が強制遮断されてしまうとのこと。近くの電車が使ってくれれば問題はないそうだが、夜間運転本数が減った時にはそうなってしまうそうである。ちなみに、電車のブレーキはあと2種類あって、回生させないで抵抗で発熱させてしまう電気ブレーキ(つまり、電気ヒーターとして使うもの)、自動車と全く同じ機械式ブレーキである。機械式ブレーキで止まるのが一番早く止まるんだそうである。
加速時にしか電気エネルギーを使わず、減速時にそのうちの何割かを回収するシステムになっているわけだから、電車というのは、輸送機関としてエネルギー的には理想的なものなのだなあとつくづく思ったのでありました。
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小松左京「果しなき流れの果に」の再読を終えた。SFでいうところのパラレル・ワールドをすべて俯瞰できる立場(多次元宇宙の存在)がでてくる。このあたりの説明は、超弦(超ひも)理論の10(または11)次元の話を連想させる。もちろん、小松左京が本書を書いたときには、超弦理論はまだ産まれていないから、あくまでも、パラレル・ワールドSFのアイディアの発展形であり、超弦理論を予見していたというわけではない。当時は未訳だったオラフ・ステープルドンの「最後にして最初の人類」に似た発想である。ただし、ステープルドンは、我々の住むたった一つの宇宙の歴史と人類の段階的発展を描いただけで、小松左京の方があらゆる歴史の可能性を考えている分、発想として大きくなっている。本書のあとがきで、更に大きな時間スケールの小説を書きたいと、小松は書いているが、それは実現されていない。超弦理論や量子力学の多元宇宙解釈という魅力的な理論が物理学に存在している現在、これらの理論をもとに世界を構築して書いたらステープルドンの「スターメイカー」を超える壮大なSFが生まれそうな気がする。
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グラショウ、ワインバーグ、ファインバーグの3人の著名物理学者が、同じ科学技術高校の同級生で、しかも、SFクラブをこの3人で創設した、というのは「セカンド・クリエイション」という本で紹介されていたが、その当事者グラショウの自伝「クォークはチャーミング」(紀伊國屋書店)でも、物理学へと向かう最初の出発点として触れられている。SF作家でもある(この本の後書きでは、サイエンスライターとしてしか紹介されていない)ベン・ボーヴァが共著者になっているのも、このためか。ノーベル賞学者の自伝というのは、案外日本で出版されていて、そのうちの何冊かを読んだことがあるが、このグラショウの自伝ほど、付き合ったガールフレンドについて、正直に書いているのもは珍しい。また、面白いと思ったのは、時々に乗っていた自動車についても触れていることである。ノーベル賞受賞の前年に、候補になっていることを意識して不眠症になっていたときに、ルノーに乗っていたなどというのは面白い。
この本の物理としての話題の中心は、グラショウがノーベル賞をもらった、電弱理論への貢献とチャーム・クォークの予言である。「クォークはチャーミング」というタイトルもここからきている。これらのグラショウの研究は、私が大学で物理を学ぶ直前になされていたものだ。私の入学した大学の物理学科の教授には、「クォークがあるなんて私は信じませんよ」という人もいたが、その時には、クォーク理論を提唱したゲルマンはすでにノーベル賞をもらっていた。統一理論の専門家はおらず、もっとも年の若い助教授が、電磁気学の授業で、ゲージ変換を強調して講義していたことが、唯一、グラショウたちがやったことにつながる内容だった。4年次のゼミでは、最後の方で、量子色力学の入り口くらいをやったが、アイソスピンなるものがどうにもピンとこなかった(だいたいにおいて、電磁気学の理解も怪しく、シュレーディンガー方程式も参考書を見ないと解けない状態だった)。当時最新の実験結果だと言ってゼミの指導教官に見せられたバリオンの共鳴グラフは、数年後に、間違いだということが判明した。
この手の、原子核より小さい世界の話になると、日本人の研究者が何人か登場するが、湯川秀樹、朝永振一郎の二人の仕事は、やはりインパクトがあったのだなあと思う。クォークにつながる発想の最初のものが湯川の中間子論であったし、電弱理論などの統一理論にとって、朝永らの「くりこみ手法」が可能であるかどうかは大事な要素である。因みに今年は、朝永振一郎生誕100周年である。来年は湯川秀樹生誕100周年で、両方を記念した資料展が開かれるそうである。
「万物理論」として、このところ「超ひも理論」(スーパーストリング理論)が話題になっているが、グラショウは、理論に対して懐疑的である。それは実験的な裏付けが全くない初めての物理理論だからである。重力、電弱力、強い力、の統一が可能であることは示されているが、具体的な内容は全くなく、この理論で予言できる物理現象は、今のところ何もない。この理論の可能性を肯定的にとらえて、21世紀の物理学の中心が、あたかもこの理論にあるかのように主張している学者も多いが、実験物理学者のいう当てにならない理論の典型かもしれない。
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・小説
「スタートレック エンタープライズ 名誉の代償」
「あなたを合成します」
「フランス幻想文学傑作選②」
「闘士」
「ブラッドマネー博士」
「ドクター・ブラッドマネー」
「去年を待ちながら」
「時を克えて」
「最後にして最初の人類」
「スターメイカー」
「ザップガン」
「テレポートされざる者」
「ライズ民間警察機構」
「銀河の壺直し」
「フロリクス8から来た友人」
「怒りの神」
「暗闇のスキャナー」(山形訳)
「スキャナー・ダークリー」
「ヴァリス」
・その他
「磁力と重力の発見Ⅱ」
「中国の科学」
「磁力と重力の発見Ⅲ」
「数量化革命」
「環境リスク学」
「ブッダとそのダンマ」
「疑似科学と科学の哲学」
「地球を殺すな!」
「科学が嫌われる理由」
「ニホンザルの生態」
「科学教の迷信」
「科学者とは何か」
「ヤバンな科学」
「現代の物理学2 電磁気学」
「物理・化学から見た環境問題」
「戸田盛和随筆集1」
「素晴らしき特撮人生」
実に偏ったジャンルの本しか読んでいないなあ、とつくづく思う。もっとも、これは今に始まったことではなくって、子供の頃から変わらない。
山本義隆の力作「磁力と重力の発見」を読んで、グノーシス主義やカバラの思想が、近代科学の母胎のひとつになったことがよくわかったのだが、この同じ思想が、ディックの「ヴァリス」の中心テーマに重なっている。年の始めと終わりに読んだ本が、このように共鳴するとは思いもしなかった。2005年の読書のキーワードは、ヘルメス・トリスメギストス!
「環境リスク学」は、是非いろいろな人、特に、政治や行政にかかわる人には読んでもらいたい本。例えば、狂牛病にかかわる現在日本で行われている全頭検査とアメリカで行われている検査とのリスクの差は少なく、そのために余計に使われている税金の多さ(この額の何分の一かを使えば、先進国中日本が突出して高い「はしか」のリスクを減らすことができる)の問題(ついでに付け加えるなら、吉牛が食べられない問題)。環境問題は、相互に関係し合う要素が絡み合っていて、リスクそのものを見積もることは難しいのだが、そのリスクを見積もることすらせずに、科学的な議論よりも、政治的な力加減で、環境にかかわる諸法律や諸政策が決定されてしまう問題。環境保護団体の言っていることは一面では正しいが、我々が生きていくのに存在する他の様々なリスクとの比較がきちんとなされているとは限らない。現在の日本が抱える最大の問題を指摘した本だと思う。
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