2025/07/03

26年目の不具合

 自宅を新築した時に太陽光発電も始めたのだが、このところ発電量が普通の状態の半分以下になってしまっているのに気が付き、ヘーベルハウスのメンテナンスに連絡を取って、調べてもらった。25年以上で不具合は、パワーコンディショナーの発電量表示切り替えスイッチが使えなくなったことが1回あるだけ。保証期間の2,5倍の時間が経過しているので、そろそろ寿命であろうと覚悟した。

 調べてもらった結果、太陽光パネルの2系統のうち片側がまったく発電していない、ということであった。太陽光パネルは、まだ同じ型番のものがあって、取りかえることは可能であるとのこと。取りかえる場合は、すべてのパネルを取りかえてパワーコンディショナーも取りかえることになる。かなり金額のかかる話になるので、1系統が生きているので、こちらが生きている間はそのまま使用するということにした。

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2025/06/20

電脳の歌 スタニスワフ・レム

 スタニスワフ・レムの新刊「電脳の歌」を読み終えた。

 量子力学を学んでいた頃、本書の中核をなす「トルルルとクラパウツィウスの七つの旅」が「宇宙創世期ロボットの旅」というタイトルで集英社から出ていたのを読んで、今回の翻訳では「探険旅行その三、あるいは確率の竜」と題されている短篇に、笑い転げてしまった。量子力学が「竜子力学」(あるいは素粒子論が「素竜子論」)と呼べるものに翻案されていたからである。理解に苦しむ量子力学の根本の発想が、これほど面白い「おとぎ話」に換えられていた痛快さ。この瞬間に、自分にとってのSF作家のナンバーワンはレムだ、となって、その評価は今でも変わらない。この新訳で読み直したわけだけれど、40年前ほどには面白さを感じなかった。それは、量子力学の理解が自分の中で進んでしまったためか、それとも、この間に量子力学ネタの小説・映画をたくさん目にするようになったためか。今回読み直すと他の短編で現在の量子情報理論につながるものもあるのに驚く。この短篇集の作品は、1作を除いて主に1965年に書かかれていることも驚異である。現在の情報と物理学の重なり合い、最先端の科学技術の話題がすでに語られているのである。

 例えば、「探険旅行その六、あるいは、トルルルとクラパウツィウス、第二種悪魔を作りて盗賊大面を打ち破りし事」の第二種の悪魔は、マックスウェルの悪魔の本質を明確にしたシラードのエンジンに似ている。実は、シラードのエンジンなるものは最近、情報と物理学の関係の雑誌記事を読んで知ったので、昔読んだ時に比べるとこの短篇は面白く感じられた。1965年にシラードのエンジンを知っていたと思われるレムは、時代に先駆けた感覚を持っていたのだろう。シラードがこのエンジンについて最初に発表したのは1929年だけど、自分が物理学生だった頃はあまり話題になっていなかったが(逆に、情報のエントロピーと熱力学のエントロピーを同一視するのは危ないという注意の方がなされていたように思う)、このところ情報は物理だという考え方が一種の流行になっていて再注目されているのである。

 完全な初紹介の「ツィフラーニョの教育」は訳者泣かせの言葉遊びが特徴。特に「一人目の解凍者の話」は音楽用語が中心になったもので面白い。「二人目の解凍者の話」はどこが面白いのだろうか、と思って読んでいるうちに、唐突に終り、それで、この短篇も終わってしまう。はしごを外されて宙ぶらりんの状態に読者は置き去りにされる。何か深い意図はあるのかないのかも不明のまま。これもレムだ。

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2025/01/09

D.ボームには手を出すな!

 暮れにNHKで「量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」を見て、買ったきり放置していたルイ―ザ・ギルダー『宇宙は「もつれ」でできている』(ブルーバックス)を読んだ。
 学生時代、量子力学を学び始めた頃、ボームの「量子論」(隠れた変数理論)には手を出してはいけない、みたいな話があったのを思い出す。ランダウ=リフシッツの教科書が一世を風靡していた時代だったが、量子力学演習担当の助手は「ランダウの教科書では量子力学は使えるようになっても本質の理解はできない。朝永振一郎を読め」といい、量子力学の担当助教授は「朝永さんのはスピンの話がないのが欠点。もっとも間違いが少ないと言われているディラックの本でもここは間違っている」といい、和文タイプ打ち・数式手書きのプリント(ランダウをもうすこしかみ砕いた感じ)を作って講義していた。ベルの不等式についてのアスペの実験はちょうどそのころ行われていたのだが、話題にする先生はいなかった。
 その当時のクラスの指導教官だった助教授の息子さんが研究者になって「入門 現代の量子力学 量子情報・量子測定を中心として」という現在の量子力学の最先端がわかる本を書いている。これは3年くらい前に読んだが、量子力学は情報理論であるという立場で書かれていて、波動関数の収縮はない、観測により世界が分岐することもない、という説明は、波動関数は確率分布にすぎないのに観測したら「収縮する」という考え方を受け入れることができなかった自分には、腑に落ちるものであった。
 NHKの番組の方は、妻も一緒に見ていたが、「量子もつれ」の説明を見て、これは「もつれ」てないんじゃない、と言った。遠く離れた二つの粒子を測定して片方がAならもう片方もAになる、という遠距離相関(いわゆる非局所性)が強調されていたためだろう。

(補足)
 『宇宙は「もつれ」でできている』を読んで一番面白く思ったのは、ベルの不等式が成り立っていることを初めて実験で示そうとしたクラウザーの装置に、映写機に使われるフィルム送りの間欠動作を司る歯車が使われていたこと。この部分はNHKの番組では触れられていなかったと思う。
 さらに映画がらみでいうと、オッペンハイマーがボームの隠れた変数理論を取り合わなかったこと(ボームはオッペンハイマーの弟子で、オッペンハイマーの査問会に証言者として呼ばれ、自分たちが不利になる質問に対しては黙秘権を行使したが、合衆国にはいられなくなった)に対して、「ビューティフル・マインド」のモデルになったジョン・ナッシュがプリンストンでオッペンハイマーとやりあい、それが最終的な引き金になって、精神に変調をきたしたことも初耳で面白かった。

 

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2024/12/31

2024年に劇場で見た映画

 今年、劇場やそれに準ずる所で見た映画は74本。うち短篇が10本。旧作のリバイバル上映が14本(午前十時の映画祭で「宗方姉妹」「小早川家の秋」「ネットワーク」「チャイナタウン」など、「ショコラ」「フォロウィング」も見た。アニメでは「千年女優」「雲のむこう、約束の場所」「火垂るの墓」「ルパン3世カリオストロの城」など(前2本は初見))。新型コロナ感染症のため配信という形で公開されただけだったディズニーの長編が2本(「あの夏のルカ」「ソウルフル・ワールド」)。地元開催のしずおか映画祭で劇場では見ていなかった「わが母の記」。こういう旧作の方が心に残る1年だった。

 で、今年の新作映画で自分の好みのベスト10(順不同に近いがなんとなく気に入った順)

1 流転の地球-太陽系脱出計画-
2 DOGMANドッグマン
3 ロボット・ドリームズ
4 めくらやなぎと眠る女
5 リンダはチキンがたべたい!
6 デューン砂の惑星PART2
7 画家ボナール ピエールとマルト
8 憐れみの3章
9 瞳をとじて
10 オッペンハイマー

次点(10番目とは入れ替わってもいいかもと迷った作品)
  マッドマックス:フュリオサ
  きみの色
  お隣さんはヒトラー?

 10番目が「オッペンハイマー」になったのは、NHKで「量子もつれ」の番組を見て、そういえば来年は量子力学100年だと思った影響が出たかも(量子物理学の立役者たちがこんなにたくさん登場する映画は他にない)。

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2024/12/07

暦の上では12月、ロボット夢見るセプテンバー

 シネマサンシャイン沼津で「ロボット・ドリームズ」を見てきた。アース・ウインド&ファイアーの「セプテンバー」を使っているのに、おお、と思う。一切セリフのないこの映画で、この曲の歌詞がセリフ替わりでもある。もう一度この曲が印象的に使われるのに感激。この曲をこのように使っていることだけで大好きになってしまう作品である。実写映画的なカット割りが良い。タイトルの「ドリームズ」は名詞ではなくて動詞であることに途中で気づく。画面の片隅で色々オマージュを捧げているようなのであるが、その中にマジンガーZがいるように見えた。

 スペインの実写映画監督がアニメも作る、ということでは、フェルナンド・トルエバの「チコとリタ」(2010年)というキューバ出身のジャズ・ピアニストを描いた作品を思い出す。この作品はとある映画祭で一度上映されただけで一般公開されなくて、輸入盤DVDで見たのだけれど、音楽と一体となったアニメーションが心地良かった点では、「ロボット・ドリームズ」と共通する。スペインのアニメーターでこの両方に関わったという人はいるのかな?

 

 この映画を見た日、サングリア沼津店に行き家族でスペイン料理ランチ。サングリア沼津店が来年の1月半ばに閉店してしまうと聞き、妻の還暦祝いを兼ねて、閉店を惜しんだのであった。スペインが主な舞台の「サラゴサ手稿」も読んでいるところなので、スペインな半日であった。

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2024/04/08

オッペンハイマーの二重性

 クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」見てきた。3時間が長く感じられなかったのは、大学時代に物理を学んでいた時に知った凄い科学者たちが次から次へと出てくるからか。全くセリフがなく名前も呼ばれない、ボンゴを叩く若い科学者が出てくるのは、物理系の人にはすぐに誰だかわかるよね的なトリビアか(ファインマンである。今、「ファインマン物理」読んで物理の学び直しをしている最中)。ということで、ある程度オッペンハイマーについて知っている人間は、ノーラン特有の時系列が入り乱れる展開でもついて行けると思うが、登場する科学者についてはアインシュタイン位しかわからん一般的な日本の観客にはどうなのだろう? 日本公開が遅くなったのは原爆に関する扱いというよりも、案外この部分ではなかったのだろうか。

 ルイス・ストローズの査問の様子がこの映画における「現在」として扱われていることから思うのは、20世紀のアメリカ合衆国史において最大の汚点は、原爆の日本への使用ではなくて「赤狩り」だった、と多くのアメリカ人は考えてるのではないかということ。広島や長崎の被爆の状況が直接描かれないのは、オッペンハイマーに関する映画だからだということで納得は可能だが、オッペンハイマーが自責の念に囚われる悪夢的なシーンにもそれがないことからもそう思う。

 オッペンハイマーの物理学者の業績としてブラックホールについての最初の論文が出てくるが、なぜ、湯川秀樹の中間子論を欧米の科学者の中でいち早く評価して、中間子論を発展させる論文を書いたことには触れなかったのか。戦後、日本への贖罪かのように湯川のノーベル賞受賞に動き、プリンストンにも招いた、ということに全く触れていないのは、原爆の惨状を直接表現してないのと同様に、残念なことである。

 最初の方で量子力学における粒子性と波動性のイメージシーンが出てきて、ちょっと普通過ぎる視覚化と思った。その後も何度か出てきて、これは、オッペンハイマーその人のことをも象徴しているのだと思い至った。粒子性と波動性のように両立するとは思えないもの(愛国者とコミュニスト、ジーンとキティ、研究者生活と家庭生活、原爆開発者と水爆反対者、科学的成果の公表と軍事機密の守秘義務等々)がオッペンハイマーという人物に付きまとう、ということを、ノーラン監督が描きたかったのだ。これもまた、ノーランらしさ。

 そのノーラン監督の処女作「フォロウィング」が上映されるようになったので見てきた。処女作にはその作家の総てが胚胎されていると思うことが多いが、まさにそういう作品だった。ノーラン作品の特徴の総てがこの中にあり、この処女作が一番面白い、と思ってしまう。

 

 「オッペンハイマー」を見てマンハッタン計画を詳しく知りたくなった人には、リチャード・ローズの「原子爆弾の誕生」を読むことを勧めたい。上下2巻で、2巻とも分厚いが、原爆開発を科学的な原理からきちんと書いている本は他にない。

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2024/03/28

砂の惑星と流転地球

 SF映画の大作を2作「デューン砂の惑星PART2」「流転の地球 太陽系脱出計画」を見てきた。その感想。

「デューン砂の惑星PART2」は公開されるのを待ていた作品だった。前作と同様に原作を丁寧に映像化していて、これで最後まで描かれるのかと思ったら、原作とは違った展開になり、この続きが見たいと思うちょっと驚くラストシーン。全体を通して思うのは、同じ監督の「メッセージ」にも通じる、未来がわかっていても、今この瞬間の自由意思で望む未来を切り開けるはずだということ。映像表現としては、砂虫を乗りこなすシーンが白眉なのであるが、新鮮な驚異を感じないのは、原作小説の影響下に生まれた多くの映画(トレマーズ・シリーズその他、「風の谷のナウシカ」など)で似たシーンをすでにみてきたためだろうな。

「流転の地球 太陽系脱出計画」は全然知らなかった作品だが、シネプラザ・サントムーンで上映されていて、「三体」の作者の短篇が原作だというので見に行った。映画では初めて見る宇宙エレベータや、月面での作業のシーンで「SFは絵」だからこういう「絵」が見たいというショットがあって、久々の宇宙SF映画の快作だと思った。東宝特撮映画を思わせる部分もあり、メインストーリーは「妖星ゴラス」のパワーアップ版だなと思う。これに絡むサブストーリーは「2001年宇宙の旅」的なAIの話。今年の午前十時の映画祭に「妖星ゴラス」が選ばれたのはこの作品があったからなのかな、とも思う。原題には最後に2が付いているので1があるわけだけど、日本での公開は? 1を見ないでも十分見れる映画ではあるけれど。調べてみたら、1はこの作品の後の時代の出来事を描いたものらしい。

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2024/02/03

「哀れなるものたち」小説と映画と

 映画を見る前に原作の小説を読んでおこうとアラスター・グレイ「哀れなるものたち」を一気に読了。一筋縄ではいかない「哀れなるもの」とは何(誰)か。それを映画ではどう切り取って表現してるんだろうか。すごく楽しみだ。映画を見た人が、何じゃこれ、と思うならそれはそれで原作通りともいえる。

 アラスター・グレイの小説は「ラナーク」を読んだことがある。4巻からなる作品だけども、3巻から始まるという不思議な作りの作品で、画家でもあるので、奇妙な味わいの自作のイラストもたくさん入っている。巻頭のこのイラストに、人体解剖図のようなものがあり、これは「哀れなるものたち」につながるイメージ。1,2巻と3,4巻で違う話になっていて、最後の方で、これは親子の話であって繋がりがあるらしいとなんとなくわかるというもの。この不思議な、SFでもありミステリーでもありゴシック・ロマンでもあり、作者の自伝的要素もある実験小説は読んでいて面白かった。

 そのグレイの作品を原作とした、「ロブスター」というこれもまた奇妙な印象に残るSF映画のヨルゴス・ランティモス監督の映画である。これは、見逃してはいけないと、原作を読み終えた次の日に見てきた。原作では手紙の書き方や内容の変化で表されている、主人公ベラ・バクスターの幼児から大人の女性への精神的成長を、エマ・ストーンが見事に演じているのが凄い。その演技以上に、良いと思ったのは、不安を掻き立てるような音楽。フランケンシュタイン物と思わせといて実は・・・という部分は原作より弱くなっているのがちょっと残念。原作は、ありえない物語を実際に起きたことだと思わせるための仕掛けがなされているが、映画の方では、寓意的ファンタジー世界の画作りであった。

 色々なところが原作から改変されているが、まったく違っているのはクライマックスのシーン。この改変はそれなりに理解できる(原作の対応する部分はちょっとモタモタ感がある)が、このクライマックスに至る直前のパリの娼館でのエピソードで、フェミニズム観点から原作を切り取っているように思われるのに、男性医師による性病定期検査をカットしてしまったのはなぜだろう。主人公の自覚の強さを示せるし、監督好みの衝撃的映像も作れるのに。

 原作は、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」のようでいて、H.G.ウエルズへの意識も相当にあると感じるのであるが、映画では、それが直接的には表わされていない。ただ、ラストシーンでそれを暗示しているようには思われる。

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2023/12/31

またまたCS映画の日々

 今年1年もCSの映画チャンネルで、劇場公開時に見落とした映画やら、昔からタイトルは知っているのに見たことのなかった映画、地元の映画館ではかからない映画など、170作見た。昨年より本数が減っているのは、町内会長の仕事のためか。

 西部劇をずっと見続けているけれど、一向にこれは見たという状態にならないくらいに初めて見る作品が放映されている。その中では「戦う幌馬車」が「サボテン・ジャック」のカーク・ダグラスの元ネタだというのが分かって長年の疑問が解消された。マカロニウエスタンでは「群盗荒野を裂く」が二転三転するストーリー展開で傑作であった。昨年クリント・イーストウッド出演のものはだいぶ見てしまい、ジュリアーノ・ジェンマ出演ものを何作か見た。その中では「荒野の大活劇」が、銀行家のじゃじゃ馬娘と悪人になり切れない兄弟のコメディで面白かった。コメディ西部劇ということではディーン・マーチンとアラン・ドロンの「テキサス」も楽しい。

 アラン・ドロンの作品もいくつか見た。以前見たのだが、ほとんど初めて見るのと同じだった「レッドサン」と「太陽がいっぱい」。後者はやはり傑作である。

 今頃になって初めて見たというのが「合衆国最後の日」「恐怖の報酬」(1977年ウィリアム・フリードキン監督版)。どちらももっと早く見ておくべきだった。後者はオリジナルのクルーゾー監督作と勝るとも劣らない作品になっている。「用心棒」のギャング版「ラストマン・スタンディング」やオックスフォード辞典編纂の裏話「博士と狂人」、中国映画の「山の郵便配達」(犬がいい)、伊丹十三の「マルサの女」も同様である。

 劇場公開時に見に行こうかと思ったが結局見に行かなかったので、やっぱり見に行っておくべきだったと思ったのが「ケイコ目を澄ませて」「オートクチュール」「MINAMATAーミナマタ」「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」。「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」で問題になっている汚染物質の仲間は規制されないまま、浜松や清水でも問題になっている。

 監督特集として放映されたものでは、トリュフォー監督の「ピアニストを撃て」「日曜日が待ち遠しい!」がやはり面白い。ジャック・リベットやシャンタル・アケルマンというよく知らなかった監督作品も見た。中国のジャ・ジャンク―監督も知らなかった監督だが、田舎から都会に、あるいは、開発が進みつつある地域への出稼ぎの実態を知ることができ、「雄獅少年/ライオン少年」を理解するのに役立った。ヴェンダース作品もだいぶ見たが「アメリカ家族のいる風景」が一番面白かった。

 インド映画も見たが、戦いと争いのアクション作品よりも、貧しい高校生たちをインドの東大と言われる大学に合格させる「スーパー30 アーナンド先生の教室」がいい。自転車がしゃべり「荒武者キートン」に言及する「あなたがいてこそ」もいい。総じてインド映画を見てしまうのは、ヒロインがやせすぎていなくて健康的な美女であるということも大きい。

 SFやサメ物、古典ホラーのリメイクなども見たが、その中では、イタリアのエロ・コメディSFの「セックス発電」のオチが面白かった。本当はこういうジャンルの作品の方が好きなのだが、なんだかいまいちな作品が多かった。

 年末になって、渥美清の寅さん以前の作品、「喜劇 急行列車」「喜劇 団体列車」「喜劇 初詣列車」「ブワナ・トシの歌」を見た。アフリカロケの「ブワナ・トシの歌」がやはりいい。この映画に写っているアフリカの光景もどれだけ残っているのだろうかと思う。列車シリーズは、佐久間良子の美しさに目が行くが、「団体列車」「初詣列車」に「キャプテン・ウルトラ」のアカネ隊員を演じた城野ゆきが出ているのが嬉しかった。アンヌ隊員よりアカネ隊員の方が好きだったのですよ。人情喜劇というよりサイケの時代を反映したスラプスティック喜劇の「初詣列車」が一番好みだ。今年亡くなった財津一郎もいい味出している(「ブワナ・トシの歌」のギャグもある)。
 

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2023/01/06

フライシャーについての新しい本

Dsc_0846hs_001 `MADE OF PEN & INK:FLEISCHER STUDIOS THE NEW YORK YEARS' by G.MICHAEL DOBBS が届いた。表紙の見かけが 'The Art and Inventions of Max Fleischer'に似ているので最初amazonで見つけたときはこの本は持ってると勘違いし、その後見直して新しい本と気づいてあわてて注文したものだ(注文したのは日本のアマゾン)。著者は、アニメ雑誌Amimato!やAnimation Planetの編集発行人だった人。自分と同世代でTVでポパイなどに熱狂し、大学時代に上映会で再見してフライシャーについての本を書こうと思たち、デイブ・フライシャーやリチャード・フライシャーなどと連絡を取り、当時健在だった多くの関係者にインタービューし、特に、アニメーター/演出家のマイロン・ウォルドマンMyron Waldmanの協力を得て、1990年には出版されていたばずだったものが、さまざまな経緯で今になってしまったもの。続刊も準備中とのこと。これから本文を読もうと思うが、これまでに出版されているフライシャー関係の本にはない視点が得られそうな本である。
 フライシャーについての本と言えば、まず、Leslie Cabargaの'THE FLEISCHER STORY' が思い浮かぶが、この本はデイブ・フライシャーからしか協力が得られておらず、マックス・フライシャー側からすれば問題のある記述があった(改訂版では多少修正されている)。マックス側の視点で書かれたものとしては、マックスの息子のリチャードが書いた「マックス・フライシャー アニメーションの天才的変革者」Out pf the Inkwell があるが、ドブスDobbsによれば、ベティ・ブープに関しての記述には何か所か間違いがあるという。この本自体もドブスとリチャードとの共著という話もあったようだが、晩年のリチャードが父への思いを込めた本にしたいということで共著にはならなかったそうだ。リチャード・フライシャーが日本でもファンがかなりいる映画監督でその遺作となった著書であり、かつ、ジブリ配給で「バッタ君町に行く」が公開されることもあってか、原著が出版されてすぐにと感じるタイミングで邦訳が出た。ドブスの本もそのうちに翻訳出版されてほしいと思う。
 

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