2018/09/16

ハロウィンがやってくる

Dsc06434

 4年位前にネット上で、ディズニーやワーナーの作品で声優としても有名なコメディアン、ビリー・ブレッチャーが主演(というか一人芝居)した、実写・アニメ合成特撮コメディ'THE FRESH LOBSTER'を見つけてこれは凄いと思った。それで、この作品が入っているDVDが欲しいと、探してみたら、"GROTESQUERIES"という怪異な短編映画を集めたものに入っていて、即買ったのであった。
 'THE FRESH LOBSTER'は期待にたがわない怪作だった。アレクセイエフの「禿山の一夜」なども入っていたので買って損はないものだったが、もともとのフィルムの状態も良くなく、それをそのままテレシネしているだけのような低画質であった。だから、もう少しまともな会社から画質の良いものが出たらいいのに、と思っていた。
 それが、 CARTOONS ON FILMというところから"CARTOON ROOTS HALLOWEEN HAUNTS"というタイトルのブルーレイで出たのである。これは買うしかないとかなり前に買ったのだが、先日、やっと見ることができた(いつものパターン)。

1 THE HAUNTED HOTEL 1907年 J.Stuart Blackton
 アニメーションの祖のひとりブラクトンの物体アニメである。「幽霊ホテル」としてアニメーションの歴史書に載っている作品。自動的にトランクなどの荷物が運ばれて行ってしまう、とういことだけならいいが・・・。

2 THE PUMPKIN RACE 1907年 Romeo Bosetti
 これも実写物体アニメを使ったコメディ。アニメーションのシーンは1よりずっと少ない。巨大なカボチャが馬車の荷台から転がって村中を転げまわる、というだけの作品。

3 OUJA BOARD 1920年 Dave Fleischer
 インク瓶小僧(道化師ココ)シリーズの一編。OUJA BOARDというのは、日本のコックリさんである。黒人の召使が勝手にこのボードを使ったために、とんでもないことが起こるという話。1,2のような物体アニメもある。一見の価値あり。

4 JUST SPOOKS 1925年 Walter Lantz
 フライシャー兄弟とともにブレイ・スタジオにいたランツの初期作品。作品の構造は、フライシャーのインク瓶小僧シリーズと同様。ランツが描いたキャラクターが画面から飛び出して・・・である。実写アニメ合成シーンもあり、この手法の本家フライシャーの3より面白く感じる。ディンキー・ドゥードルDinky Doodleシリーズ作品。

5 KO-KO SEES SPOOKS 1925年 Dave Fleischer
 再び、インク瓶小僧シリーズの作品。ココがお化けに出会うという話。

6 ALICE'S MYSTERIOUS MYSTERY! 1926年 Walt Disney
 ディズニーのアリス・コメディ。ミッキー・マウスに近いデザインのネズミが悪役で登場している。フェリックスみたいな猫とアリスがソーセージ工場の謎を解決する・・・?

7 SLICK SLEUTHS 1926年 Dick Huemer
本作の1930年のカラー・リメイク版が「マットとジェフの珍探偵」「小粋な探偵」という日本語タイトルで収録されているDVDが発売されている(いた?)。本国でもこちらのバージョンが有名だが、そのオリジナル黒白サイレント版。探偵のマットとジェフが幽霊を追いかける話。廊下の左右に並んだドアを出たり入ったりする典型的なギャグがある。

8 PETE'S HAUNTED HOUSE 1926年 Walter Lantz
 4と同様ランツのディンキー・ドゥードル・シリーズ作品。これも面白い。ブレイ・スタジオ時代のランツ作品は他のDVDでも見て面白いと思ったことがある。アニメ製作者としてスタートしたばかりなので、いろいろアイディアをぶち込んで作ろうとしていて、何が起こるかわからない楽しさがあるのである。

9 SURE-LOCKED HOMES「フェリックスのシャーロック・ホームズ」 1928年 Otto Messmer
 日本発売のDVDで見たことがあるので、オチが分かってしまうと怖さ半減という話である。典型的なデザインの中国人の洗濯屋が出てくる。当時、中国からの移民の多くの職業は洗濯屋だったという時代背景の反映。
 
10 THE FRESH LOBSTER 1920年代 出演Billy Blecher
 "GROTESQUERIES"の解説では、1928年作、後に音楽がつけられて1948年に再公開となっていたが、1928年作とは同定できないようで、1920年代作という表記に変わっていた。A Billy Bletcher Hilarity(ビリー・ブレッチャーの大騒ぎ)と副題がつけられた実写アニメ合成(ありとあらゆる特撮技術が使われている)のサイレント・コメディである。チャーリー・ボワーズの「イッツ・ア・バード」It's A Bird(1930年)と並ぶアニメーションと実写コメディを結合した注目作である。
 収録作は48年版で、プロデューサーMax AlexanderとHarvey Pergament、音楽Rex Dunn、撮影Harry Forbesのクレジットが出るが、監督やアニメーション担当の名前は出ないので、これだけの技術を盛り込んだのが誰か不明である。
 夜食に食べたロブスターが体内で暴れだし、体外に出て巨大化して、ビリーを襲うというお話である。

11 THE WITCH'S CAT 1929年 KODAK A Kinex Studios Production
これも制作者についてはよくわからない作品。人形アニメであるが、一部に粘土が使われていてメタモルフォーゼするシーンがある。立体のフェリックスという感じの黒猫が主人公である。

12 THE HAUNTED SHIP 1930年 John Foster & Mannie Davis
 ヴァン・ビューレン・スタジオのイソップ・シリーズの作品。このスタジオの特徴でもあるのだが、腕の立つアニメーターがやったシーンが時々現れて、このシーンの作画は凄いと感動してしまうのである。舞台はディビー・ジョーンズの幽霊船(パイレーツ・オブ・カリビアン!)である。

13 SKULLS AND SCULLS「フェリックスのボートレース」 1930年 Otto Messmer
 9より面白い。よく動く。頭蓋骨とボートの漕ぎ手を示す言葉の発音が同じことから発想しただけの作品だが、このダジャレに案外センスを感じたのである。

14 WOT A NIGHT 1931年 John Foster and George Stallings
 ヴァン・ビューレン・スタジオのトムとジェリー・シリーズの作品。ネコとネズミではなく、のっぽとちびの二人組の人間キャラクターが主人公である。アイワークス的な骸骨の踊りをやってみたかったのだな。これも時々、凄いと思うシーンがある。

15 BOLD KING COLE「勇敢な王様」 1936年 Burt Gillett
 ヴァン・ビューレン・スタジオのレインボー・パレード・シリーズのフェリックスである。なぜか、これだけカラー作品である。日本で売られているパブリック・ドメインDVDより画質はいい(キズの修復とか手をかけたようである)。


Dsc06435


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/09/14

フライシャーの珍品・貴重品

Dsc06432

ThunderBeanから出たBD、'FLEISCHER RARITIES'をスナフのBDに続いて見た。これまでビデオ・ソフト化されていなかった珍しい初期作品(科学映画を含む)や石油会社テキサコ等の企業CF、さらには、パラマウントにスタジオを奪われてしまう形になったマックス・フライシャーがジャム・ハンディのスタジオに入って制作に参加した作品(どの部分をマックスが作ったんだという作品ではある)、フロリダのフライシャー・スタジオで仕事をしていたアニメーターが、スタジオ閉鎖後に作ったマイアミ紹介観光アニメなどなど。でもなぜか、よく見かけるベティ作品も入っている(エッセンシャル・コレクション全4巻に収録されてないものを、少しは知られている作品が混じていた方が良いということで、入れたような感じだ)。

1 ALL A BOARD FOR (A TRIP TO) THE MOON 1920年
 月世界旅行を当時の知見に基づいて映像化した科学映画。実写に図解のアニメが混じる。重力についての説明が詳しいが、一般相対論までは踏み込んでいない。月へ行くロケットのエンジンにはラジウムが使われている(原子力エンジン!)。クレーターや切り立った崖の表現が有名なSF画家チェスリー・ボーンステルを連想させる。
2 INKLING(#12) and SNIPSHOTS No.2 1925年
 これは当時舞台などで演じられていたと思われる、一種のだまし絵や切り絵の芸をそのまま映画にしたもののようだ。もちろんアニメーションになっている部分もある。
3 CHRISTMAS SEALS ADVERTISING FILM 1925年
 仕事して遊んで、健康のために8時間寝るというお話。フライシャーの元にいたディック・ヒューマーDick Huemerの作だが、フライシャーの会社(Inkwell Films)で作られたかどうかはよくわからないと解説にある。
4 KOKO SALUTES 1925年
 道化師ココの兵隊さんである。大砲や戦車といったメカの表現がフライシャーらしい。
5 MY OLD KENTUCKY HOME 1925/26年
 フライシャー初のサウンド作品。いわゆる「小唄漫画」、バウンシングボールといっしょに歌おうというものである。リフの部分では、ボールが弾むのではなく洗濯物を干して取り込む人間のアニメになる。この時点ですでにこうだったのか、とびっくりした。
6 KO-KO IT'S THE CAT'S 1926年
 実写の猫、人形(アニメ―トされる)とアニメの合成作。どうやって撮影したんだ、とびっくりした。猫好きカートゥンファンにはお勧めの一品である。
7 FINDING HIS VOICE 1929年
 映画に音をつける方法を説明した作品。
8 HURRY DOCTOR! 1931年
 テキサコの企業PRアニメ。初めの方で背景に看板がいくつか出てくるがテキサコだけがはっきりと読めるようになってるんで何なんだと思ったら、テキサコの宣伝だったとわかる作品。エンジンがかからなくて死にそうに苦しむ車って、ベティの作品にもそんなのがあった気がする。ミッキー・マウスみたいなネズミが出てくる。
9 LET'S SING WITH POPEYE 1933年
 ポパイのテーマをバウンシングボールの指示で歌おう、というアニメ。ポパイの第1作が公開されたのと同じ年に作られているということは、ポパイの人気が相当なものだったという証拠。
10 BETTY IN BLUNDERLAND 「不思議の国のベティ(ベティの鏡の国訪問)」 1933(1934?)年
 これはそれほど珍しい作品ではない。画質はいいよ、ということなのかな。解説には、この時期のフライシャーらしさの代表作と書かれている。
11 THIS LITTLE PIGGIE WENT TO MARKET 1934年
 これも、スクリーンソング(小唄漫画)のシリーズの一編。当時のニュース映画のパロディになっている。Singin'Samが実写で登場。
12 DANCING ON THE MOON 「月へハネムーン」1935年
 この作品だけカラーである。1の科学的月世界旅行よりは漫画的だが、月世界の表現は同じようにリアル。背景の立体セットに目を見張る。これも他のDVDで見たことがあるが、色がきれいでこんなに手が込んでいたのか、と思う。カラークラシック・シリーズ中の傑作のひとつ。
13 MUSICAL MOUNTAINEERS「ベティと陽気な音楽隊」 1939年
 ベティの最終作。山奥の村で村人たちの大演奏会。これも以前見たDVDよりも画質がいい。
14 THE VACATIONER'S PARADISE 1942年
 マイアミ・ビーチの観光案内アニメ。それ以上でもそれ以下でもない。
15 NEWS SKETCHES 1944年
 ジャム・ハンデイ制作のマックス・フライシャー参加作品。2や4の初期作品のように絵を描いていくうちにアニメーションになっていくという、なんか時代を間違えてしまったような作り。

Dsc06433


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/07/01

熱海国際映画祭

Kimg0036_3

 6月30日、熱海の国際映画祭に行ってきた。熱海で国際映画祭をやるということはだいぶ前に聞いてはいたが、どんな内容かは最近までわからず、10日ほど前に「熱海怪獣映画祭」(10月27日開催)の告知イベントのトークショーあるということを知り、さらに、映画祭ホームページで、コンペ短編作品の中に、マーヴ・ニューランドなどのアニメーション作品が5本ほど含まれていてSF映画の面白そうなものもある、ということで急遽出かけることにしたのだった。

 参加したプログラムは以下の通り。

Kimg0034_2

コンペ短編作品(熱海商工会議所)
 9:30~11:30
 トゥートラムスTWO TRAMS 監督:Svetlana Andrianova ロシア
  立体アニメではあるが、人間のキャラクターは切り紙で、主人公の2台のトラム(路面電車)はほとんど平面的なデザイン。このデザインがこういう表現もあるかというセンスの良さを感じる。若いトラムが先輩トラムに色々指導されて仕事を覚え、逆に、先輩が年老いて悲観した時に立派に成長したトラムが助ける、というお話。

 カラーケージColour Cage 監督:Daniel Reascos エクアドル
  モノクロ世界に住む主人公。工場の機械で光を当てて何か不思議な製品を作っている。ある日、なぜか赤い色が付いた製品ができる。この色に興味を持った主人公が機械を調べ、どんなものでも色付けることができる光線銃のようなものを発明する。これをいろいろなものに向けて色を付けていき、ついに隣に眠る妻に向けて使用するが・・・というお話。やっぱり画期的な発明は人間に使用してはいけませんな。

 スクラッチーSCRATCHY 監督:Marv Newland カナダ
  2012年の広島アニメフェスで審査員を務めた、かのマーヴ・ニューランドの新作、広島アニメフェスのホームページの審査員紹介に制作中と書かれていた作品である。いわゆるPVだが、歌の歌詞もニューランドが書いており、その歌詞からしてへんてこりんなので、その可視化であるアニメーションも、いつものように人を食ったニューランド節。某有名キャラクターが、顔は見せずにその有名な部分だけを見せて登場する。もしニューランドが来ていたら話が続くようにとカートゥーン・キャラクターのTシャツを着ていったのだが、制作者はドンピシャだったがキャラクターがちょっと違ってしまった。その上、本人も来ていなくて残念。

 ザ ナルDER NARR 監督:Korinna Herzig ドイツ
  ピエロの化粧をして夜の街を歩き回る主人公。子供達にはサーカスの宣伝と思われ、落とし物を渡そうとした女性には痴漢撃退用のスプレーをされてしまう(この女性はスティーブン・キングの小説かその映画化作品を知っているに違いない)。ただピエロの化粧をして普通に歩いているだけで、様々な反応が起きてしまう人間心理の不思議さをドキュメンタリー・タッチで見せている。

 サウザンド・キスA THOUSAND KISSES 監督:Richard Goldgewicht ブラジル
  ナチスが台頭するドイツから、まずユダヤ系ポーランド人であった男がリオデジャネイロへ移住する。ドイツに残った恋人(ユダヤ系ドイツ人)が1年ほど遅れて出国しリオで再会するまでやり取りした手紙を基に、当時の絵葉書を連想させるような絵柄でアニメーション化した作品。ユダヤ人迫害がひどくなりつつある様子は直接的には描かれていないが、本当に再会できるのかというサスペンスを感じさせる。家族が生きていくのに厳しい時代を、淡々と当時の事実を踏まえて過度に強調することなく描く「この世界の片隅に」のような作品が世界中で作られているのだなあ。

 コールド・ストレージCOLD STRAGE 監督:Thomas Freundlich フィンランド
  氷原に住む男が氷漬けの原始人を発見し、溶かしてみたら生き返り、生きている喜びを共に分かち合う。ただそれだけの作品だが、ラストシーンのオチのワンカットで妙に心に残る作品だ。

 ザ・トンネルDer Tunnel 監督:MarkSchmidheiny & Christoph Daniel ドイツ/スイス
  いつもの列車に乗ったけれど、普段と違ってトンネルに入ったきり出る様子がないのに不安になった男が行動に出るが・・・という話だが、ちょっとかったるい。軽く居眠りをしてしまい、気が付いたら、突然終わってしまった。だから、これ以上のことが書けないのです。

 ウィーンWEEEN 監督:Nils Vleugels ドイツ
  テレビCM(シマウマとお相撲さんが出てくる、それなりに話題になったものという設定)制作にかかわっている男が産気づいた妻を病院に連れていき、初めての子供が生まれるのを、期待と不安がないまぜになりながら待つ。自分の子供が生まれる時のことを思い出しながら見たが、モーションをかけてくる看護婦なんて信じられるか。男の幻想か。

 つくるということ 監督:矢野数馬
  美しく画面が緻密な計算のもとに編集されて連続している。蒼井優はナレーションだけか、と思ったら、クレジット・タイトル後のシーンに出てきた。他の国の作品に比べて、音楽の使い方・選び方も含めて型にはまっているように感じてしまうのはなぜか。

12:30~14:30
 トーク・トゥ・ミーTalktoMe 監督:Lenka Chubulieva イギリス
  東洋的イメージのPV。イギリスの作品だったとは。

 パンチラインPUNCHLINE 監督:Christophe M. saber フランス
  これがこの日見た短編の中でのベスト1。とどめの一発を撃つ時の決めセリフにいいものが出てこなくてもめ始めるギャングの2人組。色々な映画のセリフを引用してみるのが面白い。犯行に使う自動車がワゴンR! 

 コープCORP 監督:Pablo Polledri アルゼンチン
  1人で始めた商売がだんだん大きくなって巨大企業となっていく様子をシンプルな線画で表したアニメーション。巨大化した会社はついに制御できない怪獣と化してしまう。このラストの動きがゴジラの咆哮っぽい。

 リンガーRINGER 監督:David Hardberger アメリカ
  通りがかった電話ボックスの電話が鳴る。鳴った電話に応答しようとボックスに入ると電話は鳴りやみ、ボックスからは出られなくなってしまう男の悲劇。スーパーマンには変身できないので出られないのである。

 レイトシーズンLATE SEASON 監督:Daniera Leitner オーストラリア
  ペーパークラフト風に表現されたキャラクターの造形が美しい。老夫婦が誰もいなくなった海で昼寝をしていると、2匹のヤドカリが現れて夫婦の耳に入り込む。このヤドカリのおかげで冷え込んでいた2人の関係が再びホットになる。これが今回一番気に入った作品。

 レヴィアタンLeviathan 監督:Erick Woolcott ペルー
  父親の行った最後の調査の秘密を知ることによって破滅する男。・アレハンドロ・ホドロウスキーの影響が感じられる作品。

 フェイス・ヴェラFAITH-VERA 監督:T. Fedorovskaya ロシア
  電球の光の点滅が亡くなった妻からのメッセージだと気づく無線技士だった老人。神の国に召されることの信仰心の強さを色のない画面が強調している。

 テラフォームTerraform 監督:Sil Van Der Woerd & Jorik dozy インドネシア/イギリス
  インドネシアの火山での硫黄採取により生計を立てている男のドキュメンタリー。普通だったら立ち入り禁止になるような火口付近で、危険なガスが充満する中を硫黄の塊を取ってくる。命を削る仕事なのに実入りは少ない。この硫黄は天然ゴムに添加される硫黄になるんだろうか? 最後に彼らを支援する募金の呼びかけが出る。

 ゼロZERO 監督:David Victori スペイン
  30分弱の作品だが3部構成になっている。こういう構成にせずにそのままつながっていても問題はない話の展開であるのが不思議。重力が0に突然なったら、ということと、母を交通事故で無くしたばかりの少年が母に会いたいという思いを強くする、という話が絡み合う。少年が天国に行きたいために重力が0になるのか? リドリー・スコットが1枚かんでいる作品。

 イバンズ・ケースIVAN'S CASE 監督:Phillipp Orlyanskiy ロシア
  自分の信仰に忠実に生きて、共産党に反革命的と烙印を押されて処刑されたイバンの実話に基づく作品。このプログラムの最後に方に信仰心の問題を扱った作品を並べたのは、なかなか面白い。


 このプログラムを見終わって、会場から出ようとしたら、NHK静岡放送局伊東支局の記者に呼び止められて、インタビューとなった。7月2日の夕方の静岡ローカルのニュース・ショー「たっぷり静岡」に使われるかもしれないとのこと。見終わったばかりのものについて聞かれると、もともとうまくしゃべれないんで、使えるような内容になっていなかったと思うが、どうなるんでしょう。(追記:訪れた人その1として登場。何か一言(音量が小さくて自分でも聞き取れない)言って、次の人になった。)


企画作品上映(ホテルサンミ倶楽部)
16:00~18:00
 THE NEXT GENERATION パトレイバー 大怪獣現る 前編・後編
  押井守監督のトークショーの後、上映。押井監督はもう20年も熱海に住んでいることを知って驚いた。怪獣映画は好きだけれども怪獣そのものには思い入れはない、怪獣が現れるという非日常的な状況に興味がある、ということを聞いて、これは自分の怪獣映画に対する思いもそれに近いことに気付いた。「大怪獣現る」そのものについては、スタジオ・ジブリの鈴木プロデューサーがリリーズにモスラの小美人の役をやらせたところが一番面白かった。完全にトタバタ喜劇である。

関連イベント
19:00~20:30
 熱海怪獣映画祭 Presents トークショー「熱海と怪獣」(熱海芸妓見番歌舞練場)
 出演:伊藤和典、井上誠、長谷川圭一

Kimg0040

  3人の年代の微妙な違いが、怪獣映画へのスタンスの違いを生んでいるというのが分かって面白かった。予想していたよりたくさんの人が来ていたんで、入れないかと心配してしまったくらいであった。良いタイミングで樋口真嗣(コンペ短編作品の審査員で熱海に来ている)がサプライズゲストで登場してより面白くなった。「キングコング対ゴジラ」の熱海上映がいつか実現するといいなあ。

 熱海国際映画祭&熱海怪獣映画祭が今後末永く継続してより良いものになり、熱海に色々なところから人がやってくるようになればいいなあと思う。
  


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/12/16

寒き日出かければ籤

Dsc03868_01
 12月10日、沼津の新仲見世商店街に新しくできた「昭和レインボー」というレトロな駄菓子屋のオープニング・イベント「昭和レトロまつり」に行ってきた。SCMメンバーのK氏からのお誘い(K氏の知人M君がイベントの手伝いをしていたのである)もあって(なんで、沼津から遥かに遠い遠州に住む人間の方が詳しいイベントの内容を知っているのだ!?)出かけた。このお誘いがなければ、正直行ったかどうかわからない。ある年代の特撮ファンにはかなり贅沢なゲスト(石田・ミラーマン・信之、きくち・帰りマンの中の人・英一、伴・キカイダー・大介、倉田・バトルフランス・成満、山添・BD7マジョ・三千代)だけれど、自分にとってはちょっと年代がずれていて、それほど魅力は感じなかったのだ。唯一、「ガンバの冒険」のエンディングテーマを歌った、すぎうらよしひろのミニライブは、その「冒険者のバラード」を生で聞けるのだけが、気を引かれた部分だった。
Dsc03869_01


 正午過ぎ、沼津駅でO氏とともにK氏を出迎え、会場の新仲見世商店街へ向かう。会場は準備中であった。K氏を呼ぶ声がして、誰かなと思うと、K氏の特撮弟子のM君の呼び声であった。今回のイベントの主催者である昭和の駄菓子屋を復活させた「昭和レインボー」の店主(社長)の田中さんをM君から紹介された。M君がわれわれのことをどう伝えてあったのか詳しくはわからないのだが、(アニメ特撮ファンの)先輩方と言われて、何かこそばゆい感じになる。

Dsc03859_01
 イベントの始まりは、すぎうらよしひろのミニライブから。当然「マッハバロン」の主題歌から始まる。お目当ての「冒険者たちのバラード」ではカラオケでなく、生ギターを弾きながら歌う。この歌をオリジナルの歌手で生で聞く日が来ようとは思っていなかった。
Dsc03856_01

 ミニライブ後は、K氏はゲストとの写真撮影、私はその間に駄菓子屋「昭和レインボー」を見学(70年代のグッズが多い)し、イベント参加者に無料で配られたくじ券でくじ引き。私は言って見れば参加賞の駄菓子セット。O氏は2等で何かよさげなものをゲットした。どうせ自分はくじ運はないからとこの時思ったのだが、夜の部で今年最大の幸運が舞い込むということは知る由もなかった。

 16ミリ・フィルムの上映会までは時間があるので、喫茶店にでも入ろうかということで
栗せんのほさかの奥の淡月居に行く。そうしたら、ゲストの紅一点、山添美千代さんが息子さんと入ってきて、驚く。こんな通りから奥まった地元の人でも知っている人は多くない店にやってくるなんて、田中社長か誰かが昨日連れてきたのだろうか? 一服しに来たようだったので、特に声をかけたりしなかった。自分が飲んでいるのと同じ淡月居ブレンドを注文したのが嬉しかった。

 16ミリ・フィルムの上映会では、映写機を初めて見たのか興味深げな人たちがだいぶいた。フィルム自体は傷などあまりない状態の良いものだったが、青みが完全に抜けた、いわゆるセピアカラーであった。「昭和レインボー」の隣の空き店補での上映だったが、やっぱり、フィルム上映はいい。

 夜のBAR&喫茶「ねこと白鳥」(昔の純喫茶・白鳥、その時の内装がかなり残されている)でのすぎうらよしひろのミニライブの前に食事を済ませておこうと、わざわざ浜松や東京方面からやってきたK氏の知り合いの方々と、沼津らしいものを食べようとボルカノに。どういう知り合いかと思ったら、私たちが大学時代にやっていたサークルの上映会に来ていた高校生たちだった。

 夜のすぎうらよしひろのミニライブは、昼の屋根はあるが屋外の特設会場とは違って室内できちんと椅子に腰かけて落ち着いて聞け、また、バトルフランスの共演もあり、より楽しめた。ライブの後はゲストにちなむグッズの各1品の争奪ジャンケン大会。最初は、ライブを終えたばかりのすぎうらよしひろサイン入りの「ガンバの冒険」のロマンアルバム! 自分も持ってはいるが、これは欲しいと、ジャンケンに参加。参加した人たちが少なかったこともあり、なんと勝ち残り、もらえることになった。本人から直接本を渡され握手もでき、感激である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/11/26

11人くらいいた

 土曜出勤の代休の20日の月曜日、三島の佐野美術館に行った。萩尾望都SF原画展を見るためである。朝10時開場なのでそれに合わせて妻と出かけた。美術館に着いたのは10時を少々回っていたが、表通り側の駐車場には車が1台もまだ止まっていなかった。庭園を抜けて美術館へ行くと、こちらの方の駐車場には5台くらい車がいた。平日の会館直後とあってそれほど人はいなかったが、自分と同世代の女性グループなどで、自分たちを含めて10人くらいはいた。

 原画を見て思うことは、やはり、うまい、の一言。カラー原画も多く展示されていて、それが印刷されたものと比べることもできて、原画の微妙な色遣いなどが、印刷されてしまうと消えてしまっているということに気が付いた。ハヤカワ文庫の表紙絵など懐かしいが、自分が読んだ記憶にあるのは多分1冊、「薔薇の荘園」くらい。ロジャー・ゼラズニイの「光の王」は持っていてもおかしくはないのだが、読んだ記憶も買った記憶もない。

Dsc03684
Dsc03689
Dsc03688

 そういえば、初めて買った車は赤いスターレットだったが、スターレッドと自分では呼んでいた気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/08/24

時空の長い午後

 この夏は、シュレーディンガーの本を読んだ。
 7月に新書版で高校時代以来何度か読んだ「生命とは何か」を岩波文庫版で読んだ。今まで読んだ時には気付けなかった「物理法則は統計的なものである」という考え方をしているのに、今回気付いた。本質的に統計的である量子力学の基礎方程式を見つけたわけだから当然という気がするが、波動関数が確率を表すという解釈には完全に反対する立場になっていた時代に書かれたものなので、読んでいて何か釈然としない部分もある。物理法則が統計的であるというのは、統計力学的にということで、物理的実在の本質にはコペンハーゲン解釈のようなものはないということらしい。つまり、同時期のアインシュタインの考え方と同じなのである。
 それで、もうちょっとシュレーディンガーの考え方に迫りたいということで、大学を卒業する頃に買って今まで読んでいなかった論文集である「シュレディンガー選集1 波動力学論文集」「シュレディンガー選集2 時空の構造・統計熱力学」を読んだ。この2冊は「生命とは何か」のような一般向けの本ではないので、いろいろ難しい式が出てくるが、その式についての説明が明快で、物理的イメージに基づいたものなので、非常にわかりやすい。本を買った頃に読んでおけばよかったと今になって思う。
 さらに、ジョン・グリビンによるシュレーディンガーの伝記「シュレーディンガーと量子革命」を読んだ。奥さんと愛人と3人で暮らした以外にも、どうみても犯罪的なロリコンだよなと思うような、ちょっと他の物理学者には見られない多彩な女性たちとの関係に驚嘆する。一方、奥さんも奥さんで、シュレーディンガーの同僚の学者と浮気をしているし、さらに驚くのは、シュレーディンガーが愛人に産ませた子供の面倒を見ているのである。すごい夫婦である。

 シュレーディンガーの本を読んだ後、じゃあ、ノーベル物理学賞を一緒に受賞したディラックの本を読もうと、数年前に出たグレアム・ファーメロによる伝記「量子の海、ディラックの深淵」と、ディラックの死後11年たってウエストミンスターに作られた記念碑の式典時の追悼講演の活字化「ポール・ディラック 人と業績」を読んだ。伝記の方で一番驚いたのは、ディラックがミッキーマウスの漫画映画の大ファンであったこと、「白雪姫」もイギリス初公開時に見に行っているということだった。ディラックが物理学者として一番創造的であった時期とミッキー作品の最も面白かった時期は一致していたのであるという当然のことに今まで気が付いていなかった! さらに、「2001年宇宙の旅」の初公開時に見て感激し続けて2回見たということ、小さい時から漫画が好きで特にお気に入りは「プリンス・ヴァリアント」だということ。
 ディラックの書いた「量子力学」を持っているのだが、これは大学時代に学部に上がったばかりの頃、同じクラスの友人と、どうせなら英語版で勉強会しようと買ったものだ。この勉強会は1,2度やっただけで挫折してしまった。書架からどりだしてみると、その挫折したページにしおりが挟まれていた。自分一人ででもこの教科書を読み通せたのなら、高校生でなく大学生を相手に物理を教えていただろうな、と思う。
 

 家族で天気の悪い涼しい日に、箱根のラリック美術館に初めて行った。ラリックが内装を担当したオリエント急行の実際の列車が1両展示されていて中に入れたのが一番良かった。この車両、沼津まで鉄道で運ばれ、沼津駅でトレーラーに乗せ換えられて御殿場・乙女峠経由で仙石原の美術館までやってきたそうだ。これにあわせて当時のポスターや時刻表、観光案内などが展示されていて、ガラス製品や装飾品より、面白かった。


 贔屓にしていたSF作家、ブライアン・オールディスの訃報を見た。80年代の代表作Helliconia3部作が存命中に邦訳されなかったのが残念だ。訳されそうにないからと、昨年3部作を1冊にまとめたペーパーバックの原書を買った。追悼の気持ちを込めて、読むことにしよう。Barefoot in the HeadやThe Eighty Minute Hourも訳してほしい作品だったんだけどなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/30

風邪たちぬ

 夏風邪をひいて2週間、今日まで完治しないまま。でも、やっと治りそう。

 C4ピカソの後席シートベルトのリコールによる部品取替えは無事終了した。相変わらず遠出をしていないので、C4ピカソの本当の良さを味わっていない気がしている。これからの夏休みに多少長い距離を走ることはあるかな?

 7月22日の土曜日に、長泉のベルフォーレで水木一郎と堀江美都子のコンサートがあって、こんな近くでコンサートがあるならとSCMの仲間たちと出かけた。最初に書いたように夏風邪のピークがこの日の未明に来てしまい(発熱した)、行けなくなるかと思ったが、午後にはとりあえず行けるくらいには熱が下がり、行くことができた。調子が良ければもっと楽しめただろうな。

 風邪を引く前から読んでいたのだが、ディレイニーの「ダールグレン」を読み終えた。期待したほどではなかったが、読み続ける気にさせる仕掛けが随所にある。だけど、今一つなんだなあ。「バベル17」や「アインシュタイン交点」その他を読んだ時にも、同じように感じたわけで、何かがもう一つかけてるんだな。なんなんだろう、ディレイニーに対するこのあとちょっと足りない感は。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/02/19

「この世界の片隅に」についてのツィートのまとめ(注釈付き)

1月15日
 昨日シネプラザ・サントムーンの夜の回で「この世界の片隅に」を見た。人がたくさん入っていてクラウドファンディングに参加した者として、嬉しい状態だった。最低もう1回は見ないと、きちんとした感想は書けない、奥の深い作品である。でも、好か嫌いかで比べると「アリーテ姫」の方が好きなんだよな。
(待ちに待った地元のサントムーン柿田川の映画館での上映初日に見に行った。)

1月31日
 久しぶりに弟に会ったら、「この世界の片隅に」に名前見つけたけど、出資した?って聞かれてびっくり仰天。なんと弟は近くでやっていなかったので12月に東京まで行って見たそうだ。ちなみに「シンゴジラ」は5回見たといっていた(こちらは自分よりゴジラファンだったから想定内)。
 弟とアニメや特撮の話をしたのは実に30数年ぶり。まんが祭りへ行くかチャンピオン祭りに行くか争った小学校時代が懐かしい(結局、大抵どちらにも父親に連れて行ってもらえたのだが)。
(確認したら、まんが祭りやチャンピオン祭りが始まったのはもうちょっと後で、私が中学生になってからだった。)

2月1日
 シネプラザサントムーンでの「この世界の片隅に」の上映が2月10日(金)まで延長になった!

2月5日
 なんと再延長!14日にある某会で宣伝できる!
(この再延長で17日までになった。14日の某会で話ができたのだが、思い入れが強すぎて、どうもうまく話せなかった。自分の趣味をこの時の話で初めて知った人が多くてびっくりされた。)

2月11日
 再々延長はない模様なので今晩家族でサントムーンに行き、「この世界の片隅に」を見た。新たに気づくことが沢山あったし、見終わった後の気分も違う。2度目を見て、初めて見た時とこんなに違う気分になった映画は初めてだ。今回の方が、月並みだが、愛しい者を失う厳しい辛い話としてずしんと来た。
(このツィートは、なんと片渕監督その人にリツィートされた!)

2月12日
 なんと再々延長!!!
(これで、2月24日までの上映になった。)

2月16日
 呉には行ったことがないので「この世界の片隅に」の軍港呉の景色は、勤務先の学校の修学旅行でハワイに行き現地の高校を訪れたときに見下ろしたパールハーバーの景色に、似ていると思った。パールハーバーに係留されているミズーリは大和とほぼ同じ大きさ、装備の戦艦である。呉空襲に重なる真珠湾攻撃。
(この感想は、最初に見たときに思ったこと。)

2月18日
 本日午前の回で「この世界の片隅に」の3回目。自分の名前を探す方に気を取られてきちんと見れなかったクラウドファンディング参加者名の下に出る絵をじっくりと見た。最後まできちんと見てね、という話はその通りであった。家に帰ってから、DVDで未見だった「マイマイ新子と千年の魔法」も見た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/05/08

UB IWERKS' WILLE WHOPPER

 ThunderBeanから発売されたアブ・アイワークスの1933~34年作のウィリー・フーパーシリーズのブルーレイ・ディスクを入手。8mmフィルムを直輸入している頃一番信頼できる業者としてたびたび利用したことがあるBlackhawk Filmsのタイトルも出てきて、懐かしく感じた。アイワークスの作品では、日本でもパブリック・ドメイン物でコミカラー・シリーズが見れるし、カエルのフリップは'Spooks'をBlackhawk Filmsから買って所有している.。このシリーズは初見。本国でも多分初めての発売であろう。
 ディズニー・プロをやめた後、パット・パワーズと契約してMGMから配給された作品である。白人少年のウィリーが主人公で、俺はこういうことしたんだぜ、という一種のホラ話シリーズである(夢オチみたいなもの)。ウィリーのキャラデザインは一貫せず、4作目以降かなり太った少年になってしまうが、このデザインが変わた4作目までが面白い。5,6作目はカラー作品であり、海賊デイビー・ジョーンズや地獄の赤鬼などが登場してそれなりに力を入れて作られているのがわかる。アニメーターとしてグリム・ナトウィック、音楽としてカール・ストーリングが参加している作品がある。ナトウィックが参加している作品は作画のレベルが高くなっているのがわかるが、後期作品ではそれ以外にほとんど見どころがなかったりする。後期作品でそれ以外に見るべきところがあるとすれば、マルチプレーンを使用していることである。シリーズの初期作品が面白く感じられる理由の一つに、ベティ・ブープ的な動きが妙にエロいおねーさんが登場することが挙げられる。

作品リスト
1 The Air Race(飛行機競争) 1933 MGMからは公開されなかった作品。
2 Play Ball(プレー・ボール) 1933 べーブルース登場。
3 Spite Flight(意地悪飛行) 1933 1のリメイク版。
4 Stratos-Fear(成層圏の恐怖)1933 これが私のベスト1、SFである。
5 Davy Jones'Locker(デイビー・ジョーンズの戸棚)1933 カラー。
6 Hell's Fire(地獄の炎)   1934 カラー。
7 Robin Hood Jr(ロビン・フッド・ジュニア)1934
8 Insultin'the Sultan(対決!サルタン)1934 いわゆる「土人」多数登場。
9 Reducing Creme(やせ軟膏) 1934 パン屋の夫婦のダンスシーンが面白い。
10 Rassling Round(レスリング)1934 レスリングの試合に出る靴磨きのウィリー。
11 The Cave Man(洞窟人)   1934 ターザンである。
12 Jungle Jitters(ジャングルの恐怖) 1934 ベティ・ブープみたいな原住民の娘。
13 The Good Scout(善きボーイスカウト)1934 一日一善の発表。
14 Viva Willie(ウィリー、バンザイ)  1934 西部のウィリー。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/11/07

キューバのアニメーション史

 以前、フアン・パドロンの「ハバナの吸血鬼」というキューバの長編アニメについて書いたのだけれど、今年のアニメ総会でキューバのアニメを紹介しようと、キューバのアニメについて何か文献はないかと捜して、かのベンダツィ先生の「アニメ百年史」Cartoonsの中に見つけて、訳してみた。

  Giannalberto Bendazzi:Cartoons(1994年)より 

キューバのアニメーションの最初の作品は、Napoleón,el faraón de los sinsabores(ナポレオン、苦悩する専制君主;1937年)、漫画家のマヌエル・アロンソManuel Alonsoの2分の黒白作品である。原作の漫画はEl pais gráficoの日曜版に連載されたもので、このフィルムは大成功を収めたが、アロンソのアニメーションでの仕事を十分に支えるほどではなかった。そのすぐ後の画家のロゼニャーダRoseňadaとシルビオSilvioのMasabiというキャラクターを用いたアニメーションの企画は失敗に終わった。
 グアンタナモでルイス・カスティーヨLuis CastilloがCoctel musical(音楽のカクテル;1946年)を製作した。そのタイトルにもかかわらずこの作品はサイレントだった。さらに、El jíbaro y el cerdito(農夫と子豚;1947年)を製作。一方、セザー・クルツ・バリオスCéser Cruz Barriosに率いられたグループがサンティアゴデクーバで設立された。何作かの実験の後、このグループはキューバで最初のカラー短編El hijo de la ciencia(科学の子;1947年)を発表した。この作品は大成功とはいえなかったが、彼らはドキュメンタリー、ニュース映画、実写映画に興味の中心をおき続けた。
 1950年代に、限られた期間の広告やテレビ業界の発展で少数の作品が作られた。広告代理店Agencia Siboneyが何人かの若い画家を雇った。彼らは後にキューバ最初の真にアニメーションと呼べる作品を作った。
 1959年3月24日、カストロ革命の後に、Instituto Cubano de Arte y Industria Cinematográfico(ICAIC;キューバ芸術映画産業協会)が設立され、アニメーションに関わる小さな部署がその中にできた。この部署のリーダーはヘスース・デ・アルマスJesús de Armasで、イラストレーターのエデュアルド・ムニョーズ・バッチスEduardo Muňoz Bachsや他の共同制作者と仕事をしていた。このときの最初の作品はLa prensa seria(真面目な出版社;1960年)だった。それは大人の観客を意識した政治的な諷刺で、次のような意図があった。すなわち、
 「・・・私的出版で出された名誉毀損と嘘の公開告発および、それに対して規制が必要であるという声明である。美術的には、UPAで典型的に使用されているグラフィックな表現を採用している。」
 ヘスース・デ・アルマスは、新しい社会を再建するための支援を見出すことを目的とした行動主義者に関するフィルムの製作を始めた。El tiburon y las sardinas(サメとイワシ;1961年)は帝国主義と革命の間の闘争について議論していた。La raza(1961年)は人種差別の不合理さを展開した。La quenma de la caňa(籐畑の火;1961年)とRemenber Girón(ヒロンを忘れるな;1961年)はアメリカ合衆国の侵略の脅威を図解した。デ・アルマスは、最初の「物語」アニメーション映画El cowboy(カウボーイ;1962年)も監督した。1967年に彼は画業から引退したが、ア二メーションの世界とは関係を持ち続けてキューバにおけるアニメ製作を手助けした。
 この時期の最も興味深い作品は、Los indocubanos(キューバインディアン;1964年)である。モンデスト・ガルシア・アルバレスMondesto Garcia Alvalez(マタンサス、1930年生)が監督した。優雅なペン画で作られた歴史映画で、ヨーロッパ人が到着する前のキューバの人々を共感的に描いていた。この映画に使用された絵は後に同じタイトルの本になった。スパニヤード・エンリク・ニカノールSpaniard Enrique NicanorのEl gusano(虫;1963年)も同様にこの時期の注目の作品である。
 1960年代半ばのキューバのアニメは様々な理由で下り坂となる。外国、初めはアメリカ、後にはチェコスロバキアとポーランド、の影響で、キューバのアニメーションの自発的な活動を低下させてしまった。また、教育映画は常にキューバで制作されてきた。例えば、El realengo(王室の家督;1961年)、あるいは、ヘスース・デ・アルマスのAEIOU(アエイオウ;1961年)。このような教育映画は政治的な作品や芸術的な作品より優先されてきた。
 1965年に、ルイス・ロヘリオ・ノゲラスLuise Rogelio Noguerasの Un sueňo en le parque(公園の展望;1965年)というキュービズムの影響を受けた平和主義者の作品が、洗練され知的過ぎて観客の要求を満足させられないと批判された。もっと伝統的で民族主義的な文脈では、エルマン・エンリケスHermán HenríquezがOsaín(1966年)で民間伝承を脚色し、同様に民間伝承に触発されたOro rojo(赤い黄金;1969年)で賞賛された。レイナルド・アルフォンソLeinald Alfonsoは、伝統的な歌を元にしたQuiero marinero ser(水兵になりたい;1970年)で人気を得た。教育映画の分野では、中心人物はオーストラリア人画家のハリー・リードHarry Readeで、反帝国主義者のパンフレット、La cosa(物)を製作した。
 1970年代の初頭に、ICAICのアニメーション部門は再編され、再出発した。子ども向けの作品を作ることが望まれて、キューバの権威者たちはアニメーションに向かった。国内の何箇所かで、子供たちにとって何が適当で何が適当でないか定義する会議が開かれた。と同時に、アニメーションはその教育的目的を維持せねばならず、その表現手段は子供たちの要求に適合せねばならなかった。2つのカテゴリーが作られた。その1番目は2歳から7歳で、2番目は8歳から14歳であった。1番目のグループに対応する作品は動植物に命を与えたファンタジーで会話は制限された。より年上の子供たちに対する作品は、良く考えられたキャラクターとプロットを持つアクションとアドベンチャーに焦点が当てられた。トゥリオ・ラッヒTulio Raggi(ハバナ、1938年生)とマリオ・リバスMario Rivas(サンタクララ、1939年1月29日生)は主に若い方のグループ向けの作品を作り、フワン・パドロンJuan Padrón(カルデナス、1947年1月29日生)(訳注:本人のプロフィールと出身地が違うがどういうことなのか?)は年上の子供たち向けの仕事に特化していた。
 これらのアーティストたちの貢献は1980年代に入るまで続き、この時代にキューバのアニメーションのスタイルの実験が始まり、大人向けのテーマが発展し始めた。1964年にEl profesor Bluff(ブロフ先生)でデビューしたラッヒは、El cero(ゼロ;1977年、数学)El tesoro(宝物;1977年、地理)のような楽しい教育映画や次のようなキューバの歴史に基づく3本の映画を発表した。El negrito cimarrón(小さな黒人の逃亡奴隷;1975年)、El trapiche(きび引き器;1978年)、El palenque de los esclavos cimarrones(避難所;1978年)。最後の作品は黒人奴隷の反乱と山岳地帯への逃避に基づいている。1983年にラッヒはEl alma trémula y sola(震える孤独な魂)を製作した。これは建国の父ホセ・マルティJosé Martíの追放に関するアダルトな主題についての静止画で作られた作品だった。そのタイトルはマルティによる詩の一節そのものである。1890年のニューヨークの濃い空気の中で、この作品は暴動への準備をしている間のマルティの日常の雑事と記憶を描いている。
 マリオ・リバスはParque forestal(森林公園;1973年)でデビューした。彼の子供向けのたくさんの作品の中には、Feucha(みにくい女の子;1978年)やLa guitarra(ギター;1978年)がある。1981年にEl deporte nacional(国民の娯楽)というキューバで特別に人気のある野球の発展と拡散についての作品を監督した。真面目な教育者であるリバスはFilminuto(ハバナのスタジオの様々な作者による短編のコレクション)のシリーズの中のエピソードで刺激的なユーモアを見せた。彼の最高傑作と考えられているのは、El bohío(1984年;ヤシの木の小屋)である。ヤシの木の小屋は国への侵略者により何度も何度も破壊されるが、カストロによる独立の宣言まで、ある家族により毎回再建される。ギャグとリズムに富んだキューバの歴史についてのこの簡明な小論は、巧みなイデオロギーと娯楽のミックスである。
 次のようなコミック・ブックのアーティストもアニメーションに貢献した。例えば、マヌエル・’リロ’・ラマールManuel'Lilo'Lamar(マトホMatojoという彼のキャラクターとともに)、セシリオ・アビレスCecilio Avilés(セシリンCecilínとコティCotiとともに)、そして、とりわけ、フワン・パドロン。15歳のときからパドロンは二メーションに興味を示していた。フワン・パドロンは、ヘスース・デ・アルマスのスタジオで一時期基本的な仕事を学んでいだ。さらに、アーティストとしての彼の教育はコミック・ブックで始まった。1970年に、エルピディオ・バルデスElpidio Valdésという彼のキャラクターは、子供週刊誌Pioneroのページで生まれた。バルデスは「マンビmanbi」、すなわち、スペインの植民地主義者と独立のために戦う、19世紀のキューバの愛国者である。風習や物、制服、さらには食べ物まで広範囲の調査の末に、パドロンは子供たちの先祖の生活の歴史的に正確なイメージを提示した。コミック・ブックで語られた長編「小説」として、また、同様にアニメーションとして。
 パドロンは、Elpidio Valdés contra el tren militar(エルピディオ・バルデス対武装列車;1974年)で監督デビューした。同じようなエピソードの続編がそれに続いた。1979年、ICAICの20周年の機会に、Elpidio Valdés(エルピディオ・バルデス)と題されたキューバで始めての長編アニメーションを製作した。2本目の長編Elpidio Valdés cóntra dolar y caňón(エルピディオ・バルデス対ドルと銃;1983年)で、その受けの良い反逆者は依然として独立のために戦っていた。今回は武器販売業者やスペインのスパイに立ち向かった。漫画漫画した絵と程良い量のユーモアで作られていて、これらのアドベンチャー映画は若者たちの間で大人気になっただけでなく、学者たちの間でも人気が出た。
 多産なアーティストであるパドロンは別な企画でも同じように働いた。その中には、賞を取った短編La silla(椅子;1974年)やLas manos(両手;1976年)がある。1980年に彼はFilminutoを始めた。1985年に、アルゼンチンの漫画家でユーモリストのホアキン・'キノ'・ラバドJoaquin 'Quino' Lavadoとの共同制作でQuinoscopioのシリーズを開始した。その同じ年に3作目の長編Vampiros en la Habana!(ハナバの吸血鬼)を発表した。吸血鬼が日中活動できる発明の陽気な大騒ぎの物語である。ホラー映画とギャング映画の結婚、それは、「楽しい露骨な戯画」とヴァラエティVariety紙で歓迎された。注目すべきユーモリストのパドロンは、その膨大な作品において、文化の要求と娯楽の必要性を結びつけバランスさせた。と同時に、彼と同世代のキューバのアニメーターたちに対してリーダーシップを発揮した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧