2009/02/01

初めての出来事

 太陽光発電を始めてそろそろ丸9年というところで初めてのトラブルである。1月28日の朝、いつものように発電量の確認をしようと、インバーターの発電量表示のボタンを押すつもりで、間違えて左横のシステムの運転(入り切り)スイッチを押してしまった。あわててて、スイッチを押し直したが、それが悪かったのか、正常な発電状態にならない。ほとんど発電できていない日が弱いときにドットが発電量表示に現れるのだが、その状態のままである。この日の天気なら、0.2とか0.3が表示されていいはずである。スイッチの入れ方が悪かったのではないかと、もう一度スイッチを押すが反応しない。それで、設置会社に連絡し、ついでに、まだ行っていなかった点検(本来なら5年たった時にやる点検。1年点検を実際には3年目に行ったので、それから5年後ということになっていたが、さらに遅れている。)を頼んだ。 
Invtupbf

 晴れている日がよいということで、天気予報から今日2月1日(私も久しぶりに何の仕事もない日曜なので都合も良かった)に見てもらった。ちょっと調べただけで、スイッチの異常であるのがはっきりした。グリースを付けて、応急処置をしたところ、正常な状態になった。しかし、このスイッチの動作については不安があり、10年保証の期間内で無償で部品を取り替えられるから、そうした方が良いでしょうということになり、部品を取り寄せて後日交換ということになった。スイッチ自体は、多分、オムロン製の市販品を使っているので現場でそれをハンダ付けして直すことも可能なんだけれど、スイッチの付いている基板ごと取り替えになるので、もしかしたら、発電量の積算データが消えてしまうかもしれない、ということだった。焼津で同様なスイッチの取り替えをしたことがあり、そうなってしまったそうだ。
 Invnaibu 初めて見るインバーター内部。左側は太陽電池との接続ユニット。

Invupaft とりあえず、正常に復帰。


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2008/05/23

発電2万kWh

 昨日、我が家の太陽光発電の総発電量が2万kWhを越えた。丁度、8年2ヶ月(98ヶ月)である。1ヶ月あたりにすると204kWhである。発電容量(能力)は2.32kwなので、発電容量1kWあたりにすると88kWhである。先日計算した我が家の消費電力量375kWhに見合う発電容量をこの値から計算すると、4.26kWである。そうすると太陽電池のパネルは30枚必要になり、あと14枚パネルを追加しないと完全自給はできない。脱原発を目指して(温暖化対策ではない)始めたことなので、日本の原発発電割合を越えてはいるので、とりあえず良しと考える。

 日本における太陽光発電については問題が色々あり、言いたいこともあるのだが、それは、また別の機会に。

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2008/05/15

売電1万kWh

 昨日(14日)家に帰ってきて、太陽光発電の余剰電力を東京電力に売るメーターが1周していた。売った電力量が1万kwhを越えたのであった。一方、買った電力量のメーターは26312kWhである。また、太陽光発電の発電量は19928kWhである。太陽光発電を始めたのは2000年の3月末からだから、8年2ヶ月になろうとしているところである。発電量の約半分を使っていることになるから、この8年間での消費電力量はほぼ36000kWhとなり、1年あたり4500kWh使っていることになる。1か月あたりにすると、375kWhである。3人家族でこの消費量は多いのか少ないのか標準的なのか? 個人的には、もうちょっと消費量は抑えたいとは思う。

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2008/03/18

「物理学者、ゴミと闘う」広瀬立成 講談社現代新書

 地球環境問題について、物理の熱力学第2法則(いわゆるエントロピーの法則)が有効な指針を与えるというのは、すでに槌田敦の「資源物理学入門」(NHKブックス、1982年)で、明らかにされてはいるのだが、一向に環境問題を考える人たち(特に、役所の環境問題担当の人たち)の共通認識になっていないように思える。物理的な基本法則から説き起こして書かれた、勝木渥「環境の基礎理論」(海鳴社、1999年)というきちんとした「教科書」もある。表題の本は、自身の地元で起きたゴミ問題に関わる中で、高エネルギー物理学者である著者が、この物理学からの環境問題への視点を一般向けに解説した本である。日本での環境問題の先端を走っていたこともある我が沼津市の、市長や市会議員のみなさんに是非読んで欲しい本である。高校生でも分かるように書かれたこの本を、環境問題についての怪しげな本を読むより先に、きちんと読んで欲しいのだ。

 この本を読んで分かって欲しい第1のことは、環境問題について何が怪しくて何が怪しくないかは、熱力学第2法則に照らし合わせれば、基本的には誰にも判断できる、ということである。とはいっても、色々な要素が絡み合っていて本質的に非線形な地球環境のことであるから、槌田敦ですら自分の主張を強調するために怪しいことを書いてしまう、実に危険な分野でもある。広瀬立成にしても、本当にそうなんですか、と問いただしたくなることを表題の本でも書いてしまっている部分がある。

 熱力学第2法則に基づく地球環境の理解の大事な部分というのは、エネルギーは太陽光線のエネルギーとして地球に入射し、それが地表面で色々なエネルギーに形を変えて、最終的に熱エネルギーとなり、水の存在で地球大気の上層から赤外線として、入射したのと同じ量のエネルギーが出ていくということであり、この一方通行のエネルギーに対し、物質は循環している、ということである。このエネルギーの流れと物質の循環に、人間がどのように関係してしまっているかが、環境問題を考える基本である。

 現在の地球環境問題というのは、人間が利用したエネルギーと物質がどうなっていくかを、きちんと考えることが必要なほど、人間の地球上での存在が大きくなってしまった、ということが最大の問題なのである。

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2008/02/28

「非線形科学」藤本由紀(ふじもと よしき) 集英社新書

福岡伸一「生物と非生物の間」では、生物は「動的平衡にある流れ」と定義されているのだが、この「動的平衡にある流れ」というのは、物理の、あるいは、熱力学の言葉では、「非平衡開放系(または、非平衡開放定常系)」になる。同じ「平衡」という言葉が入っていながら、物理の用語の方には、打ち消しの「非」がつく。「平衡」というのはバランスということだから、一方ではバランスしているといい、他方では、バランスしていないという、実にアンバランスな不思議な話だ。

 これは、次のような、用語の使い方の違いのために生じることである。生物の方の「平衡」は、物質やエネルギーが入ってくるものと出ていくものとでバランスしているという意味である。一方、物理の方の「非平衡」は生物が環境と熱平衡になっていないということである。、言いかえると、生きている生物の体温は周りの気温より高いということだ。この状態にあるとき、生物は、物質やエネルギーを取り入れて、不要になったものを排出することができる。つまり、物質やエネルギーの流れが維持され、生物の体の秩序が保たれるということだ。ということで、実は、同じことを意味しているのだ。

 非平衡開放系の特徴は、非線形性である。その非線形性についての一般向きの本が表題の本である。この本の面白いところは、私がカオスについての解説書などを読んだときに感じた、非線形を取り扱う科学は面白いのだが、量子力学に代表されるような物理学の理論のような原理となる科学にはなりえていないのではないか、ということを、プロローグできちんと問題として掲げているところである。そして、エピローグでこの問題に戻り、それに対する確かな答えをいまだ手にしていないと、正直に述べている。しかし、そのあとで、科学の言葉で自然を描くというのは「不変なもの」を通して描くことだ、複雑な物を複雑なままに取り扱う非線形科学においても「不変なもの」を見いだしていて、それは、要素還元論的な素粒子物理学とは違う座標軸のものであるが、「不変なもの」を見いだすということでは同じ科学であり、要素還元論に偏りすぎている現状から科学者はそろそろ脱却すべきだ、と述べ、これが藤本のもっとも主張したかったことだろう。

 非線形科学の立場からは、生物と非生物の間に同一性を認めている。その同一性の1つが、べき法則性である。生物についてのべき法則性は、ちょっと前に話題になった本川達男「ゾウの時間ネズミの時間」の中心的話題である。この本も、福岡の本と同様に、DNAマシーンとしての生物という見方に一石を投じるために書かれたような本だった。DNAから生物を見る見方も、「動的平衡にある流れ」という生物の見方も、どちらも、シュレーディンガーが「生命とは何か」で指摘した2つのこと(遺伝子の正体は量子力学の原理に従う非周期性分子、生物は負のエントロピーを食べて生きている)の発展型である。今更ながら、シュレーディンガーの洞察の凄さに感心する。

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2007/12/31

2007年の本と映画

2007年に読んだ本

「虚数」S.レム
「真理を求めて」インフェルト
「新しい電池の科学」梅尾良之 講談社ブルーバックス
「トラストDE」Y.エレンブルグ
「妖星伝魔道の巻」半村良
「新しい高校化学の教科書」講談社ブルーバックス
「キマイラ」J.バース
「大失敗」S.レム
「新しい高校物理の教科書」講談社ブルーバックス
「砂漠の惑星」S.レム
「異邦からの眺め」F.ロッテンシュタイナー編
「ブラーズ・オブ・ザ・ヘッド」B.オールディス
「高い城 文学エッセイ」S.レム
「蟻塚の中のかぶと虫」ストルガツキー兄弟
「大都会」L.ラードナー
「東欧SF傑作選上」創元文庫
「ゲージ場の理論」岩波講座現代の物理学
「壺を抱いたネコニャ」柊あると
「幻の下宿人」R.トポール
「地球惑星科学入門」岩波講座地球惑星科学
「魔法」C.プリースト
「奇術師」C.プリースト
「全地球凍結」川上紳一
「深海のパイロット」藤崎、他
「双生児」C.プリースト
「最後から2番目の真実」P.ディック 創元文庫
「素粒子」M.ウエルベック
「ある島の可能性」M.ウエルベック
「生物と無生物の間」福岡伸一
「地球システム科学」岩波地球惑星科学講座
「ワープする宇宙」L.ランドール
「クルマでわかる物理学」古川修
「経路積分の方法」岩波講座現代の物理学
「地球環境論」岩波講座地球惑星科学
「現代物理最前線5 4次元を超える時空と素粒子、他」共立出版
「富士山噴火」鎌田浩毅
「族長の秋」ガルシア=マルケス
「照葉樹林文化とは何か」佐々木高明
「地震の日本史」寒川旭
「アインシュタインの夢」A.ライトマン
「東欧SF傑作選下」創元文庫
「日本人はどこから来たか」樋口隆康

 授業で地学分野を教えることになったので、そのために読んだ本が多い。このペースじゃいっこうに積読状態解消せずだなあ。SFでは、レム、オールディス、プリーストという御贔屓作家の新作が読めたことが一番。


2007年に見た映画
 劇場で見たもの
「プレステージ」(ジョイランド沼津)
「河童のクゥと夏休み」(ジョイランド沼津)
「アーサーとミニモイの王国」(ジョイランド沼津宝塚劇場)
「トランスフォーマー」(ジョイランド三島シネマ2)

 ビデオ、DVDなどで見たもの
「裸足の1500マイル」
「夢のチョコレート工場」
「間宮兄弟」
「アーリャマン」
「喜劇王」
「テルミン」
「トランスポーター」
「ならず者部隊」
「栄光のジャングル」
「スクリーマーズ」
「コンゴ」
「ギター弾きの恋」
「おいしい生活」
「スコルピオンの恋まじない」
「リトルヴォイス」
「万事快調」

 なんと、映画館に4回しか行かなかった! 録画したビデオの山もいっこうに減らない。ゴダールの「万事快調」を見ているときに(暇がないので、いっぺんに見ることが出来ず、1週間位かけて少しづつ見ていた)、NHKのBSで昨年亡くなった実相寺昭雄の番組をやっていて、やっぱり実相寺はゴダールの影響が大きかったなあ、と確認できた偶然に驚いた。

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2007/08/30

「生物と無生物のあいだ」福岡伸一 講談社現代新書

 その昔、高校1年生の生物の最後の課題に「生命とは何か」についてレポートを書けというのがあった。何故、そんなことを今でも覚えているかというと、このときに、量子力学の立て役者シュレーディンガーの「生命とは何か」を読んで、「生命は負のエントロピーを食べて生きている」という見方にショックを受けたからだ。表題の本でもシュレーディンガーの「生命とは何か」を第8章で取り上げている。この本を買って読むことにした最大の理由が、このシュレーディンガーへの言及である。

 シュレーディンガーが「生命とは何か」を発表する少し前に、シェーンハイマーが生物を構成する分子や原子が恐るべき速さで入れ替わっている、という重大な発見をする。このことは、生命を理解する上で大切なことであるが、高校の教科書でもさらりと触れられているだけで、一般にはきちんと理解されていない。だから、コラーゲン不足の人間にコラーゲンを摂取させればいいというようなシェーンハイマーが発見したことと矛盾するCMがまかり通ってしまう。福岡伸一は、本書で、このシェーンハイマーの発見をページを割いて説明し、「生命とは動的平衡にある流れである」という生命の定義を与える。この定義の与え方は、シュレーディンガーを非常に意識したものであるように思える。

 「動的平衡にある流れ」というのは、私が大学を出たあたりから物理系の各分野で重要なテーマになっていたように記憶する。このことを熱力学的に取り扱った有名なプリゴジンの本を読んだこともある。宇宙物理学や地球物理学などでも大切な概念である。時間スケールは生物とは違うが、地球も宇宙も動的な平衡にある流れ中で今ある形として存在している。いわゆる環境問題も地球環境の「動的な平衡にある流れ」をきちんとおさえないと正しい議論は出来ない(ちなみに、地球環境の「動的な平衡にある流れ」に直接影響を与えるのは、二酸化炭素の濃度よりも、太陽エネルギー起源以外のエネルギーを人類が多量に使うことである。したがって、現在の環境問題を真摯に考えるなら、原子力は使用を止めるべきエネルギーの筆頭になる。私が太陽光発電システムを自宅に付けたのはこの理由のためである)。物理的には「秩序ある存在は動的な流れの中にしか永続できない」といってもいい。この立場からすると、生命と宇宙や地球との違いは、流れの時間スケールの違いでしかない。私は物理の立場の人間だから、生命に対するこの捉え方は特に違和感はないが、生物学に中心にいる人たちには異論もあるのではないだろうか。

 「動的平衡にある流れ」により、生物のやわらかな適応力となめらかな復元力の大きさを福岡は説明できると考えており、生命は機械でないと自己の研究から明言しているが、これは、私には、「動的平衡にある流れ」のもつ非線形性のためであるように思われる。私たちは現在、線形応答する機械しか作れないから、本質的に非線形な機械が作れるなら、それは生物の特徴を持つ物になるということを否定することはできない。したがって、生命は機械ではないという命題の真偽はまだ明らかではない、というべきだと、私は思う。

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2007/07/21

「ある島の可能性」読了

 ウエルベックは、この作品で、理性の方向にのみ進化した新人類を登場させている。その一方で、現代および近未来を生きるダニエル(ネオ・ヒューマンの呼び方ではダニエル1)を性の快楽に取り憑かれたような男として描いている。この対比は「素粒子」における弟と兄の対照と同様である。この作品でも仏教の経典からの引用があるが、聖と性を合一した真に解脱した未来人の姿はない。レムもそうであるが、ヨーロッパの知識人というのは、知性と理性にだけ進化の方向があるように考えているのではないかと思ってしまう。このへんに「ある」か「ない」かの二分法が基本になっているヨーロッパのキリスト教的知的伝統を感じると同時に、仏教に憧れながら(あるいは、仏教的な考え方を支持するかのような量子力学を受け入れながら)、存在と非存在を同一の状態であると見なす境地には、我々日本人のように簡単に達しないのではないかとも思うのである。

 ところで、ネオ・ヒューマンは遺伝的には我々人類とほとんど同一のなのだが、人為的に、つまりは遺伝子操作で独立栄養生物化している。つまりは、植物化した人間である。植物的な生き方が、真にエコロジカルな生き方であるという主張を何処かで読んだ気がするが、ウエルベックは、この小説中で、エコロジストを痛烈に批判している。と同時に、このような新人類を生み出したのが、とある新興宗教(ちゃんとモデルになった新興宗教が実在しているそうだ)であるというのは、実にありそうである。

 この小説の最後で、ネオ・ヒューマンのダニエル25(ダニエルの遺伝子を引き継ぐ25代目)が荒廃した地球を冒険して回るのだが、これはレムの「宇宙からの帰還」のラストを連想させた。「素粒子」の終わり方よりも、妙な爽快感があった。

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2007/06/05

下水道

 下水道の普及率が全国的にみても低い静岡県の、その中でも更に普及率が低い沼津市の我が家のあたりにもやっと下水道が整備された。それで、下水道への接続工事をすることになり、この4日から工事が始まった。我が家はヘーベルハウスであるので、工事の見積もりを最初、ヘーベルのホームサービス課に頼んだ。予想はしていたが、少々お高い。それで、もう少し安くならないかと交渉したら、うちではこれ以上無理で、下請けで工事をするところに直接契約すれば1割くらい安くなる、という返事であった。それで、実際に直接工事をするところに見積もりを出してもらったら、本当にその通り、すべての項目で約1割引の値段が書かれていた。飛び込みで下水道工事の見積もりをさせて下さいという他の業者があったが、えらく安く(へーベルの見積もりの1/3くらいだった)、逆に不安になった。最終的に、へーベルの下請け業者と直接契約で工事をすることにした。ということで、我が家の玄関先は写真のような状態になっている。
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2007/06/03

緊急選択炊飯ジャー

 長年使っていた(多分、15年近く)炊飯ジャーの調子がおかしくなったので、買い換えた。特に、どのメーカーのどの商品がよいなどとは調べていかず、近所のコジマに出かけて、そこでの売れ筋商品2番目という、タイガーの「炊きたて」を買った。家に帰ってきて、古い方もタイガー製品だったことに気が付いた。で、早速ご飯を炊いた。これが美味しい。同じお米なのに、美味しく炊けているのである。これが、電気釜における技術の進歩か、と感心した。中のお釜を比べてみると、前のより厚く、底の中央部に盛り上がりがある。これが、美味しく炊くことにつながっているのかと思う。ふと、消費電力が気になって説明書を見てみたら、1210Wである。前の物も見てみたら、655Wであった。ほとんど2倍である。美味しくなることの代償として、エネルギーの消費があるんだね、やっぱり。

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2006/01/09

2005年に読んだ本

・小説
「スタートレック エンタープライズ 名誉の代償」
「あなたを合成します」
「フランス幻想文学傑作選②」
「闘士」
「ブラッドマネー博士」
「ドクター・ブラッドマネー」
「去年を待ちながら」
「時を克えて」
「最後にして最初の人類」
「スターメイカー」
「ザップガン」
「テレポートされざる者」
「ライズ民間警察機構」
「銀河の壺直し」
「フロリクス8から来た友人」
「怒りの神」
「暗闇のスキャナー」(山形訳)
「スキャナー・ダークリー」
「ヴァリス」

・その他
「磁力と重力の発見Ⅱ」
「中国の科学」
「磁力と重力の発見Ⅲ」
「数量化革命」
「環境リスク学」
「ブッダとそのダンマ」
「疑似科学と科学の哲学」
「地球を殺すな!」
「科学が嫌われる理由」
「ニホンザルの生態」
「科学教の迷信」
「科学者とは何か」
「ヤバンな科学」
「現代の物理学2 電磁気学」
「物理・化学から見た環境問題」
「戸田盛和随筆集1」
「素晴らしき特撮人生」

 実に偏ったジャンルの本しか読んでいないなあ、とつくづく思う。もっとも、これは今に始まったことではなくって、子供の頃から変わらない。

 山本義隆の力作「磁力と重力の発見」を読んで、グノーシス主義やカバラの思想が、近代科学の母胎のひとつになったことがよくわかったのだが、この同じ思想が、ディックの「ヴァリス」の中心テーマに重なっている。年の始めと終わりに読んだ本が、このように共鳴するとは思いもしなかった。2005年の読書のキーワードは、ヘルメス・トリスメギストス!

 「環境リスク学」は、是非いろいろな人、特に、政治や行政にかかわる人には読んでもらいたい本。例えば、狂牛病にかかわる現在日本で行われている全頭検査とアメリカで行われている検査とのリスクの差は少なく、そのために余計に使われている税金の多さ(この額の何分の一かを使えば、先進国中日本が突出して高い「はしか」のリスクを減らすことができる)の問題(ついでに付け加えるなら、吉牛が食べられない問題)。環境問題は、相互に関係し合う要素が絡み合っていて、リスクそのものを見積もることは難しいのだが、そのリスクを見積もることすらせずに、科学的な議論よりも、政治的な力加減で、環境にかかわる諸法律や諸政策が決定されてしまう問題。環境保護団体の言っていることは一面では正しいが、我々が生きていくのに存在する他の様々なリスクとの比較がきちんとなされているとは限らない。現在の日本が抱える最大の問題を指摘した本だと思う。

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2005/04/02

ヘーベルハウスで五年

LUturn 太陽光発電を初めて5年という記事でも書いたが、ヘーベルハウスで家を新築して丸5年がたった。親が築1年の中古住宅を買って20年住んだ家の間取りが、自宅でピアノ教室を妻がやるためには向かず、一人娘が小学校に入学する時期に合わせて、思い切って建て直したのである。前の家は、レスコハウスに似たコンクリート・パネル住宅で、築20年で建て直さねばならないほど、家自体の基本構造にがたがきていたわけではない。ただ、ダイニングキッチンや風呂場などの水を使う部屋の床がシロアリの被害にあっていて、この部分については手入れが必要な状態だった。だから、当初は増改築、つまりは、リフォームで対応することも考えた。しかし、コンクリート・パネル住宅であったために、望むようなリフォームができそうになかった。そのうえ、間取りに問題があって使い勝手もあまり良くなく、もともと赤の他人が建てた家なので強いこだわりがあるものでもなかった。それで、前の家を取り壊して、建て直すことを決断した。

 建て直すに当たって、どのような間取りがよいか、何枚も間取り図を書いたことを思い出す。どのような工法で建てるかも考えた。妻のリクエストで、冬、温かい家にしたかった。夏は、風をうまく通すような設計をすれば、クーラーを使わずに涼しく過ごせることは、以前の家で生活していてわかっていた。それで、あるとき、OMソーラーなる太陽エネルギーを利用する家があることを知った。以前書いたように、原子力発電に頼る生活からの脱却を考えていたので、太陽電池パネルを付けることは考えていたが、太陽熱を冬の暖房に積極的に使う家というのも魅力的だった。ただ、この工法の家を建てている工務店が、当時、沼津市内になかった。

 家を建て直すことを考え始めた当初は、大手ハウスメーカーでは、自分たちの気に入る家が建てられるだろうかと疑問に思っていたので、地元の工務店、あるいは、建築家に頼んで家を建てることを考えていた。いろいろ調べていくと、OMソーラー以外にも、同様の太陽熱利用システムがあることがわかったのだが、それらについても、市内には取り扱っている工務店、あるいは、フランチャイズ店がなかった。地元の建築家の組合の、家作りのイベントにも行ってみたが、自分が考えているようなエネルギー消費の少ない家を設計している建築家もいないようだった。

 妻の実家の近所の家がヘーベルハウスで建て直された。その家が完成したときに、完成見学会がそこで行われて、妻が見に行った。それが、ヘーベルハウスとの出会いだった。そのときに、対応した新人営業マンとの出会いが、結局は、ヘーベルハウスで家を建てることにつながった。この新人君が担当でなかったら、ヘーベルハウスで家を建てることにならなかっただろう。シロアリの被害を受けにくい、標準設計の状態でピアノを置いても問題ない、というのもプラスに働いた。

 間取りについては、OMソーラー協会からもらったフォルクスハウスという家の設計方法の解説を参考に、水回りを北側に集めて考えるとかなり満足のいくものが自分なりにできた。ヘーベルハウスに設計提案をしてもらうときには、この自分の作った間取り図は見せなかったが、口頭でどうしたいかを伝えた。その結果、ほぼ自分が考えていたものと同じ間取りが提案された。階段は上り下りがしやすいように、ステップの高さが低いものにしたかった。当時のヘーベルハウスの仕様で一番緩やかに上がるのは、踊り場もあるロング・Uターン階段で、これにしてしまうと1階の部屋が少し狭くなってしまうが、妻がこの階段にこだわった。工務店に頼んだらもう少し別な解決方法はあるだろうなと思ったが、できあがってみたら、この階段スペースがちょっとした吹き抜けなのような感じになって、なかなか良い空間になった。この間取りで5年間暮らしたが、以前の家のようには、問題を感じない。
Plan1f
Plan2f

 この家作りの間に、「外断熱」というのがブームになり、自分自身もいろいろ調べてみた。その結論として、外断熱でないとまずいのは、鉄筋コンクリート製のマンションであって、戸建ての木造住宅ではない。木造住宅では、お金をかけてわざわざ外断熱にするメリットは小さい。それをあたかも、木造住宅が外断熱でないとだめだというキャンペーンを張った会社があって、それに追随するメーカーも現れた。それに対して、本来真っ先に取り組むべきコンクリート製マンションでは、一向に外断熱は進展していない。コンクリート製マンションは外断熱にしないと寿命は短くなる。結局、この外断熱に関する日本特有の現象は、そこに住む人のためというよりは、建築会社が儲けるためのものでしかない。環境配慮住宅や耐震性能を高めた住宅が、このところ大きく宣伝されているが、電気料金契約のマジックで確かに電気料金は下がるが消費電力量は増加するという似非省エネ住宅や、免震や制震の効果が設置料金からすればわずかでしかないものもあるのだ。

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2005/03/22

太陽光発電丸5年

PV0501021233 今日は、我が家を太陽光発電所として、東京電力と契約してちょうど5年の記念日である。地球温暖化防止策として住宅の屋根に設置する太陽光発電システムが宣伝されているわけだが、私が太陽電池を屋根に設置した理由は、原子力発電に頼る生活から少しでも抜け出したいという思いからである。したがって、原子力発電があるために安くなっている夜間電力を積極的に使う、オール電化システムにはしていないし、料金的に多少有利になる電気料金契約もしていない。

 我が家の太陽光発電システムは、へーベルハウスで家を新築するときにあわせて設置した。静岡県東部地区のへーベルハウスで最初の太陽光発電システム設置住宅である。へーベルハウス、というハウスメーカーを選んでしまったために、家を建て直す前に考えていたものとは、太陽電池の設置枚数が減ってしまった。我が家はへーベルハウスのティピーというタイプなので、屋根が寄棟屋根で、16枚しかパネルが設置できなかったのである。太陽光発電のメーカーは、当時へーベルハウスが推奨していた京セラである。多結晶タイプの太陽電池を使っていて、16枚の総発電能力は2.32kWである。通常、3.0kWはないと自給できないといわれているが、実際の発電量を見るとその通りであり、我が家では4割程度の自給率である。

 今朝調べたところ、
  総発電量は、12、222kWh(月平均204kW)
  総売電量(余剰電力量を売った分)は、6,432kWh
  総買電量(普通の家と同様に東電から買った電力量)は、21,758kWh
であった。

 妻が自宅でピアノ教室をしており、商売道具のピアノのために、冬場の暖房は湿気の出ないエアコンやデロンギに頼っているため、3人家族でしかないにもかかわらず、消費電力は大目である。このあたりをどうにかしてもう少し電力消費を押さえたいと思うのだが、なかなか難しい。

 太陽光発電システム自体は、この5年間ノートラブルだった。自家消費分と売った代金を合わせて考えた、電気料金の節約分は、年平均約66,000円である。太陽光発電システムの設置料金は約280万円だったので、単純に元を取るまでの年月を計算すると、40年くらいになってしまう。国の補助金とへーベルハウス第1号ということでの値引き分を差し引いて計算して、約15年である。少なくとも、あと10年ノートラブルで電気を生み出していってほしい。

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