フレンチ・ディスパッチは2度見る
「フレンチ・ディスパッチ」の一番面白いところは、この役者にこんな役をやらせているのかという驚きと、その役柄が演じる役者の容姿を含めた特性を最大限生かしているということ。一例として、シアーシャ・ローナンの登場シーンを挙げる。実は、最初見た後、ローナンが出ていたと知り、ええっと思ったが、2回目見た時に、ここに出ていたとわかったシーンである。ローナンの一番の魅力がアップになっているシーンなのに、1回目には、それがローナンだと気付かなかった不覚。
凶悪殺人犯が画家としての才能を見せる話である「確固たる名作」(レア・セドゥが看守を演じる話)にクランペットなる夫人が出てくるのが気になったのだけれど、これはやっぱりワーナー漫画への監督の敬意を表したものだろう、と2回目を見て思った。それは、この名前以外に、ワーナー漫画的なシーンがいくつかあることに思い至ったからだ。そう思うキーとなったのが、画商が画家と売る売らないの交渉をするシーン。ダフィとバッグスの「ウサギ狩り」「カモ狩り」の言い合いを思わせるのである。画商がダフィ、画家がバッグスである。そして、その後の画商と画家のやり取りはまさしくダフィとバッグスの典型的パターンで、思うようには画家が働かず画商がイラつくことなど、まったくイラつくダフィそのものだ。また、ティルダ・スウィントン演じる批評家のプレゼン・シーンで、他人に見せるものとは思えない個人的な画像が混じることは、アヴェリー以来のワーナー作品の得意技みたいなものだ。そして何より、クランペット老婦人がグラニーのような服装に見えること。ということで、この話は、ルーニーチューンへのアンダーソン監督のオマージュと私は思いたい。
1975年がこの映画の現在なのだが、それよりずっと前の時代の雰囲気だなと思うのは、自分だけ?(現在やっているNHKの朝ドラも同じ年なのだが、やっぱり、同じように感じている。この年にはもうこんなことはなかった、という違和感である。)
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