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2021/04/04

テスラの歌

 マイケル・アルメレイダ監督「テスラ エジソンが恐れた天才」を見た。

 イーサン・ホークがニコラ・テスラ(当時の最先端の電磁気学の理論を理解していた発明家)、エジソン(オームの法則程度しか知らなかった発明家)をカイル・マクラクランが演じているんだから、普通の映画になるはずがない。メタ・フィクション的な、いわば、メタ映画である。投資家J.P.モルガンの末娘アン・モルガンがナレーターであるが、時にアンを演じるイブ・ヒューソンとしてのナレーションが説明もなくひとつながりとして混じる。グリーンバック合成ではなく、スクリーン・プロセス(リア・プロジェクション)を使ったシーンを多用しているのだが、わざとそれとわかるような撮り方になっている。実在の人物を基にした映画でよくある映画的な面白さを狙った実際には起きなかったエピソードについてナレーションで「実際にはなかったこと」と画面を否定する。言わば、本編とメイキングのドキュメンタリーが切れ目なくつながった作り(低予算ゆえの発想か)なのである。このため、同じ題材のアルフォンソ・ゴメス=レオン監督「エジソンズ・ゲーム」のような実話映画にはしたくなかったという強い意志を感じ、テスラという人物の多面性・多義性・先進性を示したかったのだろうと思う。史実としては何も証拠立てるものがないサラ・ベルナールとテスラの微妙な恋愛関係という映画的な「大ウソ」にリアリティを与える手段にもなっている。脚本自体は1980年代の初め(つまりはテスラの再評価が高まった頃)に書かれたという。

 スマホやパソコンが出てくるシーンがあってあれ?と思うのだが、テスラの発明がなかったら実現しなかったものであり、百年以上前にテスラが構想した世界に近づいた証拠として登場させたのであろう。テスラが行ったデモンストレーション(エジソン側の高電圧の交流は危険だ、というキャンペーンに対抗したもの)の派手な放電現象は映画製作者に大きな影響を与え、映画におけるフランケンシュタイン博士のようなマッド・サイエンティスト像ができあがった。電磁波のエネルギーが放射点から地球全体に広がっていき地球すら破壊できるというテスラのヴィジョンは、日本のアニメでもよく見るものだ。このような点から言うと「シン・エヴァンゲリオン」と同じ時に本作が上映されているというのは象徴的だ。

 新戸雅彰の「発明超人二コラ・テスラ」(ちくま文庫)「知られざる天才ニコラ・テスラ」(平凡社新書)あたりを読んでいるか、少なくとも「エジソンズ・ゲーム」を見ていないと、わかりにくいシーンもある。

 ラストシーンのテスラ、というより、イーサン・ホークの歌(80年代の曲!)に、あっと驚いた。

 見る人を選ぶ映画である。

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