レオ・サルキンについての覚書
「ミッキーマウスのストライキ」の後ろの方に、レオ・サルキンというディズニー・プロの1941年のストライキに参加したことで他のスタジオに移ることになったアニメーターの名前が出てくる。このレオ・サルキンという名には覚えがある。ところが、その記憶が怪しくなっているのに気がついた。それで、これ以上記憶が失われる前に、ここに今覚えていることを書き残すことにした。
レオ・サルキンの名を知ったのは、第3回広島アニメーション・フェスティバルのときである(と書いたが、第2回だった可能性もある)。故・望月信夫さんから、ワーナーなどのアニメーターだったという人がアメリカから来ている、あそこにいるレオ・サルキンという人だ、知らない名前だが、機会があったら色々聞いてみたい、と教えられた。 (「ミッキーマウスのストライキ」にはちょうどこの時期のレオ・サルキンの写真が出ているが、その姿は私のかすかな記憶と余り違わない。)これだけだったら、サルキンの名前を今まで覚えていることはない。その名を記憶することになったのは、その年の秋に行われたアニメーション全国総会のときに、アニメ研究家・評論家のおかだえみこさんが広島での出来事を話した中に、サルキンの名前が出てきたからだ。広島に来日していた高名な誰かの記者会見かシンポジウムか何かで(これを忘れてしまったのが残念)、質疑応答の時間に、レオ・サルキンが、ここで話題になっている作品について持ち上げておいて、それらの作品を作っているアニメーターなどの労働条件に関して鋭い質問をしたと、おかださんが強い印象を受けたこととして話をしたのだった。
「ミッキーマウスのストライキ」を読んで、レオ・サルキンがなぜそういう質問したかの背景が分かった。ちょうどその時期に、アメリカにおいて、アニメ製作の海外移転が普通になり、デジタル化も進んで、雇用状態が悪い方(別な言い方をすると、日本と同じ状況)に変化していたからだ。
| 固定リンク
コメント
二か所でてきますね。
p341
>冬のあいだはCM仕事、企業向けや学校用フィルムの仕事を個人で受けるか、運がよければチャック・ジョーンズやビル・メレンデズやレオ・サルキン演出のTVスペシャルのスタッフに混ぜてもらえるぐらいだった[訳注 クリスマス特番アニメは当時よく作られた。日本への外注作品も存在する]。
p521
写真でアームチェアに座っている方。1991年撮影だから、そうかディズニースト50周年記念パーチーですか。
広島でサルキン氏はどういう作品について論評されていましたか。日本製ですか。おかださんにうかがえばわかるでしょうか。興味があります。
投稿: KK | 2014/09/29 02:04
日本の作品ではないのは覚えています。多分、アメリカ作品で、一番可能性が高いのが、ジョン・ラセターだけれど、思い出せない。
投稿: WILE.E | 2014/09/29 06:46