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2014/09/28

レオ・サルキンについての覚書

 「ミッキーマウスのストライキ」の後ろの方に、レオ・サルキンというディズニー・プロの1941年のストライキに参加したことで他のスタジオに移ることになったアニメーターの名前が出てくる。このレオ・サルキンという名には覚えがある。ところが、その記憶が怪しくなっているのに気がついた。それで、これ以上記憶が失われる前に、ここに今覚えていることを書き残すことにした。

 レオ・サルキンの名を知ったのは、第3回広島アニメーション・フェスティバルのときである(と書いたが、第2回だった可能性もある)。故・望月信夫さんから、ワーナーなどのアニメーターだったという人がアメリカから来ている、あそこにいるレオ・サルキンという人だ、知らない名前だが、機会があったら色々聞いてみたい、と教えられた。 (「ミッキーマウスのストライキ」にはちょうどこの時期のレオ・サルキンの写真が出ているが、その姿は私のかすかな記憶と余り違わない。)これだけだったら、サルキンの名前を今まで覚えていることはない。その名を記憶することになったのは、その年の秋に行われたアニメーション全国総会のときに、アニメ研究家・評論家のおかだえみこさんが広島での出来事を話した中に、サルキンの名前が出てきたからだ。広島に来日していた高名な誰かの記者会見かシンポジウムか何かで(これを忘れてしまったのが残念)、質疑応答の時間に、レオ・サルキンが、ここで話題になっている作品について持ち上げておいて、それらの作品を作っているアニメーターなどの労働条件に関して鋭い質問をしたと、おかださんが強い印象を受けたこととして話をしたのだった。

 「ミッキーマウスのストライキ」を読んで、レオ・サルキンがなぜそういう質問したかの背景が分かった。ちょうどその時期に、アメリカにおいて、アニメ製作の海外移転が普通になり、デジタル化も進んで、雇用状態が悪い方(別な言い方をすると、日本と同じ状況)に変化していたからだ。

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2014/09/21

フレッド・シルバーマンについての2,3の覚書(修正版)

 トム・シート「ミッキーマウスのストライキ」久美薫訳を読んで、その記述に一番あれっと思ったのが、アメリカの三大ネットワーク(TV)の一つCBSの番組編成プロデューサー(後に副社長)だったフレッド・シルバーマンについての次の記述(74ページ)。

 NBCの番組編成部長の座を降ろされハナ=バーベラ社にまわされ、子供番組の編成担当にされた。土曜の朝の枠が子ども向け番組の集中放映時間になったのはこの頃で、シルバーマンの手でこの枠に大きな改革が行われた。人懐っこいサメが主人公のコメディ『ジャバージョー』等は彼の企画だ。

 シルバーマンによって土曜の朝の枠が改革されてアニメ番組の集中放映時間帯になったのは確かだが、それはCBSにシルバーマンが1963年に入社してすぐ、日中の時間帯(デイ・タイム)の番組編成責任者になったときだ。60年代から70年代前半のハナ=バーベラ・プロの人気作は、シルバーマンの提案によるものがかなりある。シルバーマンはCBS→ABC→NBCと3大ネットワークを渡り歩いたが、NBCを辞めてハナ=バーベラに入った、というのは初耳だ。他にも原文を確かめてみたいところがあったので原書を購入して(存在は知っていたのに買っていなかった)、原文をチェックした。以下原文。

 When Fred Silverman fell from the head of programming at NBC,he was given an office at Hanna-Barbera where he was run to children's programming. He approved many Saturday morning kid's programs and suggested many shows like Jabberjaws and Steve Bocho's Fish Police.

原文の最後に、キーとなる作品名が2つ挙げられている。Jabberjaws は日本でも「わんぱくジョーズ」というタイトルで放映された(1回くらいは見た記憶があるが内容はほとんど覚えていない)作品で、本国では1976年にABCで放送された。Steve Bocho's Fish Police は知らない作品だったが、調べてみたら、1992年の作品である。
 
 シルバーマンは1975年にCBSからABCに移籍し、「ルーツ」等を送り出してCBSを押しのけてABCを全米ナンバーワン・ネットワークにした。その後、1978年にNBCの社長に就任。今度は、CBSやABCの時のようにはうまくいかず、2年半で辞任した。1981年にテレビ番組制作を請け負う自分の会社、フレッド・シルバーマン・カンパニーを立ち上げた。つまり、「わんぱくジョーズ」はABC時代の作品で、Steve Bocho's Fish Police は自身の会社での作品ということになる。ちなみに、Steve Bocho は脚本家で、ABC時代からシルバーマンと仕事をしている。

 したがって、この文章は、NBCを辞めたときに、ハナ=バーベラ・プロがシルバーマン用の仕事部屋を用意した、という意味だ。その部屋で、シルバーマンは今までと同様に、引き続きハナ=バーベラ・プロに対してこういう番組を作れと指示していたということなのだ。また、著者自身の思い違いか混同で、CBSからABCに移籍した時期の作品を例示してしまった。あるいは、「NBC」は「CBS」の間違いで、CBSを辞めたときのことで、例示した作品は間違っていない、ということか。いずれにしろ、テレビ局の人間が、アニメーションの製作現場に対して大きな影響力を持っていた、ということを書きたいのなら、CBS時代のシルバーマンについて書く方がより良かったのではないか。

 ちなみに、CBS時代にシルバーマンが提案して大ヒットしたのが「弱虫クルッパー」だ。また、フィルメーションを第2のハナ=バーベラ・プロに育てたのもシルバーマンだ。1970年前後のハナ=バーベラとフィルメーションの作品に似たような作品があるのは、すべて、シルバーマンの企画に沿って両者が作品をCBSに納入したからなのだ。


参考文献
 山田秀夫「アメリカン・テレビ・ウォーズ」丸善ライブラリー
 GEORGE W.WOOLERY 'CHILDREN'S TELEVISION:THE FIRST THIRTY-FIVE YEARS,1946-1981 Part1:Animated Cartoon Series '
GARY H.GROSSMAN ' SATURDAY MORNING TV'
TED SENNET ' THE ART OF HANNA-BARBERA'
乾直明「ザッツTVグラフィティ」フィルムアート社

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