« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »

2014/07/13

ジョドロウスキーって聞こえる

 またもかろうじて貸切にならない観客数でフランク・パヴィッチ監督「ホドロフスキーのDUNE」を鑑賞。ホドロフスキーは90年前後にビデオで「エル・トポ」と「サンタ・サングレ/聖なる血」を見て、その頃(今でも)評判の高かった「ホーリー・マウンテン」は見られず、見てみたいという引っ掛かりがあり続けてた監督だ。自主上映でケネス・アンガーのドラッグ・トリップ映画を同じ頃見ていて、その拡大版かなという感想を上記2作で感じていたが、妙なリアリティにホドロフスキーの故郷チリや出発点メキシコの反映、ラテン・アメリカ作家のいくつかの小説(代表は「百年の孤独」)の現実とは思えない描写のリアルさと相通じる、ラテン・アメリカ系リアリズムなんだろうと考えていた。決して、ヤクまみれの作家の支離滅裂な映像作品ではないものが感じられたのである。

 実際本映画に出てくるホドロフスキーは大学教授のようにまともに実現しなかった自作についてきちんと語っている。この語りが、スペイン語というかフランス語というべきか、ラテン系言語の訛りの強い英語であったかと思うと、いつのまにかフランス語かスペイン語になっていたりするのが面白い。ホドロフスキーが作ろうとした「DUNE」はきわめて70年代前半的映画であったな、と思う。ハリウッド全体が右肩下がりの時代でなかったなら賭けに出るプロデューサーもいて実現してSF映画のまた違った展開もあったかもしれない。そのあたりの時代背景を語る人間が誰も登場しなかったのは不思議だ。

 ホドロフスキーがイギリス人画家のクリス・フォスを見つけたのと同じ頃、自分もフォスのSF本表紙絵に見せられて画集を買った一人だ。フォスの絵はサンリオSF文庫の宣伝にも使用されていたように思う。そして、つい先ごろ亡くなったギーガー。フォスは日本で知っている人は少ないがギーガーは「エイリアン」で一躍有名になった。ところで、フォスもギーガーも更には、ダン・オバノンやミシェル・セドゥーも、誰もホドロフスキーのことを「ホドロフスキー」と呼んでいない。それぞれの母国語の発音規則でJODORWSKYを発音している。「ジョドロウスキー」とか「ヨドロウスキー」と聞こえるのだ。本人と仕事をしている人間が誰もホドロフスキーと呼んでいない!

 プロデゥーサーのセドゥーが語る、世界一、時間当たりの出演料が高い俳優になると主張したダリの出演交渉の最終決着の話は、朝三暮四みたいなオチで面白かった。

 ハリウッドの映画会社に売り込むために作った「DUNE」の分厚い冊子に残されたメビウスによるコンテやフォスのデザイン画を元にして、CGアニメ化して、ホドロフスキーが実現しようとした映像の再現も試みている。「宇宙ライダー・エンゼル」を思わせる部分もあってなかなかよろしい。


 「ホーリー・マウンテン」をやっぱり見てみたいぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/07/07

そこまでして行きたい学校

 パスカル・プリソン監督「世界の果ての通学路」をジョイランド沼津で見た。今回もまた貸し切りに限りなく近い観客数。ケニア、モロッコ、インド、アルゼンチンの地方のそのまたはずれの田舎から片道1時間以上かけて学校に通う子供たち。この景色と子供たちの表情が素晴らしい。特に学校にようやくたどり着いて、教室で生き生きとした表情で学ぶ姿が良い。この映画で一番いいなと思ったのは、体が不自由でオンボロ車椅子に乗って通学している男の子が弟たちの力で遅刻ぎりぎりで学校の門まで来て、クラスメートたちがたくさん駆け寄って車椅子をみんなで押して教室まで行くシーン。
 ところで、邦題の「世界の果て」という言葉は原題にはないし、映画自体もそう捉えてはいない。日本人から見たら「世界の果て」に見える場所ではあるが、そこにいる人たちにとっては自分の世界の中心である。わざわざ「果て」という言葉をつける必要はあったのか?
 エンドタイトルの最後に、あのディズニー・プロがフランスでの配給会社であることが書かれていた。イッツ・ア・スモール・ワールドにつながるドキュメンタリーではある。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/07/06

懐かしい人間がいっぱい

 「グランドブダペストホテル」ウエス・アンダーソン監督作品を見た。最初の方でところどころ疲れが出て短時間居眠りし、登場人物を飲み込めず、時代が移り変わったことにすぐには気が付かない(実は時代ごとにスクリーンサイズが変わるので、どの時代かはすぐに分かる。現代がハイビジョンサイズ、60年代がシネマスコープサイズ、30年代がスタンダードサイズである。映画のほとんどはスタンダードサイズである)ままだったが、途中から俄然面白くなる。ホテルの常連客の女性の殺人事件が起きるのだが、この犯人探しのミステリーは実はどうでもよくって、主人公に降りかかる災難とそれをどうやって切り抜けるか、というのが面白さの元。「グランドホテル」のコメディ化という点で「幕末太陽伝」と共通性がある。アンダーソン監督が「幕末太陽伝」を知っていてこの映画を作ったとしたらすごい事になるな。ストップ・モーション・アニメによる特撮も良い味出している。久しぶりにもう何度か見たいと思った映画だ。

 ビル・マーレイやウィレム・デフォー(かつての役柄のパロディみたいだ)はわかったが、ジェフ・ゴールドブラムやハーヴェイ・カイテル(分かってみるとこの人も自己パロデイ的役柄だ)、ジュード・ロウには気がつかなかった。主人公のレイフ・ファインズ、F・マーレイ・エイブラハムも入れると、80年代から90年代初めにかけて、劇場で映画をたくさん見ていたときによく見た個性派俳優総出演という感じ。こういうところも「幕末太陽伝」を思わせるのかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/07/05

マツダ626(5ドアハッチバック)の生涯

 「ダブリンの時計職人」ダラ・バーン監督作品を見た。ジョイランド沼津でだが、かろうじて貸切にならない観客数。ドキュメンタリー・タッチで画面が揺れる。ラストあと10分くらいのところで、この画面の揺れに酔ってしまい画面を見られない気分不良状態になってしまった。ホームレスの主人公の友人の青年が痛ましい最期を迎えるあたりだ。多分、その相乗効果もあったように思えるし、寄る年波と日ごろ積み重なった疲労もあったように思う。

 ラストシーンでテレビに悲しげな表情の犬のアニメが映ったがこれはなんという作品なんだろう。テレビシリーズ風ではない絵と動きだった。エンドタイトルは揺れたりしないのでしっかりしみたが、このテレビに映った作品がなんだか分かる文章は見つけられなかった。

 ナンバープレートをはずされ落書きされた古い車がクレーンで海辺の駐車場から撤去されるシーンで始まるが、この車がちょっと気になった。デザイン的に古いフォードの車みたいだと思った。このシーンから映画は時間を遡り、この車が撤去されることになった経緯を語り始める。ホームレスの主人公がこの海岸沿いの駐車場に止めてそこで生活をした車だったのだ。この車は4ドアセダンのように見えたのだが、リヤハッチがある5ドアで、この5枚目のドアにマツダのマークが付いている。これで海外のみで発売されていたカペラの5ドアセダンであることが分かった。同時期に日産のプリメーラにも英国工場で作られていた5ドアがあって、これは日本に逆輸入されて少数だが販売された。カペラの5ドアは日本未発売だった。

 アイルランドのダブリンって、こんなに遠浅の良いビーチがあるんだ、と思う。もっとも、ダブリンについては「ザ・コミットメンツ」の舞台としてしか知らない。

 邦題に時計職人とあるのでそこから連想される映画のイメージとはかなりかけ離れていて、最初は戸惑った。原題は、Parked で、このタイトルの方が単刀直入に状況を表現している。邦題は多分に叙情的である。この映画は叙情的ではあるが、厳しい現実を淡々と描いているのがいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »