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2014/01/13

「フリッカー、あるいは映画の魔」セオドア・ローザック(文藝春秋)

 本書は、刊行された1998年の「このミステリーがすごい!第1位」に選ばれて、映画ファンを魅了する多くの細部があるということで、その評を見て買い込んだのだが、15年も読まないままだった。それを、この正月休みで読もうと思い立ち、読み終えた。歌い文句どおり面白かった。もっとも15年前に買ってすぐ読んでいたとしても今読んだのと同じほど、面白さを感じたかどうかはわからない。15年前には、本書で引用されているクラカウアー「カリガリからヒトラーへ」やグノーシス派の教義がガリレイやニュートンなどの近代科学の成立時に影響を与えたことを論考した山本義隆「磁力と重力の発見」は読んでいなかったし、本書の主人公ジョナサン・ゲイツの恋人であるクレアのモデルとなったと言われるポーリン・ケイルの「映画辛口案内」も読んでいなかったので、本書の細部の仕掛けにどれだけ気づけたかはわからないからだ。

 読み始めてジョン・ファウルズ「魔術師」やトマス・ピンチョンの諸作を連想した。特に後者なくしては、ローザックは本書を書かなかったのでは、と思う。

 この小説は、クレアが切り盛りしている、日本でいえば名画座に当たるフランスの有名なアンリ・ラングロワのシネマテークを模したクラシック座とよばれる映画館での知る人ぞ知る作品群の上映の中で、ゲイツがマックス・キャッスル監督作に出会う(もちろん、クレアとも)ことから始まる。低予算の割には見れるB級以下のホラー映画という見かけ以上の印象を与えるキャッスル監督作品に潜む秘密をゲイツが追っていくというミステリー展開のゴシック小説である。このマックス・キャッスル監督を実在の人物と思わせる細部の書き込みが、映画ファンにはたまらない。しかも、いわゆる実写映画だけでなくアニメ(というよりもカートゥーンといった方が良い)にも、さりげなく言及しているのが私好みだ。

 このカートゥーンがらみの記述で気に入ったのは2箇所。1つは、本書の中盤で、キャッスル監督のサブリミナル的テクニックの一つとして、フィルムに映写機のごみをアニメーションで書き込んでいるという説明をしていること。かのテックス・アヴェリーが「へんてこなオペラ」でブルドックのスパイク演じるオペラ歌手をおちょくるためにやったことを、それより早くキャッスルがやっていたというのだ!2つめは、終盤のキャッスル監督の最終作の世紀末的カオス作品にベティ・ブープが登場すること。

 「バイバイ・ブラックバード」というジャズのスタンダードナンバーとなった曲のメロディが謎に絡んで出てくる。マイルス・デイビスとキース・ジャレットの演奏したCDがすぐに取り出せたので、聞きながら読んだ。マイルスのクールなトランペットの方がキースのピアノトリオよりこの小説に合った。

 キリスト教の異端カタリ派の暗躍・陰謀ということがキャッスル作品の裏にあるのが途中で明らかになって、話は映画の技術論から一種の神学論争に踏み込んで、更に深い闇に誘い込む。そのカタリ派の世紀末が1999年ではなく2014年と出てきて、2014年の正月に読んでいる暗合に驚いたのでありました。

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