21世紀の絵巻物
高畑勲監督「かぐや姫の物語」を見た。予告編を見て、いわゆるアート・アニメーションのセルアニメではない手法の作品に近い作り方で劇場用長編アニメを作るというのはとんでもないことだ、と感じた。実際に見て、まさしくその通りであった。特に前半の赤ん坊のかぐや姫の動き、子供たちが木陰に入った時の葉の形の影が体の動きに伴って移り変わる様子には目を見張った。
セル・アニメーションの欠点である、セルの裏側から絵の具をべた塗りしたキャラクターが背景画と調和しにくいことを、どう処理するかは、昔から大問題であった。この問題が、セル・アニメという技法がコンピューター化されてセルを使わなくなって初めて完全解決への道が開かれた。それにいち早く対応したのが高畑勲であった。その一つの完成形がこの「かぐや姫の物語」で示されたわけだ。
かぐや姫が、高畑勲の監督第一作「太陽の王子ホルスの大冒険」のヒロイン、ヒルダを思い起こさせる、というのは、「太陽の王子ホルスの大冒険」を見たことのあるものなら誰しも思うことであろうが、森の中を動き回る子供たちのあるシーンで、ディズニーの「白雪姫」の小人たちが森から帰るシーンを計らずも連想した。ディズニー・プロも本作品に関わっているが、それだからということではない。これは、長編アニメーションはどうあるべきか?という根源的な問いかけを高畑勲がしながら作ったということから生じた類似のように思える。
「太陽の王子ホルスの大冒険」が最初に公開された夏に、テレビでその予告編を見て、これは見に行きたいと思ったのに、弟のゴジラを見たいという要望に勝てず、親に連れて行ってといえなかったことが、私の小学校時代のアニメーション体験の一種の悔いとなっていた。それが、大学生になってアニメーション同好会の設立時の会員となり、同好会の活動の第一弾として「太陽の王子ホルスの大冒険」の上映会を行ったことにつながるのだが、その時に故・望月信夫さんに協力していただいた。そのときだったか、そのあとだったか、アニメーション映画でやるべきでない心理描写を試みていて成功しているとはいいがたい(こんなことをしたいなら、実写映画を撮ればいい)ので、「太陽の王子ホルスの大冒険」を東映動画の(その当時の)長編アニメのベストには選ばず、「長靴をはいた猫」をベスト1とする、という望月さんの見方を伺った。これと同様の批評はその後の高畑作品でも言われることがあって、「キネマ旬報」12月下旬号のインタービュー記事でも高畑監督自身がそういわれてきたことを語っている。「かぐや姫の物語」では、かぐや姫の心の状態を表現するのにアニメーションでなければできない「動き」となっている。「太陽の王子ホルスの大冒険」では実写でやった方がいいといわれながらもこだわり続けた表現方法がここまで進化したのである。
ただ、すべてがよいわけではない。作画上で気になる部分が存在する。キャラクターが画像空間内で奥の方に行って小さく描かれる時の細かく描けないための省略の仕方が、ギャグマンガのキャラクターの描き方のように見えて違和感があることだ。もうひとつ、気になるというより、自分の好みとして、月よりの使者が登場するシーンの音楽がそのキャラクター・デザインにもっと合った音楽であって欲しかった。
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コメント
本日、2度目を見た。カートゥーン的な、ギャグっぽい動きが案外たくさんあるのを確認。捨丸との急降下シーンは「アヴェリー落下」(地面に激突寸前に急ブレーキがかかり落下が止まる)であった。三保の松原からの富士山の景色も確認。富士山からは噴煙が昇っていた。前回見たとき息切れして見落としたラストシーン付近を補えた。その代わり前半では時々居眠りしてしまった。この作品の長さは、緊張感を持って見るには、少々長い。
投稿: WILE.E | 2013/12/01 19:18