RE:009
「漆黒の闇で、パリに踊れ」を見に行ったとき、ジョイランド・グループの映画案内をもらってきて、ジョイランド三島で「009 RE:CYBORG」が上映されていることに気が付いた。いい評判を耳にしていたので、これは見たい、とレイトショー(3Dはレイトショーの割引価格でしかほとんど見なくなった)に、好きな声優が出ているからと娘も一緒に行くことに。娘と映画を見るなんてずいぶん久しぶりだ。
評判どおりであった。石ノ森章太郎とはかけ離れたキャラクター・デザインなのだけれど、過去3回の劇場用アニメよりも、原作の味があった。特に、レイ・ブラッドベリの「万華鏡」に影響を受けた「地下帝国ヨミ編」の名シーンを見事に現代的に再現しているのが素晴らしい。映画の冒頭、学生服姿の島村ジョーを覚醒させるというのは、石ノ森漫画のもう一人の丈、そう、「幻魔大戦」の東丈がダブって見えて、今回の戦いが人類の存続をかけた戦いになることを仄めかし、見ていくうちに、これは「天使編」の設定だとわかる。
30年以上も昔、「サイボーグ009超銀河伝説」を見たとき、「これは、003、フランスワーズ・アルヌールの映画だ」とノートに感想を書き出したのを今でも覚えている(ウィキの記述を読んでも「超銀河伝説」の具体的な内容がまったく思い出せないのに、こう思ったことだけは鮮明に覚えている)のだが、今回も、同じことを思った。この作品の一番の弱点だと感じるラストシーンは、フランソワーズが強く願ったことで実現した世界のように思えるのだ。003の登場した瞬間、「009ノ1」みたなキャラクター・デザインに違和感を持ったのだが、話が進んでいくうちに、やっぱり003は003であった。原作や昭和のアニメでは、003は「坑道のカナリア」的役割でしかなかったのが、情報に先んじたものが勝利する時代を反映して、戦闘シーンにおいても004以上の活躍をする。いいなあ、こういうヒロインって。最初のテレビアニメ・シリーズで一番好きな話である「悲劇の獣人」の見たときの感覚が甦ってくる。
「サイボーグ009」を知らない者には各キャラクターが少々説明不足なのが、ちょっと残念。特に、008はその能力を使わずに消えてしまうので、原作をほとんど知らない娘に、見終わった後、008の能力って何?って訊かれてしまった。それで、潜水能力優れていると説明した。でも、その代わりに、娘から今人気の声優がそろって出ていると教えてもらった。
本作品は3DCGを作成するシステムで作られているが、2次元のセルアニメの手法、それも日本のテレビ作品で進化した作画手法を見事に再現している。ピクサーなどのアメリカのCGアニメがカートゥーンの手法を再現しているのと対照的だ。
005の戦闘シーンの筋肉の表現に、ハルクを連想し、「アベンジャーズ」や「Xメン」と「009」が似ていることに気が付いて、原作のマンガはどちらが先なんだろう、影響関係はあるのか?など、調べてみたくなった。
神山監督には「リュウの道」をアニメ化して欲しい。放射能で汚染された地球に住む人類の再生の物語を映画にするというのは、今しかないと思うのだ。
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