「ディアスポラ」 グレッグ・イーガン
「万物理論」では万物理論そのものが具体的には表現されていなかったが、「ディアスポラ」では暫定的な万物理論が、コズチ理論として、超弦理論的な10次元空間のワームホールの口が素粒子である、として表現されている。また、他にもいろいろな最先端の物理学的アイディアが使われているが、「物理学的宇宙SF」かというと、実はそうでなく、「情報理論的宇宙SF」といった方がいい。
第1部の最初が一番読みにくかったのだが(多分ここで、挫折する人が多いだろう)、それは、人間の神経系の生物学的発生と意識の芽生えを、コンピュータ上でシミュレーションしているのを表現しているのだと納得できると、これは面白そうだぞ、ということになる。「ディアスポラ」で中心的に描かれる世界は、コンピュータ・ネットワーク上に移された人間の人格、あるいは、精神を示す「プログラム」同士のやりとりの世界である。そのため、具象性に乏しい、夢の中の果てしない数学的議論のようでもある(学生時代、どうしても解けなかった数学の問題や量子力学に出てくる長い長い積分計算が夢に出てきたときのことを思い出させた)。
人間の脳神経ネットワークはどこまでの認識が可能か、というシミュレーションをSFという形でしているようなのだ。
地球上の生物の生存に大打撃を与えるガンマ線バーストが起こり、そのことで、人間を越える知的生命体の存在が明らかになり、この知的生命体を追うディアスポラが始まる。このあたりから、つまりは全体の半分を過ぎたあたりから、俄然面白くなる。辛い前半を耐えた者にだけやってくる醍醐味である。
ディアスポラの過程で出会う人間的でない宇宙生命体は、生物学的、あるいは、生化学的というより、自立的に情報処理をしている実態として描かれていて、こういう生命の見方があったのか、と気づかされる。本書におけるイーガンの発想は徹底して数学的、情報理論的なのである。こういう発想の徹底の仕方はスタニスワフ・レムと双璧だ。
イノシロウという登場人物がいて、ピンチョンの「ヴァインランド」に出てくる日本人イノシロウを連想させた。ピンチョンがイノシロウという名前を使ったのは、円谷英二と組んで「ゴジラ」などの東宝特撮映画を監督した本多猪四郎からだろうと、言われているのだが、イーガンも怪獣映画のファンなのかな。
一言で言うと、数学屋さんの大風呂敷SF、「果てしなき流れの果てに」数学版である。他の人たちに説明するには微妙すぎてうまく違いが説明できそうにないのだが、私の読みたい大風呂敷宇宙SFはもう少し物理学よりのものだ。
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