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2012/08/29

マイブリッジの糸・・・山村浩二の時間に愛を

 広島アニメフェスでの公開にあわせて紀伊国屋書店から発売されたブルーレイDVDを購入して、遅ればせながら鑑賞。どのような作品であるかについてはまったく情報を得ずに見たので、19世紀末のマイブリッジの時代と21世紀初めの東京の母娘が対比されて描かれているということは思いも寄らなかった。基本的なテーマは時間であり、難解さを感じるイメージの連続であった。

 1枚の紙の上にすべてを書き込むアニメーションの原点的手法がとられていて、自分がNFBの諸作、マクラレン、ラーキン、リーフなどの作品を見て、こんな動くイメージを自分も作ってみたいと思って実際に自主制作していた頃に作ったものの中に、似たようなシーンを自分も描いてたなあ、と思う。NFBとの共同制作ということで、山村浩二が、自身のアニメ制作の原点を見つめ、影響を受けたNFBの諸作にオーマジュを捧げつつ、そして現在につなげた作品なのだろう。

 音楽は、バッハの「蟹のカノン」を基にして、ノルマン・ロジェがロジェらしい作編曲していて、これだけで、ああNFBだなと思えてしまう。本作を見ているときに、妻が蟹の格好をしてテレビの前を横切ったのだが、作品を見終わっておまけの解説画像を見るまで、使われている曲が「蟹のカノン」と呼ばれていることを知らなかった。ピアノ弾きの端くれであるわが妻にはすぐにわかったようで、ふざけて見せたのだった。この可逆な曲を使い、さらに、その楽譜も見せることで、時間というテーマを見る人に提示し、アキレスと亀の競争(ゼノンのパラドックス)も挟み込んで、アニメーションもまた、音楽と同様に時間の芸術でもあると強く印象付けている。

 現在の東京で小学校に入学するかしないかくらいの女の子と母親の「蟹のカノン」の連弾のシーンで、わが妻と娘が同じくらいの頃同じように曲は違うが連弾していたなあと、ごく私的な感傷を引き起こした。マイブリッジの生涯がこの作品の第1主題なら、連弾する母娘は第2主題である。それが、どうつながるのか、作品の中では一切説明はない。ただ最後に、マイブリッジが撮影した母子の写真の引用が登場し、イメージの連環が一応つながる。

 時間を逆転させても、ほとんどの動きはおかしさを感じさせない。前にギャロップしている馬の動きを逆転させた動きは、後ろにギャロップしている馬の動きと変わらない。しかし、母が子を産み育てていく過程を逆転させたら、それは、ありえないものになる。愛は不可逆、時間を超えて結ばれる糸、ということだろうか。マイブリッジは空間に糸を張って時間をコントロールすることができたが、時間の流れの中の糸は張れなかった悲劇。

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2012/08/26

大怪獣現る!?

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フジF200EXRで撮影

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2012/08/25

夕顔咲いた

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以上、ニコンD90+シグマ24mmF1.8

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以上、ニコンD90+AF-S18-105mm


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2012/08/24

「日本短編映像史 文化映画・教育映画・産業映画」吉原順平 岩波書店

 静岡県東部高等学校視聴覚ライブラリーが数年前に解散になって、そのときに廃棄処分となった16mmフィルムの多くを貰い受け、これらのフィルムのついて多少なりともどのようなものなのかわかる資料を少しでも探したいと思った昨年の秋、本書が出版されたのを知り、購入した。岩波映画の製作現場にいた著者による貴重な資料を集めた本だ。

「第1章教育映画・文化映画・ドキュメンタリー映画」で、これらの映画を歴史的に概括する最初の方に、J.R.ブレイやフライシャーの名前が出てきたと思ったら、その部分はなんと「世界アニメーション映画史」からの引用であった。アニメーションは主眼にないが、本書の性質上、ところどころでアニメ作品やアニメ制作者として知られる人物が出てきて、通常のアニメーション史とは違う視点で取り扱われているのが新鮮である。「すて猫トラちゃん」や「草原の子テングリ」(製作スタッフについて、手塚治虫脚本とだけ紹介している)をスティール写真で取り上げている。

 私が貰い受けたフィルムの中で授業で一番使ったことのある「振動の世界」や昨年始めてチェックしてその記録映画としての力強さに驚いた「原子力発電の夜明け」について、きちんとした記述がある。ところが授業の中で使いやすい長さ10分程度の作品についてはシリーズとしてだけ取上げられていて、個別の作品についてはさすがに触れられていない。戦前から現在までの短編映画の全体像を未来志向でまとめた本なので仕方がない。私が持っている16mmフィルムの多くいの素性を調べるには、また別なものを探して調べていくしかなかろう。

 教育映画の多くは科学映画でもあった、ということで、「教育」と、「科学」あるいは「科学技術」の時代変遷をかなりうまくまとめていて、「視聴覚教育史」や「科学技術史」として読める本にもなっているのが、予想外の内容であった。板倉聖宣の「仮説実験授業」の提唱がかなり古い時代のものだというのは、不覚にも本書を読むまで気づいていなかった。

 このような映画を扱うには、通常の映画よりも広い視点・知識が必要だと痛感させられた。

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2012/08/23

AL4という名の時限爆弾

 本日、朝出勤するとき、シトロエンC4でいつもよりアクセルを踏まずにとろとろと走り出したら、なかなか2速に入らず、しばらくして、いきなり、どっか~ん、という感じの普段感じたことのない大きな変速ショックがあった。その瞬間、SERVICEの警告灯がつき、変速機異常のメッセージが出た。2速に入って走っていはいる。路肩に車を寄せて、エンジンを切った。エンジンを入れなおすと、警告は消え、アクセルを踏み込むと、今度はショックなく、変速した。大丈夫そうなので、そのまま、職場に出勤。ただ、何が起きたか怖いので、シトロエン沼津に電話し、帰宅時に見てもらうことになった。コンピュータのログを調べると、オートマの油圧異常が記録されていた。過去、同様の症状の修理をしたことがあり、費用はこのくらいということで、すぐに修理を頼むわけにはいかない金額であった。様子を見ながらもう1,2回同じことがおきたら直すでも、とりあえず問題ない、という話を聞いて、結局様子を見ることにした。冬のボーナスあたりで、直すことになりそうだ。

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2012/08/20

夕空晴れて

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フジF200EXRの夕焼けモードで撮影

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2012/08/13

カメラ散歩

ニコンD90+シグマ24mmF1.8EXDGで撮影

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2012/08/12

スイレンとムラサキシキブ

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以上、ニコンD90+AF-S18~105mm

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以上、ニコンD90+シグマ24mmF1.8

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2012/08/07

「ディアスポラ」 グレッグ・イーガン

「万物理論」では万物理論そのものが具体的には表現されていなかったが、「ディアスポラ」では暫定的な万物理論が、コズチ理論として、超弦理論的な10次元空間のワームホールの口が素粒子である、として表現されている。また、他にもいろいろな最先端の物理学的アイディアが使われているが、「物理学的宇宙SF」かというと、実はそうでなく、「情報理論的宇宙SF」といった方がいい。

 第1部の最初が一番読みにくかったのだが(多分ここで、挫折する人が多いだろう)、それは、人間の神経系の生物学的発生と意識の芽生えを、コンピュータ上でシミュレーションしているのを表現しているのだと納得できると、これは面白そうだぞ、ということになる。「ディアスポラ」で中心的に描かれる世界は、コンピュータ・ネットワーク上に移された人間の人格、あるいは、精神を示す「プログラム」同士のやりとりの世界である。そのため、具象性に乏しい、夢の中の果てしない数学的議論のようでもある(学生時代、どうしても解けなかった数学の問題や量子力学に出てくる長い長い積分計算が夢に出てきたときのことを思い出させた)。

 人間の脳神経ネットワークはどこまでの認識が可能か、というシミュレーションをSFという形でしているようなのだ。

 地球上の生物の生存に大打撃を与えるガンマ線バーストが起こり、そのことで、人間を越える知的生命体の存在が明らかになり、この知的生命体を追うディアスポラが始まる。このあたりから、つまりは全体の半分を過ぎたあたりから、俄然面白くなる。辛い前半を耐えた者にだけやってくる醍醐味である。

 ディアスポラの過程で出会う人間的でない宇宙生命体は、生物学的、あるいは、生化学的というより、自立的に情報処理をしている実態として描かれていて、こういう生命の見方があったのか、と気づかされる。本書におけるイーガンの発想は徹底して数学的、情報理論的なのである。こういう発想の徹底の仕方はスタニスワフ・レムと双璧だ。

 イノシロウという登場人物がいて、ピンチョンの「ヴァインランド」に出てくる日本人イノシロウを連想させた。ピンチョンがイノシロウという名前を使ったのは、円谷英二と組んで「ゴジラ」などの東宝特撮映画を監督した本多猪四郎からだろうと、言われているのだが、イーガンも怪獣映画のファンなのかな。

 一言で言うと、数学屋さんの大風呂敷SF、「果てしなき流れの果てに」数学版である。他の人たちに説明するには微妙すぎてうまく違いが説明できそうにないのだが、私の読みたい大風呂敷宇宙SFはもう少し物理学よりのものだ。

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