「ミッション:8ミニッツ」から「量子力学の反常識と素粒子の自由意志」へ
「ミッション:8ミニッツ」を見た。またまた量子力学の多世界解釈ネタだ、と思ってしまう。とはいっても、映画の作りはダンカン・ジョーンズ監督の前作の「月に囚われた男」と相似形。昔からあるタイムトラベル物、パラレル・ワールド物の変奏である。「ミスター・ノーバディ」ほど、量子力学の考え方が映画と強く結びついているわけではなく、犯人探し(自分探しでもある)のサスペンスとそれに絡まるロマンスを楽しめばいい映画だ。自分の好みとしては、「月に囚われた男」「ミスター・ノーバディ」である。SFはやっぱり宇宙のシーンがないと、ってことだ。
この映画の原題はSouce Codeである。直接的には、列車爆破テロの犠牲者の脳に残された最期の8分間の記憶からテロリストを見出す任務に使われる特別な装置の基本プログラムを意味しているのだろうが、Souce Codeを書き換えるとコンピュータをまったく別の設定にできる、ということを思い起こすと、この原題は意味深長である。そういう含蓄をなくして、ただのアクション映画タイトルにしてしまった邦題は残念である。
最期の8分間を何度も繰り返し、テロリストを見つけ出していくというSF装置の説明は、映画中では量子力学の原理に基づいたシステム、という説明しか出てこない。これを私なりに解釈すると次のようになる。
この装置は量子コンピュータにより、犠牲者(死者)の脳に残る最後の8分間の記憶から、この8分間の世界を再現する。量子コンピュータというのは、これを多世界解釈で説明すると、われわれの存在している世界と同時並立している他の可能な世界(つまりはパラレル・ワールド)すべてに同じコンピュータがあり、それが同時にすべての可能性を計算するので難しい計算が短時間でできる、ということであるから、この8分間の中での可能な歴史的選択についてありえる世界がすべて再現される。そして、この世界にシンクロしてその世界を認識し、犯人が明らかとなる歴史的選択を実現させ、その情報を元の世界に持ち帰る観測者(フォン・ノイマン流に意識といっても良い)が必要なシステムである。
何度も繰り返される8分間から戻ってくると、わけのわからない狭い箱のような中に主人公が入れられている、というのは、やっぱり、「シュレーディンガーの猫」を意識しているのだろうか?(シュレーディンガーの猫は箱の中にいて、生きているのか死んでいるのかわからない状態である)量子コンピュータにシンクロするには、量子力学的状態になっている必要があるということなのだろう。
ちょっと前に、筒井泉「量子力学の反常識と素粒子の自由意志」(岩波科学ライブラリー179)を読んだ。「量子もつれ」(量子コンピュータはこの状態を利用して計算を実行する)や「EPRパラドックス」に関わる新しく提出された「自由意志定理」について解説している。量子力学の実験結果を説明するには、「自由意志」「局所性」「決定論」の3つのうちのどれかを否定しなければならない、というのが「自由意志定理」だという。この観点から考えると、「ミスター・ノーバディ」も「ミッション:8ミニッツ」も決定論を否定して主人公の自由意志を肯定している映画だと言える。シュレーディンガーが猫の思考実験(量子力学の反常識性のたとえ話)を考案したのは量子力学が成立した早い時期であり、今になってこの話題に関係する映画が続けて作られているのはなぜ、という気がしたわけだが、21世紀になって提出されたこの「自由意志定理」の影響だと考えれば合点がいくのである。
付録:量子コンピュータの普通の説明
話を簡単にするために、1ビットの内部状態しかないコンピュータを考える。普通のコンピュータでは、この内部状態は、0か1のどちらかしか取れない。この内部状態の値に、1を足す計算を考える。0+1の答を出したいときには、コンピュータの内部状態を0にしておいて1を足す。1+1の答を出したいときには、内部状態を1にしてから1を足す。通常のコンピュータではこのような操作になる。それに対して、量子コンピュータでは、内部状態が0と1の重ね合わせの状態(0でもあり1でもある状態。0を生きている、1を死んでいる、にするとシュレーディンガーの猫になる)になる。したがって、これに対して1を足す操作をするとこの1回で、0+1と1+1の答が出せる。このようにして、通常のコンピュータでは何ステップかかる計算が一気にできるというのが量子コンピュータの原理である。
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