新書大賞
新書大賞を受賞した「宇宙は何でできているのか 素粒子物理学で解く宇宙の謎」村山斉(幻冬舎新書)を読んだ。一般向けの講演会を活字化したものであった。内容的には、ノーベル賞を受賞した日本人物理学者の業績を紹介しながら、「ウロボロスの蛇」に表象される極微の世界である素粒子の世界と極大の世界である宇宙が物理学の最先端で結びついていることを解説している。内容的には佐藤文隆の「破られた対称性 素粒子と宇宙の法則」と変わらないのだが、こちらの方の方が一般人には読み易い。佐藤文隆の本を読んで難しすぎてわからないと思ったり、数式が出てきて途中で読むのをやめてしまった人にはいい本だ。私的には、わかりやすい図版が多く採用されているのが気に入った。
その佐藤文隆の最新刊「職業としての科学」(岩波新書)も読んだ。佐藤文隆は「科学者」の職業的側面を強調した文章をかなり前から発表していたが、その集大成である。自分のような者も「職業としての科学」の片隅で仕事をしている人間になる。歴史的に科学の職業化が始まった時期を考察して、これからの科学と科学者はどうあるべきかを提案している。同時に、科学技術は使う者しだい(♪良いも悪いもリモコンしだい~)ということが、実は単純で浅薄な考え方であることもよくわかる。朝永振一郎も遺作「物理学とはなんだろうか?上下」(岩波新書)で同様の考え方を表明していた。朝永死後にノーベル賞を取った学者が単純な科学技術は使う者しだい的発言をしたのを聞いたときに、ちょっとがっかりしたことがあった。
ニュージランドで地震があった。内陸の直下型であったので津波は起きなかった。津波といえば昨年の太平洋を渡ってくる津波があった。そのときに生じた現象(津波警報が出たにもかかわらず実際の避難者はごく少数にとどまったこと。マスコミは津波の大きさ予想の精度の悪さばかりを問題にしたことなど)を憂いて書かれたのが、河田惠昭「津波災害」(岩波新書)である。終章で教育の問題にも触れていて、「高校生の理科離れが続いている原因の一つには、理科実験室の貧弱さである。ひと言で言えば”魅力がない”のである。これでは自然現象に興味をもてという方が無理であろう。」と書いている。「理科実験室の貧弱さ」についてはまったく同感である。政府にルートのある河田先生にはこの現状を変えるようにその筋に強く働きかけてほしいと思うのである。
この「理科離れについて」については、高井研が「生命はなぜ生まれたのか 地球生物の起源の謎に迫る」(幻冬舎新書)で、「むしろ最近の日本は『空前の理科ブーム到来、キター』とすら思う。(中略)今話題の『理科離れ』は『進学及び職業選択における理系分野志望が減少している』現象であって、決して『理科(すなわち自然科学)への興味、関心が失われている』ということではないように思う。」と別の見解を発表している。確かに、でんじろう先生のサイエンスショーの盛況ぶりや「はやぶさ」に対する関心の高さを見ればそうであろう。科学をあらゆる人のものに、という広い立場で言えば、現在の日本の様子はかなり理想に近づいてきているのかもしれない。佐藤文隆が上述の本を書いたのも同じ見解からかもしれない。高井研の本自体は、生命は生命を含んだ環境(生命圏)で考えて、生命圏におけるエネルギー論で生命を捉え、その地球上での起源に迫った研究成果について書かれている。深海熱水活動域にこの起源の状態をとどめている微生物がいるはずだという研究である。ここにおいて生物学は地球そのものの起源論とは無縁でなくなり物理や化学を駆使した内容になっているのがよくわかる。ここに時間的な「ウロボロスの蛇」を見出すこともできるなあ。
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