サムシング・エル・トポ
「アインシュタイン交点」に関することの続き。
「アインシュタイン交点」には、ビリー・ザ・キッドから発想されたキャラクターが登場するので、西部劇的な部分があるのだが、その部分から連想されるのは、アレッハンドロ・ホドロウスキーの「エル・トポ」である。この映画も「アインシュタイン交点」と同じく1967年の作品である。つまり、「アインシュタイン交点」は、人類が地球を逃げ出してしまった遥かな未来の話であるにもかかわらず、きわめて同時代性の強い小説なのである。「エル・トポ」自体を見直し始めたのだが、この映画そのものから先ず連想するのはガルシア=マルケスだけれども。
ディレイニーの積読解消で、「ノヴァ」を「アインシュタイン交点」に続いて読んだ。「ノヴァ」の方が、華麗なワイドスクリーン・バロックであり、この小説が訳されてすぐに読んだなら、もっと凄いと思ったかもしれない。自分が、この小説を素直に楽しむには少しトウが立つ年齢になってしまったことを感じた。疑似科学的アイディアとしては、ある種の新星(ノヴァ)で作られる、原子番号が300を超える超元素群、イリュリオンが、面白い。
質量数が通常の原子核よりも非常に多かったり(中性子過剰)、中性子が少なかったりという原子核でも、ある程度安定な原子核があるという理論計算があって、それを実験的に探す(作る)というのは、天然には存在しない大きな原子番号の原子核を作ることと並んで、原子核物理学の最先端の研究分野である。それら2つを合わせてSFのアイディアにしてしまったというのには、この小説で初めて出会った。それだけ秀逸な着想だと思うが、残念ながら、イリュリオン自体の小説での取り扱いは、プルトニウムをめぐる現実世界での取り扱い、プルトニウムを持っているのものが世界を支配する、とまったく一緒である。
伊藤典夫の訳者解説に、登場人物の名前の由来が書かれている。その中に、この小説の主人公と呼べる2人組、カティンとマウスについて、キャット&マウス(というより、トムとジェリー)と書かれていた。「トムとジェリー」の日本での認知度を感じるんだけれど、それとともに、作者のディレイニーは、ネコとネズミではない方の「トムとジェリー」をも意識していたのではないかと思う。なぜなら、トムにあたるカティンは人間版のトムと同様に、背が高く、ひょろ長く、一方、ジェリーにあたるマウスは小柄なのである。もし、伊藤典夫がそこまで調べていて、「トムとジェリー」と書いたなら、脱帽である。
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