アインシュタイン交差点でコルトレーンに入る
「フィネガンズ・ウエイク」が全然読み進められないのだが、その「フィネガンズ・ウエイク」からの引用が冒頭にある「アインシュタイン交点」を読み終えた。その昔、SF少年になったばかりの頃、SFマガジンの伊藤典夫の紹介文に狂気を書きたてられて、翻訳されるのを待ち望んでいたサミュエル・R・ディレイニーの小説である。訳されるのを待ち望んでいたにもかかわらず、ハヤカワ文庫で出てすぐに買ったことは買ったが、今まで10年も読んでいなかったのである。読みたいと想って、40年になろうとしていた。
訳者の伊藤典夫の解説なども先に少し読んでしまっていたので、相当に読みにくいのではないかと予想したが、般若波羅密多、すらすらと読めるし、続きをどんどん読みたくなる。「ノヴァ」のような厚さがないので、一気に読みきってしまった。オルフェウス神話に基づく遥かな未来の地球を舞台にしたヒロイック・ファンタジーとして、表面上はどんどん読めるのである。しかし、所々に、あれっと、引っ掛かる部分があって、少し前に戻って読み直す、ということを繰り返した。ただし、その多くは、不十分なままの説明で投げ出されているSF設定に関わることであり、メタファーを確認するというわけではなかった。
主人公達の境遇は、この作品が書かれた頃のアメリカ合衆国の黒人(作者のディレイニーは黒人である)の社会での戦いを連想させて、主人公が管楽器として機能する鞘で音楽を奏でるシーンは、特に最後のちょっと不可解な味を残すシーンでは、ジョン・コルトレーンを思い出させて、「至上の愛」と「インターステラー・スペース」というアルバムを捜してしまったほどだ。
本書のタイトルの「アインシュタイン交点」というのは、この小説のホンの一部分(というか一点)にしか関わっていないのだが、その言葉の想起するイメージは、魅力的である。SFのタイトルの傑作といえるだろう。そういうタイトルと内容とのずれも、また、この小説を読む楽しさの一部な気がする。
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