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2007/08/30

「生物と無生物のあいだ」福岡伸一 講談社現代新書

 その昔、高校1年生の生物の最後の課題に「生命とは何か」についてレポートを書けというのがあった。何故、そんなことを今でも覚えているかというと、このときに、量子力学の立て役者シュレーディンガーの「生命とは何か」を読んで、「生命は負のエントロピーを食べて生きている」という見方にショックを受けたからだ。表題の本でもシュレーディンガーの「生命とは何か」を第8章で取り上げている。この本を買って読むことにした最大の理由が、このシュレーディンガーへの言及である。

 シュレーディンガーが「生命とは何か」を発表する少し前に、シェーンハイマーが生物を構成する分子や原子が恐るべき速さで入れ替わっている、という重大な発見をする。このことは、生命を理解する上で大切なことであるが、高校の教科書でもさらりと触れられているだけで、一般にはきちんと理解されていない。だから、コラーゲン不足の人間にコラーゲンを摂取させればいいというようなシェーンハイマーが発見したことと矛盾するCMがまかり通ってしまう。福岡伸一は、本書で、このシェーンハイマーの発見をページを割いて説明し、「生命とは動的平衡にある流れである」という生命の定義を与える。この定義の与え方は、シュレーディンガーを非常に意識したものであるように思える。

 「動的平衡にある流れ」というのは、私が大学を出たあたりから物理系の各分野で重要なテーマになっていたように記憶する。このことを熱力学的に取り扱った有名なプリゴジンの本を読んだこともある。宇宙物理学や地球物理学などでも大切な概念である。時間スケールは生物とは違うが、地球も宇宙も動的な平衡にある流れ中で今ある形として存在している。いわゆる環境問題も地球環境の「動的な平衡にある流れ」をきちんとおさえないと正しい議論は出来ない(ちなみに、地球環境の「動的な平衡にある流れ」に直接影響を与えるのは、二酸化炭素の濃度よりも、太陽エネルギー起源以外のエネルギーを人類が多量に使うことである。したがって、現在の環境問題を真摯に考えるなら、原子力は使用を止めるべきエネルギーの筆頭になる。私が太陽光発電システムを自宅に付けたのはこの理由のためである)。物理的には「秩序ある存在は動的な流れの中にしか永続できない」といってもいい。この立場からすると、生命と宇宙や地球との違いは、流れの時間スケールの違いでしかない。私は物理の立場の人間だから、生命に対するこの捉え方は特に違和感はないが、生物学に中心にいる人たちには異論もあるのではないだろうか。

 「動的平衡にある流れ」により、生物のやわらかな適応力となめらかな復元力の大きさを福岡は説明できると考えており、生命は機械でないと自己の研究から明言しているが、これは、私には、「動的平衡にある流れ」のもつ非線形性のためであるように思われる。私たちは現在、線形応答する機械しか作れないから、本質的に非線形な機械が作れるなら、それは生物の特徴を持つ物になるということを否定することはできない。したがって、生命は機械ではないという命題の真偽はまだ明らかではない、というべきだと、私は思う。

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コメント

福岡の書き方は、研究者の一般向け著作にしては分かりやすく面白いですね。プリオンの本を読みましたが、よく書けていると感心しました。この本もよく売れているようですが、「生命は機械ではないという命題の真偽はまだ明らかではない」というべきだという、読後感にはボクも同感です。人間は偉大なナノマシンかもしれないので、機械と生物の境目がなくなる日がくるやもしれない。福岡は、レムとかも少し読んでみたらいいのかも。

投稿: くーべ | 2007/08/30 20:35

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