傑作である。レムの集大成というか、原点に戻って「金星応答なし」で不備だった部分を洗いなおして書いた小説であるように思われる。「泰平ヨンの現場検証」に出てくる、徹底した相対主義に立つ科学哲学者ファイヤアーベント(およそ25年位前、日本でも村上陽一郎が精力的に紹介していた)を越えようとした思考の産物であるようにも思える。ちなみに、ファイヤアーベントが批判したラカトシュの名が、本書では登場人物名として使われている。また、ヒロシマ以後の科学技術のあるべき姿を、やはり、レムは一番気にしていたように感じる。
ブラックホールを利用した時空旅行が、ファーストコンタクトを可能にするSF的仕掛けの肝になっていて、いわば、時間軸方向へのスイングバイという方法なのだが、これが、そういう発想もあったか、ということで面白かった。しかし、このあたりの科学用語・擬似科学用語入り乱れての説明の翻訳に疑問を感じた。自分が推測した元ネタの宇宙物理学等の理論から考えると、レムがこんなに中途半端な理解で専門用語を使ったり、それをもじったような用語をひねり出したりはしないはずだ、という感覚がつきまとうのである。レムが構想したはずの、書かれた時点での科学理論から最も妥当な恒星系のイメージや時空を超える旅の説明が、どうにもピンとこないのである。
さらに、目的のクゥインタ星に近づき、コンタクトを試みた部分で、邦訳の前後の文章から明らかに誤訳とわかる部分を見つけた。「受胎告知」の223ページ、「地子(テラトロン)型エンジン」である。テラトロンを陽子(プロトン)や中性子(ニュートロン)と同様に作られた言葉と勘違いして「地子」と訳されているが、「~tron」は加速器(サイクロトロン、シンクロトロンなど)に使われる言葉であって、素粒子の「~子」は「~on」である。巻末のこの言葉の訳注にある中間子mesotoronは、中間子論を湯川が発表してごく初期に使われていただけで、加速器に「~tron」を使うようになってからは、メソンmesonである(加速器の発明と中間子論の発表はほぼ同時)。だから、この訳語は、カタカナで「テラトロン」が良いのである。テラトロン型エンジンの説明がその数行後からでてくるが、「数兆電力(テラワット)の消滅エンジン」「地子(テラトロン)の場を反転できる。そして、電極をショートさせれば」「兆電圧(テラボルト)を持つ核子を自分に撃ち込んだ」という説明はすべて、テラトロンが加速器から発想されたものを完全に示している。
また、この同じ章の226ページに「カー効果」に「(物質の屈折率が~)」とわざわざ訳注がつけられているが、このあとの文章とのつながりを考えると、この「カー」は、屈折率の変化に関する研究をしたジョン・カーではなく、一般相対論のカー解のロイ・カーと考えるべきである。超小型のブラックホール(あるいは時空の特異点)が生成されたことになっているわけだから。この「カー効果」は、レムの創作である。
巻末に詳細な訳注というか、この作品に出てくる固有名詞の由来の解説文があるのだが、訳者が物理学方面には詳しくないためか、私から見ると不思議な説明も少しあるので、気がついたところを以下に記す。
まず、日本人物理学者のナカムラだが、湯川秀樹の直弟子に中村誠太郎という、この1月末に亡くなった、物理関係では良く知られた研究者がいる。湯川の中間子論(レムは、この湯川の考え方を「絵物語」の章で要約してみせている)を発展させた2中間子理論などの業績で、もちろん、海外でも知られている。ユカワでは余りに有名すぎるから、その弟子の名前を探し出してきて使った可能性も考えられるのである。もちろん、訳者が指摘しているように、歌舞伎との関連も意識して選ばれたのであろうことも、想像に難くない。
次に、カーとラーマンについて。カーは「カー効果」のジョン・カーではなく、「カー解」のロイ・カーであるべきだということはすでに書いた。不明となっているラーマンRahmanの方は次のように考えられる。確かにRahmanという物理学者はいないが、Ramanなら有名なインド人学者がいる。「ラマン散乱」あるいは「ラマン効果」のチャンドラセカール・ラマンである。つづりにhのあるなし程度の違いは他の人物名では考慮して元ネタ探しをしているのに、なんでこんなに簡単に気がつく人物名を探せなかったのだろう? そして、さらに、この件はこれで終わらず、別の人物も連想されるのである。それは、ラマンのおいの白色矮星の質量限界を見出したチャンドラセカールである。「大失敗」の内容を考えたら、おいの方のチャンドラセカールを先に思いついたが、カーと並べるとあまりに直接的過ぎるんで、ラマン、さらに、ラーマンと変えたのではないか。
ホーレンバッハという名前だけを考えていると、誰をもじったか分からない物理学者名は、語感からはハイゼンベルグを、「ホーレンバッハ領域」等の用語の使い方からは、ホーキングを連想させる。そういえば、ホーキングが世界的に注目されるようになったのは、「大失敗」が書かれた頃だった。
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