チャーリー・ボワーズ、お前は誰だ
先日突然、「世界アニメーション映画史」の著者の1人伴野さんから電話があった。何かと思ったら、今度、世界のアニメーションの大全集DVDが発売されるので、その解説を頼まれて、もう1人の著者望月氏と分担して書いているところだという。それで、伴野さんの担当は人形アニメなのだが、チャーリー・ボワーズCharley Bowersの「ワイルド・オイスター」Wild Oysters(1940年)が、なぜ、「ポパイ」や「ベティ・ブープ」のフライシャー名義で公開されたかということについて、経緯を知らないか、という話であった。このような質問が私のところに来た理由は、前回の静岡のアニメ総会で、この「ワイルド・オイスター」を上映したということと、さらに遡って、1980年に、同じボワーズの「イッツ・ア・バード」It's a Bird(1930年)の8ミリフィルムをアメリカから直輸入して一見してその凄さに驚き(圧巻は、鳥の産んだ卵が孵化すると、なんと、T型フォードになってしまう!)、すぐに伴野さんのところにフィルムを持っていき見てもらい、当時のアメリカとフランスのアニメ雑誌に少しだけ記述があったボワーズについて調べて、同人誌で紹介したということがあったためだろう。杉本コレクションにも同じ頃「イッツ・ア・バード」の16ミリフィルムが入り、80年の東京でのアニメ総会で上映された。このときに、私の所有する8ミリフィルムにあったシーンが、16ミリフィルムの方ではカットされていたのを不思議に感じた(と同時に、自分の方が完全版に近いんだぞと、ちょっと優越感を持った)。
それで、今回チャーリー・ボワーズについて調べなおしてみたが、80年の時点では持っていなかったアニメ関係の本にはやっぱり記述がなく、インターネットで検索してみた。そうしたら、2004年にボワーズの15作品を集めたDVDがアメリカとフランスで発売されていて、その関係のページが幾つか見つかった。一度は忘れられてしまったボワーズについて発掘し、再評価をしたのは、バスター・キートンなどと同様に、フランスのシネマテークであった。だから、見つかったページとしてはフランス語のものの方が多かったりする。とりあえず、それらに目を通してボワーズについて、今分かっていることをまとめると以下のようになる。
1889年アイオワ州クレスコ生まれ(チャーリー・チャプリンと同い年)。1928年のプレス・ブックには、母はフランス貴族、父はアイルランド人の医者、5歳の時にサーカスのピエロから綱渡りの芸を伝授され、6歳の時にサーカス団に拉致され2年間家に帰れず、そのショックで父が死んだと書かれている(サーカスで綱渡りをしていたということ以外は、怪しい)。1916年から26年まで、マットとジェフMutt&Jeffのアニメ制作に携わる。1926年から、ストップモーション・アニメーションと実写が入り混じる(これは、The Bowers prosessと呼ばれた)2巻物(20分)のサイレント・コメディ映画を制作。26~27年はR-C PicturesとF.B.O.、28年は6本がEducational Picturesから配給された。 「シュールリアリズム宣言」のアンドレ・ブルトンAndre Breton が、1930年のIt's a Bird(自身が出演した唯一のサウンド・コメディ)を、当時絶賛した文章が残っている。フランスでは、Bricoloとい名前で知られていた。It's a Birdを制作した後、ニュージャージーに移り、30年代の8年間は、ニュージャージーの地方新聞Jersey Journalの漫画家となり、絵本の制作に携わった。唯一のカラー作品Pete Roleum and His Cousinsをジョセフ・ロージーJoseph Losey監督のもとで、1939年のニューヨーク万博のために制作した。人形アニメ(クレイアニメ)のWild Oysters (1940年)をフライシャー名義で公開、これが最後の作品となった。また、その前にA Sleepless Nightが、同じねずみ夫婦のキャラクターで制作されている。1941年に病気のためニュージャージー州パターソンの病院に入院しそのまま退院することなく、1946年に亡くなった。1976年のアヌシー・アニメーション・フェスティバルでのリバイバル上映で話題を呼び、再評価が始まった。
というわけで、伴野さんの疑問に対する回答はまったく得られなかった。もしかすると、DVDの解説にはもっと詳しいことが出ているのかもしれない。久しぶりにDVDを直輸入してみようかなあ。
今朝起きて、カートゥーン・ネットワークで「バッグス・バニー・ショウ」をたまたま見たら、「幻のドードーを探せ」DOUGH FOR THE DO-DO(1949年)をやっていて、これが「イッツ・ア・バード」そっくり。この作品は、1938年のロバート・クランペット作品PORKY IN WACKYLAND(1938年)のカラー・リメイクであるが、インターネットで調べたボワーズについての文章に、「イッツ・ア・バード」の影響がPORKY IN WACKYLANDに見られる、と書かれていたものがあった。全くの偶然で、こうやって確認できてしまったのが、またまた不思議。
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