果しなき流れの果にはエレガントな超空間が
小松左京「果しなき流れの果に」の再読を終えた。SFでいうところのパラレル・ワールドをすべて俯瞰できる立場(多次元宇宙の存在)がでてくる。このあたりの説明は、超弦(超ひも)理論の10(または11)次元の話を連想させる。もちろん、小松左京が本書を書いたときには、超弦理論はまだ産まれていないから、あくまでも、パラレル・ワールドSFのアイディアの発展形であり、超弦理論を予見していたというわけではない。当時は未訳だったオラフ・ステープルドンの「最後にして最初の人類」に似た発想である。ただし、ステープルドンは、我々の住むたった一つの宇宙の歴史と人類の段階的発展を描いただけで、小松左京の方があらゆる歴史の可能性を考えている分、発想として大きくなっている。本書のあとがきで、更に大きな時間スケールの小説を書きたいと、小松は書いているが、それは実現されていない。超弦理論や量子力学の多元宇宙解釈という魅力的な理論が物理学に存在している現在、これらの理論をもとに世界を構築して書いたらステープルドンの「スターメイカー」を超える壮大なSFが生まれそうな気がする。
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