私の車暦その3「シャトルからシャトルへ」
1987年の秋、シビック・シリーズがモデル・チェンジし、4代目グランド・シビックとなった。シャトルがどう変わるか注目した。ところが、見かけ上、初代のシャトルで自分が良いなあと考えている、ある意味、当時の車としては異様にも感じられる特徴が、より普通になって、より万人受けするものになっていた。それで、ちょっとがっかりして、初代をさらに乗り続けることにした。一クラス上のアコードにエアロデッキなるものも登場していて、これが5ドアで出たのなら、少々無理してでも買い換えたいと思った。また、クイントにインテグラとサブネームがつき、かなりスタイリッシュな5ドアも出て、心を動かされた。ただ、初代シャトルの天井の高い開放的な空間の虜になっていたため、背の低い車に積極的に乗ろうという気にはならなかった。ホンダ以外の車には、この頃、興味がわかず、とりあえずは、車を買い換えるなら、次もホンダにしようと考えていた。Fー1でのホンダの活躍もそれを後押しした。
ちょっと、時間をさかのぼって、スターレットに乗っていた頃、ワンダー・シビックが世に出る前に、一番次の車として乗ってみたいと考えていたのは、日産の5ドア車スタンザFXだった。値段が高かったのが諦めてしまう最大の原因となったが、この時、スタンザを選択していたら、その後の私の車生活はどうなっていただろうと、時々考える。スタンザ3兄弟は、結局売れなくて、すぐに姿を消してしまい、その反省のもとプリメーラが登場し、大ヒットする。スタンザに乗っていたら、その後は、プリメーラのイギリス逆輸入の5ドアに乗りかえ、そのまま現在まで乗り続けていて、やっぱり、ティーダにものすごく期待したかもしれない。
で、初代シャトルに乗って5年目の翌88年、走行距離が8万キロを過ぎてきたあたりで、シートのへたりが気になって、クッションを使うようになった。当時、片道1時間を超える通勤で、もう、このシートに座っているのは限界だ、と感じるようになった。コンチェルトの登場もあって、買い替えを真剣に考え始めた。初代シャトルへの愛着が大きかったため、低すぎない車高とちょっとノッチの付いた5ドアスタイルとできの良いシートに心を惹かれたが、どうしてもコンチェルトとはならず、値引き幅がより大きかった2代目シャトルのマイナーチェンジ版を発売前に契約して購入することになった。
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