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2004/10/02

私の車暦その2「シビック・シャトル55i」

55 1983年半ば、ホンダから3代目シビック、いわゆるワンダー・シビックが発売された。今では珍しくなくなったビュレット・フォルムの3ドアがかっこいいとは思ったが、シャトルというサブネームを与えられた5ドアこそ、これからの車の形だと感じて、実車も見ずに、いとこの知り合いのディーラーの所長と1発交渉をして、購入を決めてしまった。もっとも、あれこれ試乗し比較して、車を決めようとしているのは、今回が初めてで、ほとんど毎回、価格交渉は1回で契約してしまっているが。

 実は、私は、小学4年生くらいから中学生にかけては、かなり自動車に興味を持っていて、小学生向けに書かれた自動車のメカの解説書などを読んで、これなら、自分でも作れるんじゃないかと思い込んでしまったくらいである。その頃、こんな形の車が欲しいと、いろいろデザイン画を書いてみたことを記憶している。5年生のときに、図画工作に時間に状差しを作ったのだが、セダンの形で作って、いい評価をもらったことを覚えている。また、モーターを使って動くものを作るという時には、自分なりに坂道の登坂力を出そうと、前輪駆動車を作ったりしていた。当時「キャプテン・スカーレット」というテレビ番組があったが、これに登場するワゴン形状のパトロールカーのリヤ・クォーター・ウインドウがルーフまで回り込んでいて、一種のサンルーフのようなデザインになっていた。この温室のようなデザインは、なかなかかっこいいと、思った。そして、この一時は忘れていた記憶が、10数年後にシャトルを選ばせることにもつながったような気がする。

 振り返れば、今流行のホンダのミニバンに不可欠な多彩なシートアレンジは、このシャトルから始まったといえる。かのオデッセイが初めて出たときに、「アコード・シャトル」と書いた評論家がいたくらいだ。

 ガラス面積が広く、頭上空間も充分にあって、閉じ込められている雰囲気がなく、実にリラックスできる室内空間だった。買った当時、みんなが珍しがり、乗せてくれとせがんだので、乗せてやったのだが、走り出してしばらくすると、みんな居眠りをしてしまう。それほど心地よい空間だったのだ。運転式席から振り返って後方を見たときに、天井のラインがまっすぐ伸びていて、このラインが実に美しいと感じた。2代目のシャトルではこのラインが受け継がれなくて、がっかりしたのを覚えている。

 この頃のホンダは、まだまだ最後発の自動車メーカーであって、初期不良の類や組み立て時の不具合が、ローバーほどではないが、あった。すべては、クレーム処理で無料で直してくれたが、リア・ハッチ付近から出る異音はなかなか解消されず、ボディ形状のせいで仕方がないかとあきらめかけた。ところが、1年点検に出したときに、戻ってきたら、直っていた。ディーラーのメカニックは詳しいことは教えてくれなかったが、対策部品が1年たってやっとできたのだろうと想像した。

 このシャトルは、カーグラフィック誌の長期テスト車に選ばれて、読者モニター募集があったので、応募した。この長期テスト記事に、異形ヘッドライトが暗いので、シビック・プロ用の部品を利用して、シビエの規格品の角型ライトに変えるという記事が出た。自分もヘッドライトの暗さが気になっていたので、メカニックに相談した。そうしたら、カー用品店でライトを買ってきてくれれば、取り付けますと引き受けてくれた。車検も心配だったが、それにも対応してくれるということだった。それで、ライトを変えたのだが、シビック・プロ用の部品だけでは取り付けがうまくいかず、わざわざ、ナットか何かを溶接してつけて取り付けてくれた。そのわりに、そんなに高い工賃も請求されず、ホンダのメカニックはさすがだなあ、などと思ってしまった。


 参考ページ
 http://www.honda.co.jp/factbook/auto/CIVIC/19830922/cv83-045.html

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