2024/09/16

アンディはユヴァーガ第三惑星の夢を見るか

 「エイリアン:ロムルス」を見た。原点回帰していて面白い。最底辺であえぐ若者にもエイリアンは容赦しないというのは、今の時代の反映か。でもこの若者たち、無思慮すぎるぞ、特にタイラー。最初は発達障害の少年かと思ったアンドロイドのアンディがいい。なつかしいイアン・ホルム顔の科学主任アンドロイドは上半身だけ。旧作で出てきたのと全く同じということではなくて、同型の別合成人間のようだ。こういう人間そっくりのアンドロイドというのは、「ブレードランナー」も意識しているな。「2001年宇宙の旅」のHAL9000も連想する。

 

 ところで、この夏は、「めくらやなぎと眠る女」以外にも劇場公開されたアニメ作品の多くを見た。

1「ルックバック」
2「インサイドヘッド2」
3「怪盗グルーのミニオン超変身」
4「劇場版モノノ怪 唐傘」
5「ねこのガーフィールド」
6「きみの色」

 国産の1,4,6はそれぞれアニメーションとして見所のある作品であり、日本のアニメが依然として高水準を保っていることがわかるし、高評価を与える人間も多くいて当然とも思うが、自分にとって本当に心が躍るように感じる作品ではなかった。3のミニオンたちが出てくるだけで子供たちの笑い声が聞こえるようなものの方が見ていてリラックスできるのである。結局、余り期待してなかった「インサイドヘッド2」が一番、自分が見てみたアニメーション作品に近かったのだった。

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2024/08/30

よは予告編のよ

 映画は極力事前情報を入れないようにして見ているが、映画館で上映されている予告編は見ることになってしまうわけである。予告編を見て見に行きたいと思って見た映画が、予告編で想像していたのとはちょっと違っていたけれど、それはそれで面白かったという体験を最近した。ちょっと前に公開された「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」と今公開中の「フォールガイ」の2本である。特に前者は「カプリコン1」みたいな大謀略映画かと思わせるような予告編だったのだが、見てみたら全然そうでなかった。どちらも、主演女優(スカーレット・ヨハンソン、エミリー・ブラット、このところこの2人が出ている映画を案外見ている)が魅力的な、よくできたラブ・コメディだった。ラブ・コメを事前に謳うと見に来る人が限られる、ということなんだろうか。どちらの作品にも、映画製作の裏話があって、それも面白い。

 どちらも懐かしい音楽が使われてるんだけれど、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は1969年のアポロ11号の月着陸を描いているのでその時代の曲が流れるのは普通なのであるが、現在という設定の「フォールガイ」で、KISSの「ラヴィン・ユー・ベイビー」などの曲がガンガン流れるのはどういうことか。こういうシーンにはクラシックのこういう曲が定番みたいなことと同じになってきているのかな。

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2024/08/03

めくらやなぎで眠る男

 ピエール・フォルデス監督「めくらやなぎと眠る女」を地元の映画館(シネマサンシャイン沼津、ここは「リンダはチキンがたべたい!」も上映してくれた)で見ることができた。日本語版(地元出身の磯村勇斗が主人公を吹き替えている。多分、このために地元の映画館で上映されることになったと思う)だけでなく英語版の上映もある!
 ということで、人が入らなくてすぐに上映が終わりそうな英語版から見た(予想していたように観客は少なく、自分を入れて2人)。英語のセリフが案外聞き取れて、なおかつ、そのリズムが心地良い。夜の回でいつもなら布団の中に入っている時間帯でもあり、後半、眠気に誘われる。退屈だから誘われるのではなく、描かれる世界の不思議なぬくもりに包まれるせいでもある。眠気に誘われるのは自分の波長に合う映画の証拠。日本語版もできるだけ早く見に行こう。監督の祖父ピーター・フォルデスの作品を連想させた変形のシーンあり。
 そして、磯村勇斗出演の日本語版も見た(平日の午後の回であったが案外人が入っている。やはり、磯村効果か)。吹き替えというより、こちらの方がオリジナルじゃないかという思えるほど。今回は前半で日本語のセリフのリズムに眠気を誘われるが、後半はそうならず、見逃した短いカットがいくつかあるのに気づく。黒澤明とキューブリックへの敬意を感じる。

 村上春樹の小説を読みたくなった(短篇を1つ読んだことがあるだけである)。

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2024/06/01

指先から宇宙まで 素晴らしき短編アニメーションの世界

 昨日夜、スキマシネマの「指先から宇宙まで 素晴らしき短編アニメーションの世界」の上映会に行ってきた。雨のため、商店街での大スクリーンの野外上映ではなく、ビル内の小さいオフィスでの上映になってしまったのが残念。名前は知っているけど、作品をほとんど見たことがなかった作家の作品が見られ、アニメーションはやっぱり動きだなと思う。次回は7/5に「ペルリンプスと秘密の森」を上映するということで、これも楽しみ。

 上映された作品は、「コントロール・ユア・エモーション」クリス・サリバン、「不安な体」水尻自子、「I'm late」冠木佐和、「半島の鳥」和田淳、「ETERNITY」水江未来の5本。サリバンの作品は制作中の長編The Orbit of Minor Satelliteの冒頭の1章とのこと。完成した長編を早く見たい。「不安な体」は、ささくれがむけると痛そうと思ったら、むけた瞬間に終わったので痛みの感覚が後を引かなかったのがいい。冠木作品の内容は衝撃的であるが、絵的には一定の抑制があるので、1日たって思い返すと案外映像が出てこない。「半島の鳥」はタイトルからある国のことを連想してしまったが、日本のどこからしく(あるいは、どこでも)、連想した国とは全く無関係であった。アニメーションの緩急が心地良い。「ETERNITY」は、水江版スターゲート。トーラス宇宙の重力理論はどうなるのだろう、などと考えてしまった。

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2024/04/28

C4ピカソ、エンジン・フォールト、三度目

 数日前に、エンジン・フォールトの警告が出た。確か、三度目。過去2度はそれぞれ、プラグの不調、クーラントの温度管理の電子サーモスタットの不調であった。警告が出てすぐ消えたので、いきなりサービスに持ち込むのでなく、電話して点検修理予約をして、それが本日となった。チェックの結果、バッテリーの電圧の低下(寿命が近い)、電動スロットル・ハウジングでの異常履歴あり、ということで、バッテリー交換をして様子を見るということになった。バッテリー交換の記録を遡ってみると、ほぼ過去2回の交換と同じくらいの走行距離(2.7万kmくらい)であった。バッテリーの価格が前回よりも1万円近く高くなっていた。

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2024/04/08

オッペンハイマーの二重性

 クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」見てきた。3時間が長く感じられなかったのは、大学時代に物理を学んでいた時に知った凄い科学者たちが次から次へと出てくるからか。全くセリフがなく名前も呼ばれない、ボンゴを叩く若い科学者が出てくるのは、物理系の人にはすぐに誰だかわかるよね的なトリビアか(ファインマンである。今、「ファインマン物理」読んで物理の学び直しをしている最中)。ということで、ある程度オッペンハイマーについて知っている人間は、ノーラン特有の時系列が入り乱れる展開でもついて行けると思うが、登場する科学者についてはアインシュタイン位しかわからん一般的な日本の観客にはどうなのだろう? 日本公開が遅くなったのは原爆に関する扱いというよりも、案外この部分ではなかったのだろうか。

 ルイス・ストローズの査問の様子がこの映画における「現在」として扱われていることから思うのは、20世紀のアメリカ合衆国史において最大の汚点は、原爆の日本への使用ではなくて「赤狩り」だった、と多くのアメリカ人は考えてるのではないかということ。広島や長崎の被爆の状況が直接描かれないのは、オッペンハイマーに関する映画だからだということで納得は可能だが、オッペンハイマーが自責の念に囚われる悪夢的なシーンにもそれがないことからもそう思う。

 オッペンハイマーの物理学者の業績としてブラックホールについての最初の論文が出てくるが、なぜ、湯川秀樹の中間子論を欧米の科学者の中でいち早く評価して、中間子論を発展させる論文を書いたことには触れなかったのか。戦後、日本への贖罪かのように湯川のノーベル賞受賞に動き、プリンストンにも招いた、ということに全く触れていないのは、原爆の惨状を直接表現してないのと同様に、残念なことである。

 最初の方で量子力学における粒子性と波動性のイメージシーンが出てきて、ちょっと普通過ぎる視覚化と思った。その後も何度か出てきて、これは、オッペンハイマーその人のことをも象徴しているのだと思い至った。粒子性と波動性のように両立するとは思えないもの(愛国者とコミュニスト、ジーンとキティ、研究者生活と家庭生活、原爆開発者と水爆反対者等々)がオッペンハイマーという人物に付きまとう、ということを、ノーラン監督が描きたかったのだ。これもまた、ノーランらしさ。

 そのノーラン監督の処女作「フォロウィング」が上映されるようになったので見てきた。処女作にはその作家の総てが胚胎されていると思うことが多いが、まさにそういう作品だった。ノーラン作品の特徴の総てがこの中にあり、この処女作が一番面白い、と思ってしまう。


 「オッペンハイマー」を見てマンハッタン計画を詳しく知りたくなった人には、リチャード・ローズの「原子爆弾の誕生」を読むことを勧めたい。上下2巻で、2巻とも分厚いが、原爆開発を科学的な原理からきちんと書いている本は他にない。

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2024/03/28

砂の惑星と流転地球

 SF映画の大作を2作「デューン砂の惑星PART2」「流転の地球 太陽系脱出計画」を見てきた。その感想。

「デューン砂の惑星PART2」は公開されるのを待ていた作品だった。前作と同様に原作を丁寧に映像化していて、これで最後まで描かれるのかと思ったら、原作とは違った展開になり、この続きが見たいと思うちょっと驚くラストシーン。全体を通して思うのは、同じ監督の「メッセージ」にも通じる、未来がわかっていても、今この瞬間の自由意思で望む未来を切り開けるはずだということ。映像表現としては、砂虫を乗りこなすシーンが白眉なのであるが、新鮮な驚異を感じないのは、原作小説の影響下に生まれた多くの映画(トレマーズ・シリーズその他、「風の谷のナウシカ」など)で似たシーンをすでにみてきたためだろうな。

「流転の地球 太陽系脱出計画」は全然知らなかった作品だが、シネプラザ・サントムーンで上映されていて、「三体」の作者の短篇が原作だというので見に行った。映画では初めて見る宇宙エレベータや、月面での作業のシーンで「SFは絵」だからこういう「絵」が見たいというショットがあって、久々の宇宙SF映画の快作だと思った。東宝特撮映画を思わせる部分もあり、メインストーリーは「妖星ゴラス」のパワーアップ版だなと思う。これに絡むサブストーリーは「2001年宇宙の旅」的なAIの話。今年の午前十時の映画祭に「妖星ゴラス」が選ばれたのはこの作品があったからなのかな、とも思う。原題には最後に2が付いているので1があるわけだけど、日本での公開は? 1を見ないでも十分見れる映画ではあるけれど。調べてみたら、1はこの作品の後の時代の出来事を描いたものらしい。

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2024/02/17

ランプ切れでなく断線

 わがシトロエンC4ピカソの左ドアミラーについているウインカーだが、ランプユニットを替えても作動せず、配線系の不具合だろうということになり、さらに、もう一日時間をとって故障個所探しということになった。で、結局単純な配線の断線とわかり、その部分をつなぐという修理をして完了ということに。部品代がかからなくなったので、代金は1万円くらい安くなった。電装系のトラブルはこれで出尽くしになってほしいなあ。

 この修理中の代車は、またもプジョーe208であった。信号停車からの発進で、自分の車のような感じでアクセルを踏んだらスーと加速し、気がついたら80kn/hになってしまっていて、慌ててアクセルを緩めた。発進時がトルクの最大値になる電動モーターの利点。

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2024/02/03

「哀れなるものたち」小説と映画と

 映画を見る前に原作の小説を読んでおこうとアラスター・グレイ「哀れなるものたち」を一気に読了。一筋縄ではいかない「哀れなるもの」とは何(誰)か。それを映画ではどう切り取って表現してるんだろうか。すごく楽しみだ。映画を見た人が、何じゃこれ、と思うならそれはそれで原作通りともいえる。

 アラスター・グレイの小説は「ラナーク」を読んだことがある。4巻からなる作品だけども、3巻から始まるという不思議な作りの作品で、画家でもあるので、奇妙な味わいの自作のイラストもたくさん入っている。巻頭のこのイラストに、人体解剖図のようなものがあり、これは「哀れなるものたち」につながるイメージ。1,2巻と3,4巻で違う話になっていて、最後の方で、これは親子の話であって繋がりがあるらしいとなんとなくわかるというもの。この不思議な、SFでもありミステリーでもありゴシック・ロマンでもあり、作者の自伝的要素もある実験小説は読んでいて面白かった。

 そのグレイの作品を原作とした、「ロブスター」というこれもまた奇妙な印象に残るSF映画のヨルゴス・ランティモス監督の映画である。これは、見逃してはいけないと、原作を読み終えた次の日に見てきた。原作では手紙の書き方や内容の変化で表されている、主人公ベラ・バクスターの幼児から大人の女性への精神的成長を、エマ・ストーンが見事に演じているのが凄い。その演技以上に、良いと思ったのは、不安を掻き立てるような音楽。フランケンシュタイン物と思わせといて実は・・・という部分は原作より弱くなっているのがちょっと残念。原作は、ありえない物語を実際に起きたことだと思わせるための仕掛けがなされているが、映画の方では、寓意的ファンタジー世界の画作りであった。

 色々なところが原作から改変されているが、まったく違っているのはクライマックスのシーン。この改変はそれなりに理解できる(原作の対応する部分はちょっとモタモタ感がある)が、このクライマックスに至る直前のパリの娼館でのエピソードで、フェミニズム観点から原作を切り取っているように思われるのに、男性医師による性病定期検査をカットしてしまったのはなぜだろう。主人公の自覚の強さを示せるし、監督好みの衝撃的映像も作れるのに。

 原作は、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」のようでいて、H.G.ウエルズへの意識も相当にあると感じるのであるが、映画では、それが直接的には表わされていない。ただ、ラストシーンでそれを暗示しているようには思われる。

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2024/02/02

C4ピカソ12か月(8年)点検

 シトロエン沼津で12か月点検を受けた。走行距離は80515km。ちょうど、オイル交換をしてもいい時期になってきたので、オイル補充警告が出る前にということで、1月の末日にオイル交換も含めて点検してもらったのであった。自分では気が付かなかった、ナンバープレート灯と左サイドウインカー(ドアミラーの端についているもの)のランプ切れが見つかり、交換。後者はユニットごと交換でディーラーに在庫がないため後日交換ということになる。それ以外は、特に交換等の必要のあるものは無しということで、工賃・消費税込みで10万円弱で収まった(後日交換のウィンカー分も含む)。今回もユニットごと交換という仕組みはどうにかならないかと思う。

 今回の点検時の代車はプジョーe208、電気自動車であった。発進時にエンジン音が響くことなく力強く走り出すのに、電動モーターの特徴を感じる。アクセルを踏むのをやめると回生ブレーキがかなり強く働くのを感じる。エンジンブレーキより強力なのである。回生ブレーキの分、フットブレーキはエンジン車より利きが弱く設定されているようだ。
 

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