2024/12/07

暦の上では12月、ロボット夢見るセプテンバー

 シネマサンシャイン沼津で「ロボット・ドリームズ」を見てきた。アース・ウインド&ファイアーの「セプテンバー」を使っているのに、おお、と思う。一切セリフのないこの映画で、この曲の歌詞がセリフ替わりでもある。もう一度この曲が印象的に使われるのに感激。この曲をこのように使っていることだけで大好きになってしまう作品である。実写映画的なカット割りが良い。タイトルの「ドリームズ」は名詞ではなくて動詞であることに途中で気づく。画面の片隅で色々オマージュを捧げているようなのであるが、その中にマジンガーZがいるように見えた。

 スペインの実写映画監督がアニメも作る、ということでは、フェルナンド・トルエバの「チコとリタ」(2010年)というキューバ出身のジャズ・ピアニストを描いた作品を思い出す。この作品はとある映画祭で一度上映されただけで一般公開されなくて、輸入盤DVDで見たのだけれど、音楽と一体となったアニメーションが心地良かった点では、「ロボット・ドリームズ」と共通する。スペインのアニメーターでこの両方に関わったという人はいるのかな?

 

 この映画を見た日、サングリア沼津店に行き家族でスペイン料理ランチ。サングリア沼津店が来年の1月半ばに閉店してしまうと聞き、妻の還暦祝いを兼ねて、閉店を惜しんだのであった。スペインが主な舞台の「サラゴサ手稿」も読んでいるところなので、スペインな半日であった。

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2024/12/02

ゲームを捨て、野に出よう

 「リトル・ワンダーズ」をシネマサンシャイン沼津で見た。昔見た「グーニーズ」とかと同様の悪ガキ映画だけれども「スタンド・バイ・ミー」みたいな味もあるかもしれんと思いつつ見たが、子供も大人も女性陣が男性陣をリードするところが現代的な、案外ストレートなお子様冒険映画であった。ゲームするよりは余程面白い実体験をしているのに、やっぱり、ゲームをしたいのね、という終わり方。ゲーム始めたけど面白くないから山でキャンプでもしようとアリスがヘイゼルを誘う、なんていう終わり方を見たかった。

 ジョイランド三島で「画家ボナール ピエールとマルト」を見た。ボナールってこんな裸婦を描いていたのかと、家に戻って美術出版社「世界の巨匠 ボナール」を久方ぶりにしげしげと見直した。映画での再現された絵の方がエロスを感じさせるのは、モデルのマルト(セシル・ドゥ・フランス)の裸体も目にすることになるためか(ただし、一番エロテシズムを感じたのは、裸体ではなく、列車の座席に横たわるマルトのスカートの裾から出たふくらはぎの曲線であった)。チラシにも使われているラストシーンの絵は「花咲くあんずの木」という題で白黒図版だった。黄色が確認できず残念。アンドレ・テシネの「野生の葦」を思い出させるようなセーヌ川(の支流?)に裸で飛び込むシーンは、いかにもフランス映画だなと思う。ルネ(ステイシー・マーティン)という美術学生の愛人とのエピソードは創作のようだ。
 ボナールの盟友のヴュイヤールも出てきたので、「世界の巨匠 ヴュイヤール」も引っ張り出して眺めてみた。この映画の主要登場人物の肖像画を描いていて、ボナール夫妻は勿論、当時のサロンの中心にいたミシアやその夫ダナ・ナタンソン、更には自画像もあり、これらの肖像画に、演じた役者が皆似ている。不思議なのはマルトで、セシル・ドゥ・フランスはヴュイヤールの肖像画には似ているのに、ボナールの絵の中のマルトとはあまり似ていない。 
 土曜日に見に行ったのに観客は私一人(朝一だったからか)。こういう映画を上映することを決めたジョイランドに感謝。

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2024/11/23

オイル交換だけで済むと思ったら

  C4ピカソのオイル交換時期が近づいてきて、オイルの減り具合と勘案してディーラーの推奨時期より少し早めであったが交換した。そうしたら、ターボの吸気パイプに経年劣化による亀裂が入っているということが見つかった。最近、エンジン音がちょっと大きく、今までと違う音がするように感じていて、エンジンのどこかに異常があるのかと思っていたところだった(エンジンについての警告表示は出ていない)。工賃込みで3万弱であるということで交換してもらった。エンジン音も元に戻って、あの音の原因はこのパイプの亀裂のせいと考えてよさそうだ。

 

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2024/11/12

ジョーカーは君だ

「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」を遅ればせながら見に行った。クライマックスからのラスト・シーンは、自分の中のアメコミ・ファン(と名乗るほどでもない気もするが)の部分は納得できない気分。事前情報をいつものように余り入れずに見たので、意表を突かれたミュージカル映画だった。しかも、「ラ・ラ・ランド」より面白い。大学生くらいの時FMでよく耳にした曲がたくさん流れて、あの曲の歌詞はこういう意味だったのか?!、と思う。見終わってつらつら考えると、ジョーカーの要素は誰にでもある、状況次第で誰でもジョーカーになっちゃうんだよ、という本当に怖い映画であるように思われた。刑務所のテレビの何度かスカンクのペペのアニメが映るが、これはクライマックスの予告か?アニメと言えば、オープニングがシルバン・ショメの手になるアニメで、往年のルーニーチューン風なのだが、ディズニーの「ピーターパン」を思わせるところもあって、面白い。

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2024/11/10

うちの映画祭さい

11月4日の「しずおか映画祭」の第1,2部に行ってきた。沼津出身の俳優磯村勇斗が主催責任者として実現した映画祭である。自分がこの映画祭について知った時には人が集まるのか?と思ったのだが、全然そんなことはなく、開催日のだいぶ前に全席完売し、大ホールが満席である。こんなに満席な状態で映画を見るのはいつぶりか?参加して思うのは、日本の映画界が抱える問題を考えることができたこと。第1部で、原田眞人監督「わが母の記」が上映されたのだが、上映後のトークの時に、始めて見た人は、という質問に対して会場の半分近くの人が手を挙げたことがそのきっかけだ。地元出身の監督が、地元にゆかりの深い作家を主人公にして、地元ロケをした作品なのに、こんなに見られてないのか、である(第3部の「さかなのこ」も同様だったようだ)。どうも来ている人の多くは、映画ファンというより、磯村勇斗のファン、地元後援者であるようだ。逆に言えば、こういう機会に良い映画に触れて映画をもっと見るようになってくれればいい、ということでいえば、この映画祭は大成功であったと言えるだろう。ちなみに、同日に時間的にかぶる形で「沼津めぐる映画祭」という自主制作の短編作品を集めたイベントもあり、映画ファンのあたり人たちはこちらの方に参加していたように思える。

 映画祭のもう一つの意義として沼津の「おまち」の賑わいを作り出すということがあり、会場の文化センター入り口前の広場に、飲食店の出店が並んでいて、ここだけを目当てにした人たちもたくさん来ていた。そのため、短い休憩時間に昼食を取ろうとしたが、ここでは落ち着いて食べられそうにないと、諦めてしまった。映画祭に遠くから来た人もいたようで、その人たちはここで沼津のうまいものを飲食できたのだろうか?と思ってしまう。こういうイベントには人が出てくるのだが、普段の街に人が来ないというのが問題であろう。駅北に住む自分が沼津の駅南の商店街に行かなくなったのは、映画館がなくなってしまった、というのが最後の一押しだった。そういう人は多くはなさそうだが、映画のついでに街をぶらぶらしてみたら面白い店を見つけたなどという出会いの機会を減らしていることは確かだ。こういう映画祭も、本当なら、昔あった文化劇場とかスカラ座とかの街中の映画館を会場にして行われる方が良いだろう(文化センターは街中からは少し離れている)。中心市街地の再開発の計画が進展しているようだけれど、その中に、映画館の復活は入っているのだろうか?

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2024/10/12

ああ我見の3映画

 ①「憐れみの3章」、②「侍タイムスリッパ―」、③「ナミビアの砂漠」を見た。

 ①は60分弱のエピソード3つからなるヨルゴス・ランティモス監督作。話題になった前作「哀れなるものたち」のタイトルを引きずったような邦題だが、原題はKinds of Kindnessで、「様々な親切心のようなもの」とでも訳したらいいものか、この原題の方が3つのエピソードの内容にあっている。3話とも切れたオチがちゃんとついているのが良い。主要な5人の俳優は変わらず、中でもウィレム・デフォーがいいのだが、特に1話はデフォーだからこそのリアリティが生まれている。真ん中の話はSF的な解釈ができる内容だ(この映画を見たときに、丁度ハインラインの「人形つかい」を読んでいて、これと同様の設定があるのかなと思った)。平日の夕方の回に見に行ったのだが、なんと、観客は私のみ。久しぶりの貸し切り状態。

 ②は監督の時代劇愛がよく伝わってくる、きちんと笑えるコメディ。侍がタイムスリップしてくる現在は、最初今なのかなあと思うのだが、話が進んでいくと、これって実は今よりちょっと前のことではないかと気が付く。この間まで再放送していた朝ドラ「オードリー」の終盤の現在に近い時代であった。最近見た映画では一番観客が入っていて、平日の昼の回だったのでほとんど私と同じくらいかそれ以上の年代のシニアばかりだった。

 ③は主演の河合優実に尽きる。彼女の運動神経の良さそうな、しなやかな筋肉質の脚が魅力的。現在では珍しいスタンダート・サイズの画面であるのにまず驚き、ドキュメンタリーのようなカメラワークにもびっくりする。終盤に、右上にいわゆるワイプ画面が出てきて何と思ったら、それが拡大してランニングマシーンで走る河合優実のシーンとなるのだが、これは、一種のメタ表現なのか? あるいは「インサイドヘッド」のような脳内光景? 主人公カナはナミビアの砂漠の定点カメラの映像をよく見ているのだが、この映画は、いわば、カナに対する定人カメラの映像である。

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2024/10/06

甲虫汁ベテルギウス

「ビートルジュース ビートルジュース」を見た。36年ぶりの「ビートルジュース」の続編である。この続編の方が前作より面白く楽しめた。前作では、ウィノナ・ライダーがやっぱり魅力的だったのが一番の記憶で、全体的には日本人の自分には分かりかねる西洋的(キリスト教的と言った方が良いのか)死後の世界のちょっともたついたドタバタ劇という印象だった。今回も、初めてスクリーンで見るライダーの娘役のジュナ・オルテガがいい。バートン作品を見るたびに、新人女優を発掘して魅力的に撮ることができる監督だな、と思ってきたのだが、今作でもそうであった。懐かしい音楽(もちろん「バナナボート」も)がうまく使われているのも評価が上がる原因だ。

 因みに「ビートルジュース」の公開当時に書いたメモを見直したら、その年の洋画では「ロボコップ」「ヒドゥン」「ロジャーラビット」に次ぐ4番目のかなり高い評価を与えてた。

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2024/09/16

アンディはユヴァーガ第三惑星の夢を見るか

 「エイリアン:ロムルス」を見た。原点回帰していて面白い。最底辺であえぐ若者にもエイリアンは容赦しないというのは、今の時代の反映か。でもこの若者たち、無思慮すぎるぞ、特にタイラー。最初は発達障害の少年かと思ったアンドロイドのアンディがいい。なつかしいイアン・ホルム顔の科学主任アンドロイドは上半身だけ。旧作で出てきたのと全く同じということではなくて、同型の別合成人間のようだ。こういう人間そっくりのアンドロイドというのは、「ブレードランナー」も意識しているな。「2001年宇宙の旅」のHAL9000も連想する。

 

 ところで、この夏は、「めくらやなぎと眠る女」以外にも劇場公開されたアニメ作品の多くを見た。

1「ルックバック」
2「インサイドヘッド2」
3「怪盗グルーのミニオン超変身」
4「劇場版モノノ怪 唐傘」
5「ねこのガーフィールド」
6「きみの色」

 国産の1,4,6はそれぞれアニメーションとして見所のある作品であり、日本のアニメが依然として高水準を保っていることがわかるし、高評価を与える人間も多くいて当然とも思うが、自分にとって本当に心が躍るように感じる作品ではなかった。3のミニオンたちが出てくるだけで子供たちの笑い声が聞こえるようなものの方が見ていてリラックスできるのである。結局、余り期待してなかった「インサイドヘッド2」が一番、自分が見てみたいアニメーション作品に近かったのだった。

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2024/08/30

よは予告編のよ

 映画は極力事前情報を入れないようにして見ているが、映画館で上映されている予告編は見ることになってしまうわけである。予告編を見て見に行きたいと思って見た映画が、予告編で想像していたのとはちょっと違っていたけれど、それはそれで面白かったという体験を最近した。ちょっと前に公開された「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」と今公開中の「フォールガイ」の2本である。特に前者は「カプリコン1」みたいな大謀略映画かと思わせるような予告編だったのだが、見てみたら全然そうでなかった。どちらも、主演女優(スカーレット・ヨハンソン、エミリー・ブラット、このところこの2人が出ている映画を案外見ている)が魅力的な、よくできたラブ・コメディだった。ラブ・コメを事前に謳うと見に来る人が限られる、ということなんだろうか。どちらの作品にも、映画製作の裏話があって、それも面白い。

 どちらも懐かしい音楽が使われてるんだけれど、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は1969年のアポロ11号の月着陸を描いているのでその時代の曲が流れるのは普通なのであるが、現在という設定の「フォールガイ」で、KISSの「ラヴィン・ユー・ベイビー」などの曲がガンガン流れるのはどういうことか。こういうシーンにはクラシックのこういう曲が定番みたいなことと同じになってきているのかな。

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2024/08/03

めくらやなぎで眠る男

 ピエール・フォルデス監督「めくらやなぎと眠る女」を地元の映画館(シネマサンシャイン沼津、ここは「リンダはチキンがたべたい!」も上映してくれた)で見ることができた。日本語版(地元出身の磯村勇斗が主人公を吹き替えている。多分、このために地元の映画館で上映されることになったと思う)だけでなく英語版の上映もある!
 ということで、人が入らなくてすぐに上映が終わりそうな英語版から見た(予想していたように観客は少なく、自分を入れて2人)。英語のセリフが案外聞き取れて、なおかつ、そのリズムが心地良い。夜の回でいつもなら布団の中に入っている時間帯でもあり、後半、眠気に誘われる。退屈だから誘われるのではなく、描かれる世界の不思議なぬくもりに包まれるせいでもある。眠気に誘われるのは自分の波長に合う映画の証拠。日本語版もできるだけ早く見に行こう。監督の祖父ピーター・フォルデスの作品を連想させた変形のシーンあり。
 そして、磯村勇斗出演の日本語版も見た(平日の午後の回であったが案外人が入っている。やはり、磯村効果か)。吹き替えというより、こちらの方がオリジナルじゃないかという思えるほど。今回は前半で日本語のセリフのリズムに眠気を誘われるが、後半はそうならず、見逃した短いカットがいくつかあるのに気づく。黒澤明とキューブリックへの敬意を感じる。

 村上春樹の小説を読みたくなった(短篇を1つ読んだことがあるだけである)。

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